旭ビールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 旭ビールの意味・解説 

アサヒビール

(旭ビール から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 03:56 UTC 版)

(二代目)アサヒビール株式会社
ASAHI BREWERIES, LTD.
アサヒビール本社ビル。隣接するスーパードライホールの上にある「炎のオブジェ」はフィリップ・スタルクによってデザインされたもので、“躍進するアサヒビールの心”を象徴している。
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 アサヒ
本社所在地 日本
130-8602
東京都墨田区吾妻橋一丁目23番1号
設立 2010年平成22年)8月10日
(創業:1889年明治22年))
業種 食料品
法人番号 9010601039873
事業内容 酒類などの飲料食品薬品
代表者 松山一雄(代表取締役社長
資本金 200億円
売上高
  • 7,725億2,300万円
(2024年12月期)[1]
営業利益
  • 788億4,100万円
(2024年12月期)[1]
経常利益
  • 721億6,500万円
(2024年12月期)[1]
純利益
  • 536億円
(2024年12月期)[1]
純資産
  • 2,194億6,000万円
(2024年12月期)[1]
総資産
  • 5,711億9,600万円
(2024年12月期)[1]
決算期 12月31日
主要株主 アサヒグループジャパン株式会社 100%
関係する人物 鳥井駒吉(創業者)
山本為三郎
村井勉
樋口廣太郎
中條高徳
瀬戸雄三
平野伸一
外部リンク https://www.asahibeer.co.jp/
特記事項:初代法人の「アサヒビール株式会社」が2011年7月1日に持株会社移行に伴い「アサヒグループホールディングス株式会社」に商号を変更したのに伴い、会社分割によりアサヒビール株式会社の現業を引き継ぐ形で二代目法人の「アサヒビール株式会社」が発足した。
テンプレートを表示

アサヒビール株式会社: ASAHI BREWERIES, LTD.)は、日本の大手ビールメーカー。 アサヒグループホールディングス株式会社傘下であり、アサヒグループジャパン株式会社の100%子会社東京都墨田区吾妻橋に本社を置く。

会社概要

大日本麦酒時代のアサヒビール広告(1937年)。

1949年昭和24年)、大日本麦酒株式会社の分割により設立。

本社は分割当時でも東京都に所在していたものの、分割後は主に西日本で展開し、1954年から1960年まで日本のビール市場占有率で2位を維持していたが、1961年に3位になって以降シェア低下傾向が続き、1980年代前半から中盤は4位寸前の低迷期に陥った。しかし、外部出身の社長主導による社内改革の進展や、現在も主力商品となっている「アサヒスーパードライ」の発売以降、驚異的に経営状態を回復して1988年には2位となり、1998年にはビール単独、2001年にはビール類(ビールと発泡酒の合計)市場におけるシェアで1位となった。

2000年代からウイスキーブランデーなどの洋酒事業や焼酎などの分野にも子会社を通じて本格参入した。

2011年7月1日持株会社移行に伴い「(初代)アサヒビール株式会社」は「アサヒグループホールディングス株式会社」に商号を変更した。同日、会社分割により現在の法人である「(二代目)アサヒビール株式会社」(2010年8月10日に「(旧)アサヒグループホールディングス」として設立)に現業全般の移譲がなされた。アサヒビールが、日本の大手ビールメーカー4社の内、最後に持株会社に移行した。

白水会や住友グループ広報委員会のメンバーではないが、住友銀行三井住友銀行の融資を受け経営陣を送り込まれた関係上、住友グループの企業として扱われる事が多い[2]1985年に開催された科学万博に住友グループがパビリオン住友館3D-ファンタジアム」を出展した際にはアサヒビールも住友EXPO'85委員会のメンバーとして名前を連ねている[3]

写真の本社ビルの金色の遮熱ガラスは、同じ住友系の一水会メンバーの日本板硝子社製。当時の筑波研究所設計。

企業スローガンは、『すべてのお客さまに、最高の明日を。』。

歴史

アサヒスーパードライ
(写真は国外向け版で国内向けのスーパードライとラベルデザインが一部異なっている)

1889年(明治23年)創業。1949年(昭和24年)の大日本麦酒株式会社の分割により設立。

大日本麦酒の分割は、同社を主要ブランドであるアサヒビール(西日本で販売)とサッポロビール(東日本で販売)に分割する形を取ったが、この分割を推進した大日本麦酒の山本爲三郎専務が朝日麦酒の初代社長に就任したため、様々な憶測を呼んだ。山本は大日本麦酒に合併された日本麦酒鑛泉の出身であり、その同社から継承した商品でかつ全国ブランドとして知名度のあったユニオンビールと三ツ矢サイダーの2銘柄を朝日麦酒が継承した他、戦前大日本麦酒は設備投資を西日本に集中して行っていたため、その結果最新鋭設備のほとんどが朝日麦酒の帰属となっていたのがその主な理由であった。

更に西日本では戦前からアサヒブランドが定着していたため、新生アサヒビールも西日本を中心とした需要があった。ビールの市場占有率(シェア)は分割時点において日本麦酒(現・サッポロビール)38.7%、朝日麦酒36.1%、麒麟麦酒25.3%と3社間で2位となり、引き続き1952年まで単独2位、1953年は原料配給の関係で日本・麒麟・朝日のシェアは3社同率の1位[4][5]、1954年は第1位が麒麟、2位が朝日、3位日本麦酒となり、1960年まで同社は2位を維持し[4] 山本も関西財界の重鎮として活躍していた。

しかし、高度経済成長と共に東京への一極集中化が進むと、結局この山本が主導した地域偏重の分割がたたり、市場占有率は1961年に第3位へ降下し、1987年まで3位が定位置となっていた[4]。首都東京では同根で同じくブランド名に馴染みの無いニッポンビール(1964年にサッポロビールと改称)と競合。かつての地元であった近畿地区でも、後発のサントリーのビール発売に際し山本社長が支援に回ったため結局同一問屋内で競合関係になる負担が発生し、1970年代の生ビール競争も低迷した。

1980年代中盤には市場占有率10%を割り、1985年は9.6%と4位のサントリー(9.2%)に追い抜かれる寸前の状態で社内の状況において危機感は漂っており[4]、1985年までに資産売却が行われたが[6]、経営面で分割以来赤字経験がなかったことから深刻さは薄く、「夕日ビール」などと揶揄される状況でありながら、現状維持で満足する雰囲気もみられた[4]

この状況を改めるため、社長は住友銀行から連続で送り込まれ、過去にマツダを短期間で再建した経験がある村井勉が就任した[4]。村井は就任時から改革に取り組み実を結んだことで社内は活性化し、その中で「主力商品のビールの味とラベルを変更してアサヒの主張と心を知ってもらうべきではないか」との意見が社内で高まったことを受け、正式に主力ビールの味とCIマークの変更が決定された[4]。現状把握のためマーケティングリサーチとして1984年夏〜1985年夏に東京と大阪で計2回・5000人に味覚・嗜好調査を行い「若い人を中心に大半の消費者が苦みだけではなく、口に含んだときの味わい(コク)と喉ごしの快さ(キレ)を求めている」との結果を得て、同業他社を含めた従来の主力製品の持ち味「苦味の強い重い味」と異なり、消費者の認識変化で潜在的に求められていた「コク・キレ」をコンセプトに商品開発が進められた[4][7]

1986年(昭和61年)1月21日、改革の一環として進展していたCI活動「ニューセンチュリー計画」の発表が対外的に行われ、新CIマークに変更した。同日「コク・キレ」の味わいと新たなラベルを採用した「アサヒ生ビール」を発表[4]。アサヒ生ビールは同年2月に発売開始[8]。1986年3月、引き続き住友銀行から送り込まれた樋口廣太郎が社長に就任。この時期には、アサヒをサントリーへ売却する話が水面下で行われており、樋口は就任当初同社の清算を行う意図で送り込まれた部分が強かったが、売却交渉にてサントリーが断りを入れるという結末を迎えたことで方向転換することになった[6]。同年中はアサヒ生ビールに集中した積極的な個人・業務向け販促活動と大幅増額した宣伝活動を行い、当時新社長であった樋口も試飲キャンペーンの現場に立つと同時に消費者の意見を聞くなど陣頭指揮を行い、結果的に商品はヒットして同社全体の販売数量は前年比11.9%増の実績を残し、シェアも10.4%と10%台に戻した[4][9]

1986年3月、新商品の開発プロジェクト、コードネーム「FX」を開始[10]。同年6月に試作品が完成し、樋口など役員対象に試飲を実施してFXは高評価を得た。同年2月発売のアサヒ生ビールが好調だったことでFX商品化の最終段階において同社内商品の競合を懸念する声が社内から挙がったが、樋口の判断で「FX」の発売を決定[11]。FXは1987年1月21日に名称「アサヒスーパードライ」として発表され、同年3月17日に首都圏限定で販売を開始し、販売数量の同年目標は年間100万箱としていた[11]。アサヒスーパードライは、当時アサヒで発売されたビール新商品3種類の中でも地味な立場で、発売日前後のマスコミの扱いは小さく簡潔な紹介に留まっていた[4]。しかし、発売後問屋には続々と追加注文が入り、同年4月時点の出荷量で70万箱を達成し、同年5月には同年夏頃に予定していた全国販売を前倒しで開始した。販売目標も400万箱に上方修正し、同年8月には販売予測から生産能力を1年間で5割増加させる設備投資計画を始動。同年11月には販売目標を1200万箱と更に上方修正し、1987年の販売数量実績は1350万箱を達成[4]。スーパードライは1987年12月26日の日経流通新聞「62年ヒット商品番付」[12] で東横綱に選ばれる程のヒット商品となった[4]。1988年には同業他社がドライビールで挑んできたドライ戦争にも勝利を収め、売上高と市場占有率を劇的に回復し、同年のシェアはサッポロを抜き2位に回復[4]。1989年と1990年には積極的な設備投資を行い、1990年代からスーパードライに経営資源を集中し、それに特化した販売戦略と鮮度管理の強化を進める経営戦略が功を奏し[6]1998年平成10年)に日本国内でビールは市場占有率で1位となった(発泡酒を含めたビール類の市場占有率では当時2位)[4]

1990年代後半以降、他社が価格の安さと品質改良で発泡酒の売り上げを伸ばす中、アサヒは「アサヒはドライ一本、ビールのみで勝負します。発泡酒は発売しません」と宣言したこともあった[9][13]。理由として、スーパードライが順調に推移していたことや、発泡酒の開発初期段階で問題点の解消に手間取り、市場に出せる品質に中々達していなかった事情がある[9]。だが、デフレの流れで発泡酒のシェアが伸びる中、その間毎年のように同社が新発売したビールの新製品が不振であったことや、看板商品のスーパードライも売り上げに翳りが見え始めたこと、発泡酒開発当初の試作品が抱えていた特有の匂いと雑味の問題点を大麦エキスと海洋深層水を使用することで解消した。品質を満たした商品が出来上がったことで方針転換し「発泡酒カテゴリーが成立したから」と理由を説明して2001年(平成13年)2月に「本生」で発泡酒市場に参入した[9][13]。本生が好調だったことで2001年の発泡酒シェアにおいて同社は2位となり、日本の2001年ビール類(当時はビールと発泡酒が該当)シェアにおいてキリンを抜き1953年以来48年ぶりに首位に返り咲いた[5][9][14]

その後は発泡酒の増税もあり、2005年(平成17年)からいわゆる第三のビール市場にも参入。ただ、シェア競争の結果、2006年(平成18年)1-6月期にて6年ぶりにキリンビールに市場占有率首位を譲る形となったが、下半期に巻き返し、年間では僅差で首位を維持した。

鳥居薬品を1987年(昭和62年)に子会社化したが、1998年(平成10年)にJTへ保有株式を譲渡。

2001年(平成13年)、かねてから資本関係があったニッカウヰスキーの全株式を取得した上で同社を完全子会社化し、ウイスキーブランデーなどの洋酒事業に本格参入した。また、2002年(平成14年)には協和発酵(現:協和キリン)旭化成の酒類事業(清酒を除く)を引き継ぎ、焼酎などの分野にも参入している。

大手ビール4社の中では唯一最後まで事業持株会社制度を堅持していたが、社会情勢の変化もあり、2011年(平成23年)7月1日付で事業会社を分離新設し、純粋持株会社制度に移行した。

沿革

歴史・沿革|企業情報|アサヒグループホールディングス(外部サイト)

大日本麦酒 商標(1906年)
  • 1906年3月 - 大阪麦酒(アサヒビール)、札幌麦酒(サッポロビール)、日本麦酒(ヱビスビール)の3社合同で「大日本麦酒株式会社」を設立[15]
  • 1949年
    • 1月 - 過度経済力集中排除法により朝日麦酒株式会社と日本麦酒株式会社に分割。
    • 9月 - 「朝日麦酒株式会社」設立。
  • 1957年 - ビン入りラガービール「アサヒゴールド」発売。
  • 1958年9月 - 日本初の缶入りビール「アサヒゴールド(缶)」発売[16]
  • 1965年3月 - 世界初の屋外発酵貯酒タンクを開発、西宮吾妻橋博多の3工場に設置。
  • 1971年6月 - 日本初のオールアルミ缶ビールを発売。その缶を製造した昭和アルミニウム缶に素材開発・供給の面で協力。
  • 1972年3月 - 株式会社三ツ矢ベンディング(現アサヒグループジャパン傘下、アサヒ飲料株式会社)設立。
  • 1981年 - 医療法人十全会[注釈 1] が株式を買い占める。直後に株を放出し、その株を旭化成が買い取って同社が筆頭株主となり、業務提携も行う。
  • 1984年11月 - 財団法人アサヒ生活文化研究振興財団(現・アサヒグループ学術振興財団)設立。
  • 1986年
    • 1月21日 - CI活動「ニューセンチュリー計画」の発表と新シンボルマーク導入。永井一正がロゴデザインを担当、右上がりで勢いとキレのあるイメージとした[17]
    • 2月 - コーポレートロゴを冠した初の商品 「アサヒ生ビール」発売。
  • 1987年3月17日 - 日本初の辛口生ビール「アサヒスーパードライ」発売。
  • 1988年4月 - 創業以来の先輩社員と業界関係者を祀る「先人の碑」を吹田に建立。
  • 1989年
    • 1月 - 「朝日麦酒株式会社」から「アサヒビール株式会社」(初代)に商号変更。創業時から販売されてきた熱処理されたラガータイプのビール「アサヒビール(オリジナル)」販売終了。
    • 3月 - 財団法人アサヒビール芸術文化財団(現・アサヒグループ芸術文化財団)設立。
    • 10月 - 東京都墨田区吾妻橋の旧吾妻橋工場跡地に「アサヒビールタワー」完成。
  • 1992年3月 - アサヒビール食品株式会社(現アサヒグループジャパン傘下、アサヒグループ食品株式会社)設立。
  • 1994年
    • 1月 - 現地ビール会社への資本参加を通じて中国への本格進出開始。
    • 3月 - アサヒビール薬品株式会社(現・アサヒグループジャパン傘下、アサヒグループ食品株式会社)設立。
  • 1996年
    • 4月 - 大山崎山荘美術館開館。
    • 7月1日 - アサヒビール飲料(株)が、アサヒビール(株)から飲料営業権の譲渡を受け、アサヒビール飲料製造(株)、北陸アサヒビール飲料製造(株)を合併して社名を「アサヒ飲料」に変更。メーカーとなり、商品開発から製造、販売までの一貫体制を開始。
  • 1997年10月 - グループ全体の研究開発拠点として、研究開発センターを開設。
  • 1998年
  • 4月 - アサヒビールU.S.A.社(現Asahi Europe & International傘下)設立。
  • 11月 - 日本の全工場で廃棄物100%再資源化達成。
  • 12月 - 日本のビール市場でシェア首位の座を獲得(年間課税数量より)。
  • 2001年
  • 2002年
  • 2003年1月 - アサヒフードアンドヘルスケア株式会社、ポーラフーズ株式会社(現・アサヒグループジャパン傘下、アサヒグループ食品)を統合。
  • 2004年
    • ペットボトル入りビールの発売を予定していたが、延期を発表。
    • 11月 - 韓国ロッテグループの酒類販売会社に出資し「株式会社ロッテアサヒ酒類」設立。
  • 2005年
    • 5月 - カネボウ株式会社の子会社であるチルド飲料メーカーエルビーの68%の株式を取得。同年9月に97%の株式を取得して子会社化。
    • 9月1日 - 協和醱酵工業との合弁契約満了に伴い、アサヒ協和酒類製造[注釈 2] を完全子会社化。
    • 11月22日 - 麦芽を使用しない新アルコール飲料 (いわゆる第三のビール、後の発泡酒②) 「アサヒ新生(しんなま)3(スリー)」を発売。
  • 2006年
    • ベビーフード国内最大手の和光堂の株式を公開買付(TOB)で取得。
    • 「新生3」に続く第三のビール「アサヒぐびなま。」を5月30日に、「アサヒ極旨(ゴクうま)」を10月17日に発売。
  • 2007年
    • 2月6日 - 大手食品メーカー カゴメとの業務・資本提携を発表。共同開発第一弾の商品として、完熟トマトのカクテル「トマーテ」を同年9月4日に発売。
    • 3月27日 - 和光堂が上場廃止。完全子会社となる。
  • 2008年
    • 3月25日 - 第三のビール「クリアアサヒ」発売。同系列のアルコール飲料で初の大ヒット商品となる。
    • 4月 - 株式公開買い付けによりアサヒ飲料を完全子会社化。
    • 7月 - フリーズドライ食品メーカー天野実業を買収。
  • 2009年
  • 2010年
    • 8月26日 - オーストラリアの清涼飲料メーカー(同国3位)のピー・アンド・エヌ・ビバレッジズ・オーストラリア(P&N)の発行済み全株式を取得する株式売買契約を締結。
    • 10月29日 - 韓国のヘテ飲料の株式譲渡契約書締結。
  • 2011年
  • 2012年10月 - カルピス株式会社株式取得。
  • 2014年6月 - マレーシア食品会社「Etika International Holdings Limited」より「東南アジアにおける乳製品関連事業」(現Asahi Holdings Southeast Asia傘下)の株式取得。
  • 2015年7月 - 「コーポレートガバナンス・ガイドライン」の策定。
  • 2016年10月 - 旧SAB Miller社のイタリアオランダ英国事業取得(現Asahi Europe &International傘下)。欧州市場に本格参入。
  • 2017年
  • 2018年4月 - 2050年までにサプライチェーン全体でCO2排出量ゼロを目指す中長期目標「アサヒカーボンゼロ」を設定。
  • 2019年
    • 1月 - 全ての企業活動の基盤となるグループ理念「Asahi Group Philosophy(外部サイト)」を施行。「酒類を取り扱う企業グループとしての飲酒に関する基本方針」策定
    • 2月 - アサヒグループ環境ビジョン2050「『ニュートラル&プラス』の発想で自然の恵みを次世代につなぐ」を策定。
    • 4月 - アサヒクオリティーアンドイノベーションズ株式会社を設立。英国Fuller, Smith & Turner P.L.C.のプレミアムビール・サイダー事業取得(現Asahi Europe & International傘下)。
    • 5月 - 「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」提言への賛同を表明。「アサヒグループ人権方針」を策定。
  • 2020年
    • 6月 - AB InBev社の豪州事業(CUB事業)取得(現・Asahi Hodings(Australia)傘下)。
    • 10月 - 日本の食品企業で初めてグリーンボンドを発行。
  • 2021年
    • 4月 - Asahi Super DryがRugby World Cup2023年フランス大会オフィシャルビールに決定。
    • 12月 - 「ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン ステートメント」策定。
  • 2022年
  • 2023年
    • 1月 - スタートアップ投資ファンドAsahi Group Beverages & Innovation Fundを米国・サンフランシスコに設立し運営開始。
    • 2月 - 「アサヒグループ環境ビジョン2050」を改定。2050年における世界のありたい姿として、「プラネットポジティブ」を掲げる。
  • 2024年
    • 1月 - グローバル調達を推進する新会社Asahi Global Procurement Pte. Ltd.の運営開始。
    • 2月 - 気候変動への対応におけるグループ全体の中長期目標を更新。2040年までにバリューチェーン全体でCO2排出量ネットゼロを目指す。
    • 4月 - 新たなグループコーポレートロゴマークおよびコーポレートステートメントを策定[20]

歴代社長

ブランドの由来

大阪麦酒が名付けた「朝日(アサヒ)」というブランドの由来については諸説あるが、創業者・鳥井駒吉の出身地である堺市に縁のある以下の説がよく知られる。なお、設立当初は「朝日麦酒」ではなく「旭麦酒」と表記されていた。

「旭館」説
寛政から天保年間にかけて堺港の修築工事が行われ、これと並行して竪川の南側一帯に新地が形成された。栄橋や龍神といった遊里の西を流れる旭川(内川の分流のひとつ。1956年埋立)より西側は旭町と名付けられ、堺港に南面する風光明媚な場所として賑わい、中でも「朝日ノ家」は堺屈指の茶屋として知られた。その「朝日ノ家」が閉鎖された後、堺の酒造組合の代表であった鳥井が1888年明治21年)、堺の酒造業者と政府の高官や財界人との交遊をはかる目的で、同地に社交倶楽部「旭館」を開設した。「旭館」は「朝日ノ家」から名付けたものだが、新たにビール事業に参入する際にも、この「朝日・旭」ブランドを重用し「旭麦酒」と命名した。
「旭橋」説
鳥井の生家(現・堺市堺区甲斐町西2丁)から目口筋を西進すると旭川に架かる「旭橋」に至り、自らの酒造業者としての原点を忘れないという思いを込めて「旭麦酒」とした。その後、旭川は埋め立てられて「旭橋」も撤去されたが、「旭橋」は天誅組の上陸地であり、もとの架橋地点に「堺事件」の碑と「天誅組上陸地」の碑に並んで「旭橋」の橋柱一対が保存されている。また、鳥井の生家跡から北東に進んだ場所にある「ザビエル公園」内に「旭橋」のもう一対の橋柱が保存されている。
小西儀助からの譲渡説
明治17年からビールを製造していた、小西儀助商店からブランド名を譲ってもらったとの説もある。
大阪麦酒のブランド名「旭」は、1884年(明治17年)から大阪で朝日ビールを発売していた薬種問屋の小西儀助が、1888年(明治21年)に鳥井駒吉らの計画を知ると、自らビール事業から手を引くことを決め、そのブランド「朝日」を設立予定の大阪麦酒に譲り、同社はこれを「旭」として引き継いだ、ともいわれている。[21]
また、小西儀助が大阪麦酒の役人に「もし御入用やったらうちの商標を使うておくれやす」と言ったという、大日本麦酒大阪支店の大森寅之進の聞書による記録もある。[22]

主な商品

オリオンブランドの製品についてはオリオンビールの項も参照。

ビール

アサヒスーパードライ:画像は2000年 - 2013年末までの缶製品の意匠。なお、2014年 - 2021年末まで製造・出荷された缶製品の意匠はレッテルの右下部分に「お酒」と丸で囲ったマークが追記され、「KARAKUCHI」は「KARA辛口KUCHI」に、レッテルの上部分の英字は「THE JAPAN BRAND」とそれぞれ改められ、さらに「Asahi」ロゴの枠線が取り除かれた。
アサヒスーパードライ
1987年3月発売。「辛口(KARAKUCHI)」を前面に出し、日本のビールの味を変えた製品とも言われる。日本のビール類で、唯一年間販売量1億箱(1箱=ビール大びん20本=12.66リットル換算)を超え、2008年には350ミリリットル (ml)缶に換算して発売からの累計出荷総数が1000億本を突破した最大のブランド。競合他社が発泡酒や、いわゆる新ジャンルなどの分野にシフトしたこともあり、税法上のビールでは、過半数のシェアを占めている。使用酵母・発酵技術を改良して発酵度合いを高め、糖度を低くし、麦芽以外の副原料(コーンスターチ)の比重を比較的多めにし、更にアルコール度数を当時主流の4.5%前後よりやや高い5.0%としたことで、いわゆる「ドライ・辛口」な味に仕上げた。
スーパードライがヒットした後、1988年に競合他社も一斉にドライビールを発売し、当時の通常新商品と比べ高い売上を記録したが、自社内の他商品と競合状態となったことや「ドライビール=アサヒスーパードライ」のイメージが消費者にて形成されていたことで、他社がドライビールを宣伝しても客は元祖のアサヒに流れてしまい、逆にスーパードライの躍進に拍車をかける結果となった[4]
生ビールNO.1アサヒスーパードライ」のコピーが影響し、キリンラガーは1996年に非熱処理化(生ビール化)が行われたが、翌年の1997年にはキリンラガーが前年まで45年間保ってきた年間首位銘柄から転落し、新たにスーパードライが年間首位銘柄となった[23]
1990年代以降モルソン(カナダ)・青島ビール(中国)などとの合弁で日本国外展開も進められている(詳細はアサヒスーパードライ#日本国外展開を参照)。
1998年には小型瓶ビール「アサヒスーパードライスタイニー」が発売。2007年には「スーパードライ」発売20周年を記念して、350mlのスリムボトルも期間限定で発売された。沖縄県・鹿児島県奄美群島向けの一部は2003年5月よりオリオンビール株式会社に製造・販売を委託している。
アサヒスーパードライ -ドライブラック- (黒ビール
2012年4月3日発売。これまでになかったドライビールの黒ビール版として登場した。また同社での「スーパードライ」ブランドの横展開商品第1号になった。
2022年4月時点では『アサヒ生ビール 黒生』の復活と入れ替わる形で缶製品が終売し、業務用樽詰のみ販売を継続している。
アサヒスーパードライ -ドライプレミアム-
2013年6月にギフト専用商品として販売して好評だったことから、2014年2月18日から通年での販売を開始。アルコール度数は当初は5.5%だったが、通年販売になってからは6%に引き上げた。醸造工程でひと手間かけた“贅沢醸造”に“スーパードライ酵母”を 採用。深い味わいと爽快で澄み切ったキレ味が特徴。スーパードライシリーズでは初となるプレミアム級の生ビール。
アサヒスーパードライ -ドライプレミアム 香りの琥珀-
2014年11月5日に歳暮ギフト専用商品として発売。「ドライプレミアム」の持つ贅沢な“コク”と“キレ”という特長はそのままに、7種類の厳選したホップと黒麦芽由来の麦芽エキスを原材料の一部に使用することで、奥行きのある芳醇な香りを実現したプレミアムビール。アルコール度数は5.5%。
アサヒドライプレミアム豊醸
2016年4月12日発売。スーパードライ -ドライプレミアム-シリーズの実質的な後継商品で、アルコール度数は6.5%。
アサヒスーパードライ -ドライクリスタル-
2023年10月11日発売。日本国内のビール類市場における酒税改正に伴うビール減税によりビールへの回帰が進んでいることや、その一方で1990年代後半以降に生まれた若年の大人を中核としたアルコール飲料離れなどの風潮を背景に開発されたスーパードライシリーズ史上初のライトビール。冷涼感が特長のドイツ産ホップ「ポラリス」を一部使用するとともにオリジナルのスーパードライよりも発酵度を上げることで、透明感のある味わいと本格的な飲みごたえを実現した。アルコール度数は3.5%[24]
アサヒ生ビール〈マルエフ〉(1期:1900年 - 1941年、2期:1959年 - 1985年、3期:1986年 - 2021年、4期:2021年 - )
1950年代後半以降に復活し、発売当初は「アサヒ本生」と称していた。
1986年1月21日発表、アサヒ生ビールの味とラベルをリニューアル、2月発売開始。市場調査を元に「コク・キレ」を特徴とした味わいに変更し、当時の開発コードは「まるえふ(まるの中にF)[25]」で、通称は「コクキレビール」だった[26]プロゴルファー青木功尾崎将司を起用したテレビCMの宣伝文句「コクがあるのに、キレがある」でヒット。翌年に発売された「スーパードライ」のヒットに繋がったが、1990年以降からは「スーパードライ」に経営資源を集中する方針に伴い、1993年に一般消費者向けを含む小売量目の生産を中止。一部の料飲店向け樽生製品(いわゆる業務用)として長らく吹田工場において生産が続いていた(北海道九州では販売終了)が、扱う店舗は東京都内でも BIER REISE'98 など数店舗[25] となっており、他の地域でも見かけることは非常に少なかった。以前はウェブサイトでは紹介されていなかったが、2012年3月頃より、商品情報の「樽詰商品」に掲載され、2012年6月に再び掲載されなくなっていた。2018年に ブランドサイト が開設され、販売を再び全国に拡大することになり、生産は福島工場と四国工場が行うことになった(プレスリリース・2018年3月13日)。また2018年5月には一般消費者向けに350ml・500ml缶を限定発売した(同年7月末までの限定発売)。また同年10月には完全受注予約制で再度350ml・500ml缶の一般発売が行われた。
2021年9月14日には、再々度350ml・500ml缶が一般発売され、併せて開発コード名の「マルエフ」を表記の上で缶のデザインが変更されたが、今回は受注予約なしで購入可能になっている。CMキャラクターには新垣結衣を起用。2023年2月より中瓶500mlの一般販売も再開し、芳根京子松下洸平が新CMキャラクターに就任[27][28]、更に2023年10月17日より大瓶633mlの一般販売も再開し事実上、マルエフのラインアップが完成した形となった。
アサヒ生ビール黒生(アサヒ黒生)
1995年10月に発売開始。いままでの黒ビールは「苦味が重い」イメージがあったが、独自の製法で黒ビールとしてはすっきりと軽くて飲みやすく、なおかつキレのあるタイプの黒ビールに一新、「アフター9のビールです」の宣伝文句でベストセラー商品になった。
ドライブラックの販売開始と同時期に一般消費者向けを含む小売量目の生産を中止していたが、2022年2月15日に、缶のデザインを「アサヒ生ビール」と揃える形で小売量目の販売を再開した。
アサヒプレミアム生ビール熟撰
こだわりの素材を丁寧に仕込み、長期熟成させた。深い味わいと上質な香りが堪能できる。キャッチコピーは『お店でしか、出会えないビールです。』、2008年からは『一杯目の感動が、二杯目も色あせない。』。飲食店などの店舗を中心に、一部酒類取り扱い店舗でも販売されている。味の幅に広がりをもたせるため、米とスターチを副原料として使用している[26]。このようなことはプレミアムビールでは珍しい。これまでは市販商品に中瓶(500ml)・小瓶(334ml)・業務用樽生(5L/10L/19L)とギフト用に限り缶ビール(350ml)の設定が行われたが、2008年3月11日には一般向けに缶(250ml・350ml・500ml)の発売が開始された。ただしその後は売り上げが減少し、250ml缶は2010年10月下旬に、500ml缶は2011年夏頃に、350ml缶は2013年3月頃に製造を終了して、再び瓶と樽生のみの販売に戻っていた。2015年12月にはセブン&アイグループ限定商品として500ml缶と350ml缶が発売され、2022年4月にはファミリーマート限定商品として500ml缶と350ml缶が発売された。現在は吹田工場で製造されている。
アサヒ食彩
2023年7月11日に発売開始。当初は全国コンビニエンスストア、および公共交通機関系コンビニエンスストア限定商品となっていたが、あまりにも好評だったため2024年3月5日のリニューアルに伴い、全国のコンビニ以外の店舗(スーパーマーケット、デパート、ディスカウントストア等)へ販路拡大となったほか、韓国でも発売が開始された。既存のアサヒスーパードライ 生ジョッキ缶、およびアサヒドライゼロ 生ジョッキ缶と同様のフルオープンタイプのプルタブを採用。アルコール度数は5.5%でフランス産希少ホップの華やかな香りとラグジュアリー醸造による濃厚なコクを実現している。

地域限定

アサヒスタウト(スタウトビール、1期:1935年 - 1941年、2期:1951年 - )
1935年から発売(戦時中は一時中断し、1951年より10年ぶりに販売を再開)されている非常に息の長い商品で容器は瓶のみ。同社商品において後述するアサヒホワイトビール同様、数少ない熱処理製法を採用している。吹田工場(アサヒビール発祥の地)のみの生産で、関東関西を中心に販売。2024年5月現在では、日本国内の大手メーカーで製造されている通年販売の上面発酵ビールは同社のアサヒスタウトとキリンビールが発売する一番搾り〈黒生〉、そしてサッポロビールが発売するヱビスプレミアムエールの3種類のみとなっている。

販路限定

アサヒオリオンドラフト
アサヒとオリオンの提携により、沖縄・奄美群島以外の地域での販売を受託。発売開始時は缶の上部に小さく「Asahi」のロゴが印刷されていたが、2014年春季生産分より下部に移動。
アサヒオリオンいちばん桜
オリオンビールが沖縄で毎年年末に発売している麦芽100%の限定ビールを、アサヒビールも2009年より全国のコンビニエンスストアにて季節限定販売。
アサヒオリオン夏いちばん
オリオンビールが沖縄で初夏に発売している限定ビールを、アサヒビールも2014年より全国のコンビニエンスストアにて季節限定販売。
アサヒ ザ・エクストラ
セブン&アイグループ限定商品。2012年9月25日に350ml缶のみで数量限定発売された。好評だったことから、2013年2月19日に500ml缶を加えて通年販売。厳選された麦芽を当社比で約1.8倍使用し、高濃度醸造と高アルコール(アルコール度数:6.5%)で仕込んだ「最初の一口から広がる味わい深いコク」が特長の麦芽100%ビール。アロマホップによる「華やかな香り」や厳選酵母による「上質なキレ」を実現。名古屋工場のみの生産された。
アサヒだらだらエール
東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県・セブンイレブン限定商品。2024年7月9日に350ml缶のみで数量限定発売された。エールビールであり、熱処理による醸造法が用いられる。オーツ麦芽によるなめらかな口当たりと4種のホップからもたらされたさわやかな香りが、くつろぎの飲み心地を演出する。アルコール度数は3.5%。

業務用限定

アサヒ琥珀の時間(こはくのとき)
限定プレミアムビール。ドイツ伝統のデュンケルタイプだが、アサヒスーパードライやアサヒ 食彩などと同様に・コーン・スターチの副原料が使用されている。福島工場で製造している。

発泡酒

アサヒスタイルフリー
2007年3月27日発売。糖質は0%。ブランド別ビール類販売数量順位において、2008年第11位、2009年上半期第10位[29]。過去に存在した「本生オフタイム」の実質的な後継商品。糖質0%をうたいつつ旨味を残すことに成功し、発泡酒での定番商品としての地位を確保することに成功している。発売当初は350ml缶と500ml缶だけだったが、好評のため2008年1月22日には250ml缶が追加された。
アサヒスタイルフリー パーフェクト
2016年5月31日発売。「スタイルフリー[プリン体ゼロ]」の後継商品で、糖質0%・プリン体0.00mgに加え、人工甘味料0も実現。アルコールは6%。
アサヒ本生シリーズ
アサヒ本生ドラフト
赤ラベル・スタンダードタイプ、2007年に「アサヒ本生」の後継商品として発売。製造終了。
アサヒ本生アクアブルー
青ラベル・糖質50%オフタイプ、唯一発売当初からの商品。
スーパードライ売り上げの減少を受けて2001年から発売された。富山湾の海洋深層水を使用した発泡酒シリーズ。製造終了。
アサヒレッドアイ
2012年6月12日発売。ビール類とトマトジュースを割ったカクテル「レッドアイ」をベースに、麦芽とトマト果汁を原料に加えた発泡酒。
アサヒビアスプリッツァー
2014年9月9日より限定発売。シャルドネ果汁を使用した白ワインのビアカクテル。
アサヒオリオンビアカクテル
「シークヮーサーのビアカクテル」、2018年より新たに発売された「パイナップルのビアカクテル」に続いて発売された、期間・数量限定販売の商品。アサヒビールとオリオンビールの共同開発商品で沖縄産マンゴーピューレを使用している。
アサヒオフ
2009年2月24日発売。発売当初は新ジャンル(リキュール〈発泡性①〉)のビールテイストアルコール飲料として発売されていたが、発売開始から16年目の2024年2月20日に実施された全面改良に併せる形で、これまでのリキュール(発泡性)①(後の発泡酒②)から発泡酒に仕様変更された(プレスリリース・2024年1月31日)。「2つのオフ」をキーワードに、メタボリックシンドロームなどに代表される生活習慣病問題を危惧するユーザーを対象にした低カロリー・機能性重視の「麦の新ジャンル」である。原料の一部に食物繊維と大豆ペプチド、グルタミン由来のアミノ酸などが含まれており、プリン体85%オフと糖質70%オフをそれぞれ実現。そのコンセプト上、当初は同社の発泡酒である「スタイルフリー」の麦の新ジャンル版との見方もあった。アルコール度数は発売開始から2014年1月のリニューアルまでは3.5%以上4.5%未満(実質約4%)[注釈 3] だったが2015年1月のリニューアルより4%以上5%未満(実質約4.5%)に変更となったが、早くも同年6月30日のリニューアルより3%以上4%未満(実質約3.5%)に変更(更に発泡酒へ仕様変更後は3.5%)となり、これと同時にプリン体ゼロ・糖質ゼロ化し、100mlあたりのカロリーも大幅に引き下げられた(リニューアル前:27kcal → リニューアル後:22kcal → リキュール〈発泡性①〉から発泡酒への仕様変更後:20kcal)。
リニューアル



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「旭ビール」の関連用語

旭ビールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



旭ビールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアサヒビール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS