イナ‐バウアー【ina bauer】
読み方:いなばうあー
フィギュアスケートの滑走法の一つ。足を前後に開き、前の足のひざを曲げた姿勢で、両足のつま先を外側に大きく開いて横に滑る。初めて演じた旧西ドイツの選手イナ=バウアーの名から。
[補説] 2006年開催のトリノ冬季オリンピック女子フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香選手の得意技だったことから話題となる。荒川選手の場合はこの走法中に上半身を反らすのが特徴。
バウアー【Ina Bauer】
イナ・バウアー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 19:11 UTC 版)
イナ・バウアー Ina BAUER |
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イナ・バウアー=ツェーネス(Ina Bauer-Szenes , 1941年1月31日 - 2014年12月13日[1])は、1950年代に活躍した旧西ドイツのフィギュアスケート選手。
経歴
1957-1959年の3年間、ドイツチャンピオンとなり、1959年欧州選手権4位、1958年世界フィギュアスケート選手権4位、1959年も4位だった。
1968年までのフィギュアスケート競技会は規定の得点が6割も占め、彼女はコンパルソリーを苦手としていたので国際大会でメダルに手が届かなかった。米国コロラドスプリングスで、エドゥアルド・スコルダンのもとでスケートを学び、そこでムーヴズインザフィールドのひとつ、イナバウアーを生み出す。
1960年の欧州選手権のコンパルソリーを終えた時点で、父親からのプレッシャーに耐えられずにショートプログラム前に大会を棄権して、アマチュアを引退した。当時スキャンダルと騒がれた。
現役引退後は映画に出演したり、アメリカでアイスショー「アイス・フォリーズ」に出演した。ここで滑ったことで、イナバウアーが広く知られるようになった[2]。ハンガリーのフィギュアスケーター、イシュトヴァン・セネシュと結婚。[3]後に地元のクレーフェルトで手工業ビジネスを立ち上げたり、クレーフェルトのフィギュアスケートクラブでコーチを務めるなどした。
2014年12月13日に死去。73歳[1]
イナ・バウアー杯
彼女の地元、クレーフェルトのアイスリンクでは彼女の名前を冠した大会Ina-Bauer-Pokal(イナ・バウアー杯)があり、2012年で33回目になる。この大会は国際大会とは違い、ノービス、ジュニア、初心者などの愛好者を対象としている。しかしこの大会で2005年に優勝したニコル・ショットはドイツ選手権でも優勝している。[4]
戦績
大会 | 1955-56 | 1956-57 | 1957-58 | 1958-59 | 1959-60 |
---|---|---|---|---|---|
世界選手権 | 20 | 11 | 4 | 4 | |
欧州選手権 | 13 | 10 | 4 | 棄権 | |
ドイツ選手権 | 2 | 1 | 1 | 1 |
映画出演
- 白銀に躍る Kauf dir einen bunten Luftballon(1961年)
- 空から星が降ってくる Ein Stern fällt vom Himmel(1962年)
共演は共にオーストリアのアルペンスキーのスーパースターでこの当時映画俳優として活躍していたトニー・ザイラー。「空から星が降ってくる」は後半はバウアーとプロスケーターによるアイスショーという構成になっている。
関連項目
- イナバウアー
- イシュトヴァン・セネシュ イナ・バウアーの夫。
脚注
- ^ a b INA SZENES-BAUER VERSTORBENev-krefeld.de GESCHRIEBEN VON CORDULA MEISGEN AM 14. DEZEMBER 2014
- ^ ニコライ・モロゾフ著、大野和基訳『キス・アンド・クライ』 p.21
- ^ http://bc03.rp-online.de/polopoly_fs/istvszeninaszenbauer-1.2521344.1319200336!/httpImage/3742511249.jpg_gen/derivatives/rpo32_457/3742511249.jpg/
- ^ http://www.wz-newsline.de/lokales/krefeld/sport/ina-bauer-pokal-kufen-talente-sind-schon-in-form-1.896833
外部リンク
イナバウアー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 07:58 UTC 版)
イナバウアーは、フィギュアスケートにおいて、足を前後に開き、爪先を180度開いて真横に滑る技である[1]。ムーヴズインザフィールドの1つ。1950年代に活躍した旧西ドイツの女性フィギュアスケート選手、イナ・バウアーが開発したことからその名が冠された。
技法について
ストローク後に、長い距離または時間を、ある姿勢を保ったまま滑るムーヴズインザフィールドのうち、両足のトウ(つま先)を外側に大きく開いて横に滑る「スプレッドイーグル」の変形であり、片方のひざを曲げ、もう片方の足は後ろに引いて伸ばした姿勢で滑る。
毎年多くの選手が「要素間のつなぎ」やコレオグラフィック・シークエンスの一動作として取り入れているものであるが、これ単体で要求される技術要素ではない。
-
前方から
(パトリシア・ネスケ) -
後方から
(トゥーバ・カラデミル) -
リフティング中のイナバウアー
(イザベル・ドロベル & オリヴィエ・シェーンフェルダー)
レイバック・イナバウアー

2006年トリノオリンピックでは、フィギュアスケート・女子シングル競技において、日本人として初めて金メダルを獲得した荒川静香は、イナバウアーを得意技とし、そのトリノ五輪のフリースケーティング本番でイナバウアーを披露して、観衆の喝采を浴びた。この演技で、荒川はトリノオリンピックにおいて、日本人選手唯一の金メダルを獲得し、日本中を沸かせたことから、「イナバウアー」は流行語となり、2006年の流行語大賞にも選ばれた。
荒川は上半身を大きく反らせる特徴的なイナバウアーを行った。このイナバウアーを本人や解説者は、「レイバック・イナバウアー」や「サーキュラー・イナバウアー」とも呼ぶ。荒川の演技によって広く知られたことで、日本においては「『イナバウアー』とは背中を大きく反らしながら滑る技、または大きく反り返った状態のこと」といった誤認が発生している。
ロシア選手ではアリーナ・ザギトワらが披露のほか、アリョーナ・コストルナヤはイナバウアーから2回転アクセルを飛ぶなど、ジャンプの加点要素として取り入れている。
商標登録問題
2007年2月、アサヒビールが「イナバウアー」の商標登録を出願したが、特許庁から「便乗行為は公序良俗を乱す。人名でありイナ・バウアー氏の承認を要する」として拒否された[2]。アサヒビールを含め13社から出願があったという[2]。
その他
- 荒川静香がトリノオリンピック女子シングル金メダルに輝いたことを記念して、出身校の仙台市立台原小学校にヤエベニシダレが植樹された。荒川の得意技のイナバウアーが枝垂桜の枝振りと似ていることから、名称は「チェリーバウアー (Cherry Bauer)」となった。
- 2007年大相撲九州場所10日目で里山が栃乃花との対戦で珍しい決まり手・伝え反りで勝った際には、技が決まった瞬間の体勢が類似していたことに掛けて、「イナバウアー」と各種スポーツ紙でもてはやされた。
- 大相撲の大関琴奨菊が取組前の仕切りで大きく上半身を反らせることを、「琴バウアー」と呼ばれる。
- 卓球選手の張本智和はITTFワールドツアー・ジャパンオープン荻村杯(U-21)を優勝した際、仰け反り雄たけびを上げたシーンを全日本代表の監督の倉嶋洋介から荒川静香のイナバウアーの動きに似ていたことから「ハリバウアー」と名付けた[3]。
脚注
- ^ THE ARAKAWA EFFECT Skater's Gold Medal Inspires Young Japanese (April 21, 2006)
- ^ a b 「イナバウアー」商標登録認めず 日本経済新聞社(インターネットアーカイブによるミラー)※文字化けする場合は文字エンコードをシフト JISに変換してください。
- ^ 4年後の五輪金メダルを本気で狙う13歳 国内敵なし、張本智和のロードマップ スポーツナビ 2016年10月20日
外部リンク
イナバウアー
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「フィギュアスケート用語一覧」の記事における「イナバウアー」の解説
ムーヴズインザフィールドのひとつ。足を前後に開き、つま先を180度開いて真横に滑る技。イナバウアー参照。
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