計画の中止
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1974年の時点で、L3複合体が4機完成しており、2機は同年8月および年末に行われる無人自動操縦ドレスリハーサル用、残りの2機が有人月面着陸用を想定していた。さらに2機が建造中だった。しかし、肝心の「N-1Fロケット」(それまでのN-1ロケットから全段が新型エンジンに変更されていた)はとうとう完成しなかった(5号機・6号機の2機が建造中だった)。1974年6月23日の政府命令により、ソユーズL3ソ連有人月面着陸計画は正式に中止され、完成済みの機体はスクラップにされた。
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計画の中止
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2008年に着工し2015年の完成予定だったが、計画を発表したベルルスコーニ政権からロマーノ・プローディ政権へ2006年に政権交代し、膨大な予算・地震の危険性・マフィアの建設への関与などから橋の建設計画は中止された。 しかし、2008年にロマーノ・プローディ政権が失脚し、計画の復活を公約にしたベルルスコーニ政権が返り咲いた。 計画は復活され、改められた建設計画は2009年着工とし、総事業費は約60億ユーロで2016年の完成を目指すとしていたが、2013年2月26日に予算不足により再び計画は中止となっている。
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計画の中止
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「アメリカ海軍先進戦術戦闘機計画」の記事における「計画の中止」の解説
ベース機のF-22が技術的問題等による計画自体の遅滞、開発費の高騰など問題が山積した事や冷戦の終結による予算削減から1991年にF-22との同時開発はキャンセルされた。また、同時にA-6艦上攻撃機の後継機のA-12の開発中止もあり、アメリカ海軍は両者の代替としてF/A-18A/BをベースとしたF/A-18E/Fを開発している。 現在は、NATFに代わるステルス機として統合打撃戦闘機計画で開発中のF-35Cの導入を目指している。 詳細は「F-35 (戦闘機)」を参照
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計画の中止
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「ブルーストリーク (ミサイル)」の記事における「計画の中止」の解説
政府内では、計画を続けるか中止するかの議論が1958年から続けられてきたが、結局1960年に計画は中止された。ミサイルは、液体酸素とケロシンを燃料としていた。最大積載量での打ち上げには、20トン以上のケロシンと60トンの液体酸素が必要であった。氷の付着を防ぐために燃料は発射直前に注入する必要があったが、これが問題とされた。燃料の注入には4.5分が必要であり、即応性が大きく損なわれた。ミサイルは奇襲攻撃に対して脆弱であったが、当時の状況では十分起こり得ることであった。この問題に対処するために、デ・ハビランドは待機機能を付け加えた。ミサイルは10時間の間、命令から30秒後に発射できる体制を維持する。2基のミサイルをペアで使用し、10時間交代で待機状態にすることにより、何れかが常に30秒で発射できるようにされた。 燃料注入中の奇襲攻撃からミサイルを守るため、発射設備を地下サイロとする案が出された。サイロは1メガトンの核爆弾が800m以内で爆発した場合でも、それに耐えられるように設計された。これはイギリスの発明であり、直ちに米国でも採用された。サイロ建設に適しているのは、岩石からなる地層で、これはイングランド南部に多く見られたが、郊外に地下サイロを多数建設することは、経済的、社会的、政治的な問題を引き起こした。結局、イギリス国内でこのようなサイロを建設する場所を探すことは著しく困難であり、イングランド北部カンブリア州のスパディーダム空軍基地(RAF Spadeadam)に1基が建設されただけであった。また、ここではRZ2ロケットエンジンとブルーストリーク本体の地上試験も実施された。イギリスには、ミサイルの飛行試験を行える場所がなかったため、飛行試験は南オーストラリアのウーメラ試験場で行われた。 英国政府はプロジェクト予算の拡大には反対であり、第一撃に対して脆弱であることを表向きの理由として、ブルーストリークミサイルはキャンセルされた。海軍元帥マウントバッテン伯爵は、海軍が核武装することにより奇襲攻撃に対応できるとして、このプロジェクトを中止するよう強く働きかけた。 イギリス政府は、米英共同開発のスカイボルト空中発射弾道ミサイルに望みをかけたが、これも開発が中止された。イギリスは結局ポラリス潜水艦発射弾道ミサイルをアメリカから購入し、自国製のレゾリューション級原子力潜水艦に搭載することとした。
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計画の中止
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「1125型大型対潜艦」の記事における「計画の中止」の解説
結局のところ、量産型の 61型大型対潜艦が支持されて 1125型は採用されなかった。一方、搭載予定であった「ヴィーフリ」対潜ミサイルは、発射機が 6連装から連装懸垂式装置に変更されたものの、 1123型対潜巡洋艦(モスクワ級)と 1143型重航空巡洋艦(キエフ級)に採用された。 1125型の建造を見送った結果、ソ連海軍は強力な対潜システムを展開する機会を逃してしまった。ソ連海軍は結局、あとになってもより貧弱な対潜システムしか構築できなかった。量産した場合、価格の面でも 1125型大型対潜艦は建造可能な艦であった。加えて、この艦は将来における新型兵器装備に伴う改修の余地を持っており、窮屈すぎてそれが絶対に無理であった 61型より発展性に優れていた。 1125型が採用されなかった第一の理由は戦略上の理由や技術的問題ではなく、産業側の希望であった。
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計画の中止
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1995年10月、XM8はM8 AGSとして制式化され、生産準備の完了を宣言された。しかし、翌1996年2月5日、アメリカ陸軍は計画のキャンセルを発表した。 アメリカ陸軍への採用の道を絶たれたユナイテッド・ディフェンス社は、トルコや中華民国への売り込みを試みたが、これは成功しなかった。ただし、本車の動力系をもとに小改良の上で開発されたUCVP(Universal Combat Vehicle Platform)は、シンガポール・テクノロジーズ・キネティック社において、バイオニクス歩兵戦闘車やSSPH プリムス自走榴弾砲に採用されている。 製造された試作車は1両が1994年にはLOSAT 高速ミサイルシステムのテストベッドに用いられ、また2003年に1両が"M8 Thunderbolt/AGS 120"の名称で自動装填装置付き120mm滑腔砲を搭載した試験車両に改装されたが、いずれも試作のみで量産はされていない。試作車のうち数両は民間に払い下げられて現存している。 2018年からアメリカ陸軍が歩兵旅団戦闘団(Infantry Brigade Combat Team:IBCT)のために500両規模の採用を計画している機動防護火力「Mobile Protected Firepower」(MPF)の候補として、BAEシステムズのM8 AGSの近代化バージョンがゼネラルダイナミクス・ランドシステムズのグリフィンIIとともに最終候補に選定された。両社に各12両の先行量産車の納入契約が締結されており、2021年1月から6月までの見込みで評価を実施し、採用が決定すれば2022年度から量産を開始する予定である。
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計画の中止
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「ハインケル HeS 8」の記事における「計画の中止」の解説
エンジンの開発は行き詰り1942年初頭でも推力はわずか550kgに過ぎなかった。15番目の試作機からは単段の軸流圧縮機を遠心圧縮機の後部に追加し、16番目からは新しい圧縮機の空気流路を取り入れた。全部で30基が完成し、後期の形式は600kgの推力を発した。しかしこの時点でハインケル自身によるHeS 30を含む全軸流式の設計は順調だった。航空省からジェットエンジンの開発に加わったヘルムート・シェルプは003と004は"十分良好"としてハインケルの既存の設計をすべて中止する決断をした。その代わりに"クラスⅡ"の後にHeS 011として進化するエンジンの設計を持ちかけた。
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計画の中止
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1995年度の打ち上げを目指し1991年から開発が始まったが、探査機本体(1997年に完成)及び、本プロジェクトの目玉であるペネトレータの開発に手間取り、さらに推進剤 / スラスターのリコールなどもあって計画が遅れ、2004年以降、打ち上げ時期が未定な状態が続いていた。さらに、本探査機を打ち上げる予定であったM-Vロケットも2006年7月に廃止が決定され、本探査機に使用される予定であったM-Vロケット2号機も、部品が他のロケットに流用されてしまい、使用不可となった。このため、打ち上げ手段も未定となり、これらの状況から計画中止が危ぶまれていた。 2007年1月10日、JAXAは現状の報告を行い、同月15日、本計画を中止し、別の方法による月探査の実施を目指すとした見直し案を、文部科学省宇宙開発委員会推進部会に提出した。先述のペネトレータの開発の遅延のため、母船に使用した機材の接着剤の劣化が進んだなど、計画の見通しの甘さが響いた形となった。ペネトレータそのものの開発は目処が立っており、今後はJAXAで打ち上げを計画している別の月または惑星探査機や、他国の衛星に搭載する方針である。中でも、ロシアが2010年代前半に打ち上げる予定の「ルナグローブ」探査機 (Luna-Glob) に、日本で開発されたペネトレータが搭載されるという可能性もあったが、ペネトレータの試験結果が2010年10月に確認されて開発が終了した時点ではスケジュール的に搭載は間に合わなくなっていた。 このLUNAR-A計画に使用される予定であったM-Vロケット2号機は、2008年10月から、神奈川県相模原市のJAXA相模原キャンパス(宇宙科学研究本部)にて展示されている。 JAXAの念願だった月探査に関しては、2007年に打ち上げられたかぐやで達成されることになった。 実現しなかったこの月ペネトレータはその後、月ペネトレータ技術実証ミッションとして、イプシロン搭載宇宙科学ミッション(公募型小型衛星1号機)への公募提案が進められていた。ルナーA計画では2基(当初3基)、ロシアと検討した共同ミッション、ルナーグローブでは4基のペネトレータによる多地点ネットワーク観測を予定していたが、この提案では搭載するペネトレータは1基となっていた。2015年2月、公募型小型衛星1号機には小型探査機による高精度月面着陸の技術実証(SLIM)が選ばれた。 2017年1月現在、月ペネトレータはAPPROACH(Advanced Penetrator PRObe Applied for a Challenge of Hard-landing)ミッションとして公募型小型衛星3号機の選定を目指している。1基のペネトレータと探査機本体のインパクトモニタカメラを組み合わせ、月への衝突現象と月震の同時観測を目指している。
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計画の中止
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このように具体的な計画が策定されていたにも関わらず、SCS計画は、リッコーヴァー大将を唱導者とする大型原子力艦や超大型空母の優位を主張するグループによって猛反撃を受けた。また「グアム」を用いた実証実験は、ズムウォルト大将にとっては成功であったが、一方で、ハリアーが昼間の、しかも目標の後方象限からの戦闘にしか対応できないことが問題視されていた。また哨戒ヘリコプターについても、「15日間の任務において、2列のソノブイバリアーを維持しつつ、任務時間の50%で哨戒ヘリコプター1機を派出可能な態勢を維持する」という要求事項を達成できるかが疑問視されていた。 これらの情勢を受けて、議会は実証艦の建造予算を削除した。1974年にズムウォルト大将がCNOから退任すると、後任のホロウェイ大将は、より大型で能力が高いV/STOL支援艦 (VSS) のほうを推進するようになり、SCS計画は事実上消滅した。しかしハイ・ロー・ミックス・コンセプトの不徹底のためにVSS計画艦は肥大化を続け、1982年のVSS-III案では29,130トンまで大型化した。このためにコスト面のメリットは失われ、XFV-12戦闘機の開発失敗もあり、1980年代初頭にはVSS計画は自然消滅することになった。 一方、強襲揚陸艦を制海艦として用いるための研究は、その後も継続された。1981年の演習では、タラワ級強襲揚陸艦「ナッソー」に19機のAV-8Aを搭載しての運用試験が行われ、その経験を踏まえて、ハリアー20機とSH-60B LAMPSヘリコプター4~6機を搭載しての行動が可能であると結論された。その後、湾岸戦争の際には、実際に「ナッソー」にAV-8B 20機を搭載して「ハリアー空母」としての作戦行動が実施されており、砂漠の嵐作戦の最終週には、1日あたり60ソーティもの出撃が実施された。議会もSCS構想にまだ未練があり、ワスプ級強襲揚陸艦では制海艦任務にも対応できるように設計が改訂された。イラク戦争では、「バターン」「ボノム・リシャール」がそれぞれ22機および24機のAV-8Bを搭載してハリアー空母として活動し、その有用性を認めさせたと評されている。また後継のアメリカ級強襲揚陸艦では更に航空運用機能の強化が図られており、新しいF-35Bを20機搭載しての「ライトニング空母」としての運用も検討されている。 また、アメリカ海軍にあわせて自国でもSCSの建造を計画していたスペイン海軍は、アメリカ本国での計画断念にも関わらず自国での計画を続行し、予定より遅延したものの、1988年に「プリンシペ・デ・アストゥリアス」を就役させた。これは、SCSをもとに旗艦機能を追加するなどしているが、特徴的なエレベータ配置や主機関構成は踏襲されている。同艦を建造したバサン社は、その縮小・派生型として、タイ王国海軍向けにも「チャクリ・ナルエベト」を建造している。
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計画の中止
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「CVA-01級航空母艦」の記事における「計画の中止」の解説
本級の設計は1966年1月27日に完了した。1番艦は「クイーン・エリザベス」と予定されており、「アーク・ロイヤル」と「ヴィクトリアス」の両方の後継艦とされていた。1960年代中盤には軽空母「セントー」も退役することになっていたが、「クイーン・エリザベス」のほか、大規模改装を予定されていた「イーグル」および「ハーミーズ」によって、少なくとも1980年代までは空母3隻体制は維持される計画であった。本級については、1966年第4四半期には発注がなされる予定であり、同時にオーストラリア海軍も同型艦1隻を購入すると期待されていたほか、1969年にはイギリス海軍向け2番艦(CVA-02; 予定艦名は「デューク・オブ・エジンバラ」)の発注も期待されていた。 しかし予定建造費用は高騰を続けており、地上基地から発進する爆撃機のほうがコストパフォーマンスに優れると考えられたこともあって、設計完了から1ヶ月も経たない2月22日に発表された1966年度国防白書で、本級の計画はキャンセルされた。この国防白書では、本級やBAC TSR-2爆撃機の計画中止の代替として、アメリカ製のF-111K戦闘爆撃機の導入が盛り込まれたものの、これを運用するための地上基地も削減されており、しかも後に導入自体も撤回された。 本級の計画中止によって、海軍は、将来的に空母を手放さざるを得ない事態に直面した。この事態を受けて、艦隊空母を補完するヘリ空母として開発されていた護衛巡洋艦の機能充実が図られることになり、最終的に、垂直/短距離離着陸機であるシーハリアー艦上戦闘機の運用に対応したインヴィンシブル級として結実した。インヴィンシブル級はSTOVL空母として改装されたセントー級空母「ハーミーズ」と共にフォークランド紛争に機動部隊の中核艦として実戦投入されてその実用性を証明し、現代的軽空母の先駆者として高く評価されている。 またその後継として2隻建造されたクイーン・エリザベス級は、全長・満載排水量ともに本級を上回る大型艦ながらも、STOVL方式を採用し、艦上戦闘機としてはF-35Bを搭載することになっている。なお、クイーン・エリザベス級の飛行甲板は左舷側に大きく張り出しており、将来的にアングルド・デッキを設定してCATOBARやSTOBAR方式に対応することも可能といわれている。
※この「計画の中止」の解説は、「CVA-01級航空母艦」の解説の一部です。
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計画の中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/12 04:02 UTC 版)
このように、装備品は各国の要望を反映して多彩になっており、建造費のなかで大した比率を占めているわけでもない船体をあえて共通化することは、艦全体のコスト低減にはつながらないことが明らかになってきた。 協議は難航するようになり、計画は遅延しはじめた。西ドイツ海軍は、老朽化が特に著しかったハンブルク級駆逐艦の更新にはNFR-90は間に合わないと判断し、1987年、これとは別にブランデンブルク級フリゲート4隻の建造計画に着手した。これに伴い、NFR-90の予定建造数は8隻から4隻に削減された。しかしその後も予定コストの上昇は続き、1989年、まずイギリスが、ついでフランスとイタリアが計画から離脱した。残る5ヶ国は計画の続行を試みたものの、1990年1月18日、計画のキャンセルが決定された。 1989年にNFR-90計画から脱退した後、イギリスは独自に次期防空艦の開発を進めていた。NFR-90計画の崩壊後、フランスもやはりシュフラン級駆逐艦の後継となる防空艦を模索していたことから、90年には、英仏将来フリゲート(Anglo-French Future Frigate, A3F)計画が開始された。A3F計画は数度の危機に曝されたものの、92年にはイタリアも加わったホライズン計画として具体的な作業が開始された。ホライズン計画では、アスター艦対空ミサイルを採用した武器システムとしてのPAAMSを共同開発し、これを共通設計の船体に搭載することとしていたが、細部の武装については各国が独自のものを搭載する計画であった。しかし、艦隊防空と個艦防空のバランスについてフランス・イタリアとイギリスの意見が対立し、また航続距離の要求の差異から船体設計でも意見統一に失敗したことなどによって計画は遅延し、ホライズン計画艦が42型駆逐艦の更新に間に合わなくなる危険が生じたことから、1999年、イギリスはホライズン計画より脱退した。残る2ヶ国はホライズン計画を続行し、フランスはフォルバン級駆逐艦、イタリアはアンドレア・ドーリア級駆逐艦を建造した。またイギリスもPAAMSの開発には引き続き参加しており、そのイギリス版を搭載した45型駆逐艦を建造した。 一方、1994年1月には、ドイツとオランダ、スペインの3ヶ国によって、TFC(Trilateral Frigate Cooperation: 三国フリゲート共同)計画が開始された。スペイン海軍は、コスト面の問題からのちに計画から離脱し、イージスシステムを採用したアルバロ・デ・バサン級フリゲートを建造したが、残るドイツとオランダは2カ国で計画を続行し、ドイツはザクセン級フリゲート、オランダはデ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級フリゲートを建造した。
※この「計画の中止」の解説は、「NFR-90」の解説の一部です。
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計画の中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/09 15:32 UTC 版)
CSGNは上記の通りに強力な戦闘艦とされたが、当然のように高コストの艦でもあった。このことから、ズムウォルト大将が検討させていたようなガスタービン主機のミサイル駆逐艦の案が復活することになり、CSGN 8隻と在来動力型ミサイル駆逐艦(DDG)16隻によるハイローミックスが予定された。DDGは1977年度計画から、CSGNは1978年度計画からの建造が予定されていたが、議会はCSGNの建造を差し止めるかわりに「ロングビーチ」をCSGNのプロトタイプとして改装するよう予算を振り替えた。 しかし1977年1月17日、フォード政権は改修を中止させ、続くカーター政権はCSGN計画の見直しを指示した。かわってバージニア級を発展させたCGN-42の設計が着手されたものの、当初5隻が予定されていた建造数は、1978年3月には1983年度計画の1隻のみに削減され、1981年2月にはその建造も中止された。一方、DDGの計画は、最終的にタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦として結実し、1978年度より建造が開始された。
※この「計画の中止」の解説は、「原子力打撃巡洋艦」の解説の一部です。
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計画の中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 07:28 UTC 版)
「Mk 71 8インチ砲」の記事における「計画の中止」の解説
1975年よりフォレスト・シャーマン級駆逐艦「ハル」での洋上試験が開始され、艦前部のMk.42 5インチ単装速射砲にかえてMk.71 8インチ単装砲が搭載された。射撃指揮装置としては、従来Mk.42砲において使用されてきたMk.68に、Mk.155弾道計算コンピュータを付加して使用した。 アメリカ海軍は、この洋上試験で本砲システムの有効性を確認し、1977年度予算において40基の調達を計画した。また1970年度から建造されていたスプルーアンス級駆逐艦は、51番砲を換装することを見越した設計となっていた。しかし米会計監査院(GAO)は命中精度を問題視し、また40基で7億1,800万ドルという巨額な予算を要することもあって、1979年に入って海軍は調達を断念し、「ハル」に搭載されたものも翌1980年までのオーバーホールによって元のMk.42砲に戻される形で撤去された。
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