基地の崩壊と計画の中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 09:58 UTC 版)
「V3 15センチ高圧ポンプ砲」の記事における「基地の崩壊と計画の中止」の解説
戦局は徐々にドイツにとって不利となった。イギリス空軍は1940年のドイツ空軍との制空権争い(バトル・オブ・ブリテン)に勝利しており、それ以降の制空権は連合軍が優勢となった結果、1943年のフランス各地ではイギリス空軍による空襲が多発した。そして、1944年に入ると、イギリス空軍の第617飛行隊に配備されているランカスター爆撃機により、ミモイェークにある地下工場もV1飛行爆弾基地などと同様にトールボーイ地震爆弾などで徹底的に破壊されてしまった。 かろうじて東側の砲台は生き残るが、その後の連合軍によるノルマンディー上陸作戦によるフランスからのドイツ軍撤退により、V3によるロンドン砲撃はもはや不可能となった。さらに、ヒトラー自身の関心もV2ロケットなどの長距離弾道弾などに移行し、ついにV3によるロンドン砲撃計画は中止となった。
※この「基地の崩壊と計画の中止」の解説は、「V3 15センチ高圧ポンプ砲」の解説の一部です。
「基地の崩壊と計画の中止」を含む「V3 15センチ高圧ポンプ砲」の記事については、「V3 15センチ高圧ポンプ砲」の概要を参照ください。
- 基地の崩壊と計画の中止のページへのリンク