基地の確保
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/23 23:29 UTC 版)
「ガレー船時代の海戦戦術」の記事における「基地の確保」の解説
海岸に食料を蓄えたり、乗員が休息を取る基地を確保する必要があったため、大がかりな作戦行動の場合、準備に時間がかかった。また、敵を待ち構えたり港を監視する場合は、近くの海岸に拠点を確保し、軍船を引き上げて待機した。そのような拠点を確保することによりシラクサのコリント同盟はアテネ艦隊を捉えることができた。古代ローマはリリバウムの監視で同じことをやったが、ロードス島のハンニバルはローマ艦隊が出撃する前に海上封鎖を脱出した。ノルウェー人は船を海岸に引き上げ、柵で囲った上で内陸に進軍した。ホメロスの時代のギリシアも同様で、他にやり様が無かったと言える。1285年のルジェッロ・ディ・ラウリアは、フランス軍が見え通り過ぎるまで、ホルミガスの海岸にガレー船を止めて待った。1350年、イングランド王エドワード3世はスペイン艦隊が視界に入るまでウィンチェルシーに留まっており、レパントの海戦での神聖同盟軍は最後の瞬間までドラゴネラ近くに碇を降ろしていた。
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