正力松太郎 正力を演じた俳優

正力松太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 00:28 UTC 版)

正力を演じた俳優

評伝

  • 長尾和郎『正力松太郎の昭和史』実業之日本社、1982年
  • 波多野勝『日米野球の架け橋 鈴木惣太郎の人生と正力松太郎』芙蓉書房出版、2013年

関連項目

脚注

参考文献

  • 自伝 『正力松太郎 悪戦苦闘』〈人間の記録〉日本図書センター、1999年(復刻新版)
  • 佐野眞一 『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀文藝春秋、1994年、文春文庫(上・下)、2000年
  • 柴田秀利 『戦後マスコミ回遊記』 中央公論社、1985年、中公文庫(上・下)、1995年
  • 春名幹男 『秘密のファイル CIAの対日工作』(上・下) 共同通信社、2000年、新潮文庫、2003年
  • 神松一三 『「日本テレビ放送網構想」と正力松太郎』 三重大学出版会、2005年
  • 有馬哲夫 『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』 新潮社、2006年、宝島社・文庫、2011年
  • 有馬哲夫 『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』 新潮新書、2008年
  • 有馬哲夫 『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』 平凡社新書、2008年
  • 有馬哲夫 『CIAと戦後日本』 平凡社新書、2010年
  • Richard Krooth, Morris Edelson, 福来寛(カリフォルニア大学サンタクルーズ校教授)共著"Nuclear Tsunami: The Japanese Government and America's Role in the Fukushima Disaster" Lexington Books, 2011年
  • 『ニューズウィーク日本版別冊 激動の昭和』TBSブリタニカ、1989年。 
  • 時事通信社時事年鑑』《大正9年版》時事通信社、1920年https://dl.ndl.go.jp/pid/3018570/1/394 

外部リンク

公職
先代
創設
宇田耕一
科学技術庁長官
初代:1956年5月19日 - 同12月23日
第4代:1957年7月10日 - 1958年6月12日
次代
三木武夫
先代
創設
宇田耕一
総理府原子力委員会委員長
初代:1956年1月1日 - 同12月23日
第4代:1957年7月10日 - 1958年6月12日
次代
宇田耕一
三木武夫
先代
大久保留次郎
国家公安委員会委員長
第8代:1957年6月10日 - 1958年6月12日
次代
青木正
先代
大久保留次郎
北海道開発庁長官
第11代:1955年12月22日 - 1956年12月23日
次代
石橋湛山(事務取扱)

注釈

  1. ^ 同級生に河合良成小松製作所会長)、品川主計読売ジャイアンツ代表)など
  2. ^ この時、団体戦で四高は三高に押されて負けムードが漂っていたが、大将である正力が巴投で二段の相手から逆転の一本勝ちをし、四高は優勝した。なお、この時正力自身は白帯だった
  3. ^ 巴投げを防がれた所からの送襟絞とする説あり[16]
  4. ^ 河合、品川のほか、重光葵(外相)、芦田均(首相・外相)、石坂泰三(経団連初代会長)などが同級。柔道と参禅に打ち込んだ。学業の方はまったく振るわず、試験前になると級友のノートを借りるのが東大時代の正力のならわしとなっていた。品川をはじめとする級友たちの間では、「正力があんなにノートを借りまくるのは、自分が勉強するためではなく、ノートを貸した人間の成績を下げるためなのではないか」という悪評が広がった[17]
  5. ^ 巣鴨の正力は、娑婆にいる時と変わらぬ傍若無人ぶりで、同房者や収監者たちを閉口させていた。同房者を迷惑がらせたのは、まず正力の大イビキだった。そのイビキは雷鳴以上で、たまりかねた同房者が下駄で正力の枕下の床板を叩いても一向にやむことはなかった[21]
  6. ^ 『支倉事件』は、甲賀が正力の新社長就任に際して1927年に『読売新聞』に連載したもの。なお、登場人物名は仮名となっており、正力は「庄司利喜太郎」、また、被告人の弁護にあたった布施辰治は「能勢弁護士」となっている。
  7. ^ OSS出身で説明会と最も深く関わったのは、X-2部長の ジェイムズ・マーフィ である。1000万ドル借款をアメリカ政府から取り付けるための交渉など全般を担当する弁護士として、日テレに雇われていた。説明会にも主催者として直接関わり、出席もしていた[39]
  8. ^ 日テレで初の地方完全系列局で、務臺光雄が設立に関わった讀賣テレビ放送(読売テレビ。大阪市)の初代会長も務めた。
  9. ^ 2013年5月31日に地上デジタル放送の完全移行に伴い、NHKと他の在京キー局の基幹送信所は東京スカイツリーに再移転した。なお東京タワーは予備送信所としての機能に移行している。
  10. ^ カール・ムント米上院議員は、「VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)」構想を打ちたて、世界中で広まりつつあった共産主義の撲滅に乗り出した「プロパガンダの雄」である。1951年(昭和26年)8月13日、ムントは「日本全土に総合通信網を民間資本で建設する」と発表した。その翌年、正力はテレビ放送免許を取得、1953年(昭和28年)8月28日、日本テレビが開局した[43]

出典

  1. ^ 時事通信社 1920.
  2. ^ 『官報』第5781号、昭和21年4月25日。
  3. ^ . 読売巨人軍公式サイト. https://www.giants.jp/G/museum/g_history/+2020年4月6日閲覧。 
  4. ^ 「プロ野球の父」正力松太郎氏 「原子力の父」という一面も│NEWSポストセブン、閲覧2017年6月30日
  5. ^ a b 正力松太郎(しょうりきまつたろう)とは”. コトバンク. 2020年1月1日閲覧。
  6. ^ 梨本宮・平沼・平田ら五十九人に逮捕命令(昭和20年12月4日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p341-p342 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  7. ^ CIA Records - Name Files
  8. ^ Research Aid: Cryptonyms and Terms in Declassified CIA Files Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Disclosure Acts
  9. ^ ティム・ワイナー「CIA秘録」文藝春秋
  10. ^ 角間隆 (1979). ドキュメント日商岩井. 徳間書店 
  11. ^ 川端治 (1963). 自民党 その表と裹. 新日本出版社 
  12. ^ アメリカ国立公文書記録管理局によって公開された外交文書(メリーランド州の同局新館に保管)で正力とCIAの関係が明らかに週刊新潮2006年2月16日号参照
  13. ^ 杉山隆男『メディアの興亡』(文藝春秋、1986年)349ー350頁。
  14. ^ a b c d e f g h i j k 佐野眞一著『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』19頁
  15. ^ 佐野眞一著『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』23頁
  16. ^ 嘉納治五郎師範の教え、講道館の殿堂、正力松太郎、講道館HP、閲覧2017年11月14日
  17. ^ 佐野眞一著『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』25頁
  18. ^ 記憶を刻む: 正力松太郎(震災当時・警視庁官房主事、後に読売新聞社主)
  19. ^ a b c 激動の昭和 1989, p. 28.
  20. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、52頁。
  21. ^ 『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』517-518頁
  22. ^ a b CIA Operative Daniel Stanley Watson and CIA Informant Hidetoshi Shibata Richard Krooth, Morris Edelson, Hiroshi Fukurai共著"Nuclear Tsunami: The Japanese Government and America's Role in the Fukushima Disaster" Lexington Books, 2011年, p18-
  23. ^ a b 日本 原発災害はCIA冷戦戦略から始まった ハンギョレ新聞、2011.10.01
  24. ^ 後藤田正晴 (1998). 情と理<上>. 講談社. pp. 156-157 
  25. ^ 名誉市民”. 高岡市. 2022年8月14日閲覧。
  26. ^ 射水市の名誉市民”. 射水市. 2022年8月14日閲覧。
  27. ^ 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、195頁。NDLJP:11954641/110 「第3章 激動期の日本テレビ放送網 9.正力会長の急逝」
  28. ^ a b 読売サッカークラブ~東京ヴェルディ40周年記念誌発行委員会 編『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ~ヴェルディの40年』東京ヴェルディ1969フットボールクラブ、2010年、3,8-12,15,31,54,55頁。 
  29. ^ a b 成田十次郎『サッカーと郷愁と 戦後少年のスポーツと学問の軌跡』不昧堂出版、2010年、105-107頁。ISBN 978-4-8293-0481-5 
  30. ^ a b 高校サッカーと民放テレビ - サロン2002オフィシャルサイト-7頁、3月例会報告 -「サロン2002in岡山」 - サロン2002オフィシャルサイト(archive)
  31. ^ a b スポーツナビ|サッカー|トヨタカップを呼んだ男たち 第2回 坂田信久(archive)
  32. ^ 正力松太郎が囲碁殿堂入り―第15回囲碁殿堂表彰委員会で選出― 日本棋院
  33. ^ 木村愛二. “(8-2)「朝鮮人暴動説」を新聞記者を通じて意図的に流していた正力”. www.jca.apc.org. 2019年7月31日閲覧。
  34. ^ ナターシャ・スタルヒン著「ロシアから来たエース」(PHP文庫)
  35. ^ NHK「こだわり人物伝
  36. ^ 『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文藝春秋、1994年)
  37. ^ 読売新聞社長、暴漢に襲われ重傷『中外商業新報』昭和10年2月23日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p287 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  38. ^ 襲撃犯人に懲役3年の判決『中外商業新報』昭和10年6月13日夕刊(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288)
  39. ^ 有馬哲夫 『日本テレビとCIA-発掘された「正力ファイル」』 新潮社 2006年10月 pp.14-31.
  40. ^ http://www.f.waseda.jp/tarima/NTV%20and%20CIA.htm
  41. ^ Truman Library - Truman Papers: Psychological Strategy Board Files
  42. ^ Foreign Relations of the United States, 1964–1968, Volume XXIX, Part 2, Japan - Historical Documents - Office of the Historian
  43. ^ ベンジャミン・フルフォード『ステルス・ウォー』 講談社 2010年3月 ISBN 9784062161244, Page238
  44. ^ 有馬哲夫『日本テレビとCIA』、新潮社、2006年
  45. ^ a b c d 佐野眞一著『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』21頁
  46. ^ a b c d 佐野眞一著『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』27頁
  47. ^ a b c 佐野眞一著『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』175頁
  48. ^ a b c 佐野眞一著『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』447頁
  49. ^ a b c d e 佐野眞一著『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』445頁
  50. ^ 関根利子さん死去 よみうりランド社長関根達雄氏の母 共同通信47News 2007年9月25日閲覧
  51. ^ a b c d e 佐野眞一著『巨怪伝 下 正力松太郎と影武者たちの一世紀』394頁


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