安部一郎とは? わかりやすく解説

安部一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 15:23 UTC 版)

安部 一郎(あべ いちろう、1922年11月12日 - 2022年2月27日)は、日本柔道家講道館十段。


注釈

  1. ^ 安部が後々まで師と仰ぐ佐藤は、旧制安房中学校(現・千葉県立安房高校)から東京高等師範学校を卒業し、群馬に教員として赴任。内股と左右の出足払に長けていたという。
  2. ^ 本来はソウルではなく満州方面へ向かう予定であったが、ソ連が参戦してきたために急遽列車でソウルに行く事となった経緯があり、安部は後に「満州へ渡っていたら(シベリア抑留の可能性もあり)帰国が数年遅れていた」「運が良かった」と語っている。
  3. ^ 旧制岸和田中学校は安部が赴任して1年後に学制改革に一環で近隣の女学校と合併・再編があり、播本は府立岸和田高校へ、安部は府立和泉高校に籍を置く事となった。
  4. ^ のちに採用試験を受け合格後に警察学校を経て警察官となることになったが、当時は警察署長の独断で採用できる時代であった。
  5. ^ フランスではその後、川石式派が牛耳るフランス柔道連盟から講道館派が分裂して講道館柔道フランス連盟を設立。安部がフランスを去って約1年後にはフランス政府の斡旋で連盟の1本化が図られ、講道館柔道が正式採用された関係で川石式柔道は崩壊した。
  6. ^ それまでの昇段規定は表記が曖昧で、解釈1つで如何様にも捉えれる面があったが、嘉納治五郎の作った段位制度の権威を守るためにも本家・日本の規定を確立しておく必要があると考えた安倍は、試合相手と試合内容による点数を明確かつ具体的にするために7,8回もの改定を行ったという。
  7. ^ この時に安部と同じく九段となったのは、羽鳥輝久、宮川善一、醍醐敏郎橋元親湊庄市、高嶋吉次郎、川村禎三大沢慶己夏井昇吉の9名[5]
  8. ^ この時、大沢慶己醍醐敏郎を含め3人が十段となった。鏡開式の2日前(1月6日)に嘉納行光館長より呼び出されて「君達を十段にすると決めた」と伝えられ、安部はその時の心境を「唖然としたというのが本音だった」と後に語っている[3]。それまで十段位を受けた柔道家は12人(いずれも故人)のみで、安部ら3人を含めても講道館の万余の門生の中で僅か15人(12万人に1人)という希少な称号である[6]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah 宮崎淳 (2012年4月1日). “講道館柔道十段物語 第13回安部一郎 -欧州柔道発展に貢献-”. 機関誌「柔道」(2012年4月号)、7-20頁 (財団法人講道館) 
  2. ^ a b c d 工藤雷介 (1965年12月1日). “七段 安部一郎”. 柔道名鑑、70頁 (柔道名鑑刊行会) 
  3. ^ a b c d e f g “新十段に聞く スペシャルインタビュー(1) –安部一郎10段-”. 近代柔道(2006年3月号)、34-35頁 (ベースボール・マガジン社). (2006年3月20日) 
  4. ^ 安部一郎 (2003年3月1日). “故 川村禎三九段の死を悼む”. 機関誌「柔道」(2003年3月号)、68-69頁 (財団法人講道館) 
  5. ^ a b 安部一郎 (1992年6月1日). “講道館創立百十周年記念九段昇段者および新九段のことば”. 機関誌「柔道」(1992年6月号)、43-44頁 (財団法人講道館) 
  6. ^ 竹園隆浩 (2006年3月7日). “十段 柔道、12万人に1人 22年ぶり3人”. 朝日新聞 (朝日新聞社) 
  7. ^ "講道館10段の安部一郎氏が死去 柔道最高位、存命は1人に". デイリースポーツ. 神戸新聞社. 28 February 2022. 2022年3月1日閲覧


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