柔道との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 05:36 UTC 版)
秋田県の生まれ。両親が山形県の産であったため本籍は暫く山形県西村山郡谷地町にあった。父親が農林省(現・農林水産省)に勤める国家公務員であった関係で安部は幼少時より宮崎県や岐阜県など日本各地を転々とし、中学校の入学時には群馬県の前橋市に住んでいた。 旧制前橋中学校(現・県立前橋高校)に入学すると体育のほかに軍事教練や武道の授業があり、武道は剣道と柔道のどちらかを選択することになる。当時の安部は体型的には剣道の方が向いてると自認しつつも、剣道の防具より柔道衣の方が親に金銭的負担を掛けずに済むという理由で柔道を選択したことが柔道との出会いであった。それでも当初、警察官OBの柔道教員が授業を担当していた時には柔道へ興じる事は無かったが、2年生になり東京高等師範学校を卒えたばかりの佐藤茂が教員として赴任してきて授業を受け持つようになると、その上手な教え方に魅かれ、俄然柔道が楽しくなった安部は授業だけでは飽き足らず、先生や先輩からの勧誘もあって柔道部に入部した。同じ頃には同級生10人も一緒に入部しており、「柔道はこんなに素晴らしいものなのかと思い始めた」と語っている。5年間の師範学校生活で安倍は3年次に団体戦のレギュラーとなり、同年の県大会では準決勝戦で群馬師範学校と相見えると、制度の都合で2学年上のメンバーが顔を揃える相手との試合であったが安倍は首尾よく引き分けに持ち込んだ。チームは大会3位に終わったものの、「先輩が全員敗れる中で自分は引き分ける事ができ、そこでまた自身が出て柔道が面白くなった」と安倍。またこの頃、東京高師では夏休みに全国の中等学校から生徒を集めて1週間の講習会を行っており、佐藤に引率されて参加した安部は、 ここで永岡秀一や橋本正次郎、大滝忠夫、松本芳三らの薫陶を受ける機会を得た。
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