柔道とウェイトトレーニング
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日本に本格的な筋力トレーニングが伝えられたのは、1900年頃であり、柔道の創始者である嘉納治五郎の功績が大きかったと言われている。嘉納は「柔道の創始者」のみならず、「日本近代筋力トレーニングの父」とも呼ばれている。 嘉納は、世界に柔道の普及活動を行う中で渡欧中、ヨーロッパにて近代トレーニングの父と呼ばれるユージン・サンドウが著した筋力トレーニングの書籍『Sandow's System of Physical Training』(1894)に出会い共鳴している。その効用を実感した嘉納は講道館の雑誌「國士」にて連載し紹介した。当時この連載は好評となり、1900年には嘉納は『サンダウ体力養成法』を造士会から出版するに至っている。嘉納は柔道界のみならず国民へもその体力養成法を推奨し、サンドウが体操に用いた手具(鉄亜鈴)などの販売、宣伝も行った。 また1933年(昭和8年)、IOC委員としてウィーン会議に出席していた嘉納はその帰途、オーストリアから正式なバーベル一式を購入、輸入した。このバーベルは、当時、東京・代々木にあった文部省体育研究所に運ばれ、ウエイトリフティングの技術研究と練習が行われ、普及のための講習会も開かれた。 嘉納の活動・翻訳本は日本のボディビル界の祖、若木竹丸などにも影響を与え、若木がウエイトトレーニングに目覚めたきっかけにもなっている。柔道家木村政彦などもその先見性から若木からウェイトトレーニングの指導を受けている。 このように嘉納は筋力トレーニングの有効性を理解し紹介していたが、柔道界において暫くはあまり広く普及せずあまり重視されてこなかった。 その理由として、「柔道の稽古自体が筋力トレーニングになっている」こと、「柔道で使う力と筋トレで養われる力は違う」という意見、「柔能く剛を制すが正しい柔道である」という考え方が影響していたと言われている。また、当時は体力に勝る外国人にも日本人の持っている技術が十分通用したということも挙げられる。 しかし嘉納の目指した柔道の精神「精力善用」は「柔の理」「柔能制剛」を発展させたものであり、剛も内包するバランスの取れた一種の柔剛一体であると言えるものであった。 また、やがて柔道が世界中に広がり、外国人が技を身に付けるようになってくると、色々な戦略を取れるようになり、日本人は国際大会で苦戦するようになってくる。「技は力の中にあり」というように基本の技が身に付いた上級者同士の戦いになると、今度は力が勝敗を分ける一因となり技を活かすために力が必要になってくる。 日本柔道界への筋力トレーニングの本格的な導入は、1988年ソウルオリンピックの惨敗を受けて、大会終了後に強化委員会が開かれ、敗因について徹底的に議論が行われた際、外国人選手と比較し基礎体力が劣っているという敗因の分析の結果、東海大学教授の有賀誠司をストレングスコーチとして招聘したことから始まる。また2012年ロンドンオリンピックの惨敗をきっかけに発足した監督を井上康生とした全日本男子柔道の体制では、より精度の高い科学的見地に基づいたフィジカルトレーニングを導入するに至っている。計画的体系的な筋力トレーニング、栄養、データ分析の強化など指導に医科学も取り入れた強化を進めた。 そこでは、体力面で負けないトレーニングを導入するとして、トレーニング目標として次のような方針を掲げた。 世界の強豪相手にパワーとスピード負けしないための総合的な筋力を身に付け、屈強な身体を作る。 個人、階級に応じた体力強化をはかる。技や動きの特徴を生かし、弱点を補うような筋力をつける。 試合で使える筋持久力を養う。 ケガ防止と予防のために身体を作る。 2016年リオデジャネイロオリンピックの柔道で日本は1大会で最多となる男女計12個のメダルを獲得した。
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