柔道における修心活動 文化会、啓蒙雑誌、講演活動
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「嘉納治五郎」の記事における「柔道における修心活動 文化会、啓蒙雑誌、講演活動」の解説
講道館柔道の創設者の嘉納治五郎は、教育者としても第一人者であり、学習院教授・教頭、第五高等学校(のちの熊本大学)校長、第一高等学校(のちの東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部)校長、東京高等師範学校(東京教育大学を経たのちの筑波大学)校長、文部省などの学校教育に関わる傍ら、日本傅講道館柔道を創始し活動を広げていった。その一方で親類や知人の子弟を預かり、嘉納が彼らと共に生活をしながら指導教育を行う私塾活動を行った。 1882年創立の嘉納塾以降、1888年善用塾、成蹊塾、1900年全一塾と対象年齢毎の私塾を展開していく。そこでは知育、徳育、体育のどれにも偏らない教育を塾の方針とし、そこから杉村陽太郎、高島平三郎、南郷次郎、嘉納徳三郎、苫米地英俊など様々な各方面に活躍する多くの卒業生が巣立っている。 また1898年に嘉納は嘉納塾以外の私塾を統合して造士会を創立し、1915年に柔道会、1922年に講道館文化会の創立をし、教育薫陶、世の中に有益な人物の輩出を目的として対象を広げていく。 1898年の「造士会創立の趣旨」において造士会の事業として、 塾舎を設けて子弟を教育薫陶する 講道館柔道やその他の武芸体操を教授する 雑誌を刊行して本会の趣旨の貫徹を図る とある。 1915年の「柔道会創設の趣旨」において、「講道館と連携し、柔道会を設け柔道のみならず人間形成に役立てる」とし、具体的には「柔道の本義や修行の方法をさずけるだけでなく、役に立つ人間乃ち有数健全なる国民の育成を目指す」「雑誌・図書の刊行、講演会・講習会の開催、柔道の奨励・指導を行う」としている。 1922年の「講道館文化会」の目的としては、 個人に対しては身体強健、知徳の練磨、社会において有力なることとする。 国家に就いては、国体を尊び歴史を重んじ、その隆昌を図ろうとするため常に必要な改善を怠らない。 社会にあっては個人団体ともお互いに助け合い譲り合い、融和を実現する。 社会においては人種的偏見をせず、文化の向上、人類の共栄を図る。 とした。 そして、雑誌の発刊として、私塾教育においては嘉納塾の機関紙『嘉納塾同窓会雑誌』を発刊し、造士会においては『國士』、柔道会においては『柔道』・『有効之活動』、講道館文化会においては『大勢』・『柔道界』・『柔道』・『作興』とその時期その時期で対象読者を上げてテーマを広げ、目的ごとに使い分け、改題しながらも活動を続けていく。 雑誌刊行の目的として嘉納は「講道館柔道の修行者として、さらに多方面にも修養の資料となるべき雑誌を発行したならば、これによりて継続的に、秩序的に、柔道に関する自分の考えを示すことができる。さらにこの仕事に加えて、適当なる機会を利用して、講道館において話をしたならば、やや教育が行き渡るであろう」と述べている。 雑誌の講述において嘉納の扱うテーマは多岐にわたり、その内容は、 技や技術、また試合をも含める修行の仕方について理想を説くもの。 日常生活を通じての修養や訓育に関するもの。 国家や社会の問題を指摘し、見解と訓育を述べるもの。 に大別することが出来る。
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