南郷次郎とは? わかりやすく解説

南郷次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 02:06 UTC 版)

南郷 なんごう 次郎 じろう
生誕 1876年12月21日
日本東京府
死没 (1951-03-05) 1951年3月5日(74歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1898年 - 1924年
最終階級 海軍少将
除隊後 講道館長
墓所 豊島区染井霊園
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南郷 次郎(なんごう じろう、1876年明治9年)12月21日 - 1951年昭和26年)3月5日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将講道館長(第2代)

経歴

東京府出身。南郷茂光の長男として生まれる。学習院海軍予科を経て、1898年(明治31年)12月、海軍兵学校26期)を卒業し、1900年(明治33年)1月、海軍少尉任官。日露戦争に第4艇隊艇長として出征し、さらに第1艇隊に属する第67号艇長として日本海海戦に参戦した。1905年(明治38年)12月、海兵幹事に就任。海軍大学校乙種学生、海軍水雷学校高等科学生として学び、1907年(明治40年)9月、「初霜駆逐艦長となり、「鹿島水雷長心得を経て、1908年(明治41年)9月、海軍少佐に昇進し「常磐」水雷長に就任。水雷学校教官を経て、1910年(明治43年)11月、海軍大学校(甲種8期)を卒業した。

1910年12月、「薩摩」水雷長となり、海兵教官を経て「浅間」副長として第一次世界大戦に出征した。1913年(大正2年)12月、海軍中佐に進級。1916年(大正5年)2月から東伏見宮依仁親王付武官を務め、1917年(大正6年)12月、海軍大佐に昇進。

1919年(大正8年)2月、「春日艦長に就任し、以後、「香取」艦長、軍令部副官、軍令部出仕を歴任。1922年(大正11年)12月、海軍少将に進み佐世保防備隊司令に就任した。1923年(大正12年)12月、待命となり、1924年(大正13年)2月、予備役に編入された。

講道館の創始者である嘉納治五郎の甥である縁から、海軍退役後に講道館第2代館長を務めた。

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

脚注

  1. ^ 『官報』第4989号「叙任及辞令」1900年2月21日。
  2. ^ 『官報』第5539号「叙任及辞令」1901年12月18日。
  3. ^ 『官報』第6142号「叙任及辞令」1903年12月21日。
  4. ^ 『官報』第7640号「叙任及辞令」1908年12月12日。
  5. ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
  6. ^ 『官報』第1647号「叙任及辞令」1918年1月31日。
  7. ^ 『官報』第3126号「叙任及辞令」1923年1月4日。
  8. ^ 『官報』第3483号「叙任及辞令」1924年4月7日。
  9. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。p8下段
  10. ^ 『官報』第539号「叙任及辞令」1914年5月18日。
  11. ^ 『官報』第1084号・付録「叙任及辞令」1916年3月15日。p16四段目
  12. ^ 『官報』第2581号・付録「叙任及辞令」1921年3月12日。p5
  13. ^ 『官報』号外「辞令」1922年6月8日。p8
  14. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  15. ^ a b c d 『官報』第3369号「叙任及辞令」1919年1月24日。

参考文献





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