二代目講道館館長南郷次郎の理想
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「講道館」の記事における「二代目講道館館長南郷次郎の理想」の解説
嘉納治五郎の死去(1938年5月4日)後、嘉納の甥であり、海軍軍人でもあった南郷次郎が二代目講道館館長に就任(1938年~1946年)した。教育者であった嘉納の理想としてあった武術と体育と教育と社会貢献の融合に対して、南郷次郎は、特に嘉納の武術論を継承した。生前、嘉納は武術としての柔道という観点でボクシング、唐手、合気柔術、棒術、レスリングといった多くの武術を研究しその必要性を説き、講道館の創立50周年を迎えた昭和7年(1932年)には以下のように述べている。 「柔道はその本来の目的から見れば、道場に於ける乱取の練習のみを以て、満足すべきものでないといふことに鑑み、形の研究や練習に一層力を用ひ、棒術や剣術も研究し、外来のレスリングやボキシングにも及ぼし、それ等の改良を図ることに努めなければならぬ」」。 南郷の武道技術論においては、いずれも柔道の武術性が重視されているが、そこには南郷自身が軍人としてあったアイデンティティに加え、当時日本における戦時体制下の緊張感があった。
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