武術論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 22:00 UTC 版)
武術における攻防においては、頭で考えてから動作をしては間に合わない。攻防の中では相手に左右されず技が自由に出るレベルまでレベルを高めなければならない。そのようなレベルになるためには心と技と身体がひとつになった状態、統一体を作り出す必要がある。統一体になった人間はもてる潜在能力を最大限に発揮することができる。統一体を最も効率よい動作に導くものが身体脳であり、身体脳の開発は型の修練によって可能であると宇城はいう。型の稽古は身体を通した新たなる認識を生み出し、動きを高次元化してゆく。認識には以下のようなものがある。 身体の部分と全体との連動という認識 パワー的な力と異なった柔らかい力の認識 スピードと次元が異なった瞬発力の突きの認識 崩れない、正しい姿勢の認識 相手の力を読み、力をゼロ化する認識 型を繰り返すことによって技は無意識された動きまで高まり、超ハイスピードの情報処理と高度な対応が可能になる。型は誰がやっても同一になるべき不変のものであるが、それを習得することで各人がそれを応用し、独自の術技を生み出すことができるようになる。基本となるものが確立していてこそ高度な応用が可能になる。これを自分の形を作るという。組手や試合では型の動きがそのまま使えるわけではない。型を実際に使うためには技を型の中から引き出して自分の形を作り、外形と内形の統合をはかる必要がある。 宇城は武術稽古の絶対条件として以下の7つを挙げている。 「間を制す」 「相手に入る」 「相手を無力化する」 「相手と調和する」 「相手の二の手を封じる」 「組手が自在である」 「素手の心と剣の心を持つ」 宇城は力と力でぶつかり合うのではなく、力を衝突させずに相手を制することを重視し、そのような力をゼロの力と呼んでいる。ゼロの力によって力、スピード、反射神経に頼らずに相手に対応できる。ゼロの力は相手を無力化し、死に体とする力である。ゼロの力が効くと相手の意識と脳の働きがシャットダウンされることになる。その作用は三つに分類される。 「相手の力を吸収する」 「相手の力を返す」 「相手の力に対して貫通する」 武術稽古の上達段階としては5つの段階が挙げられる。剛の力を用いずに相手を無力化して対処するステップである。 「発剛含剛」力と力のぶつかり合い。 「発剛含柔」相手の技をずらすなど外見は剛でも柔らかさが出てくる。 「発柔含剛」内面は剛で受け止め外見は投げなどの柔で対処する。 「発柔含柔」柔で受けて柔で反撃する。 「発気含剛柔」相手を気で受け止め、コントロールする。
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