武術家の表彰と称号の制定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:11 UTC 版)
「大日本武徳会」の記事における「武術家の表彰と称号の制定」の解説
称号の始まりは、明治28年(1895年)に結成された武徳会が、同年結成記念第1回武徳祭の大演武会に際し、優れた演武をした者に対し精錬証を授与したのに始まる。武徳会は、毎年大演武会を行い、それに出場した武術家から、武術の保存・奨励に努力してきた人物を表彰する制度を設け、「精錬証」と名付けた表彰を行った。 1902年(明治35年)6月3日に「武術優遇令」が制定され、1903年(明治36年)には、武徳会員で武術・武道を鍛錬する者の地位を表示するために、武術家優遇例として範士・教士の最上位の称号が設けられ、精錬証は教士の下位の称号となった。そして、1934年(昭和9年)には、精錬証を廃止して錬士の称号が制定された。「武術優遇令」では最上位称号の範士には終身年金が送られた。 「武術優遇令」は、1918年(大正7年)4月に「武道家表彰例」と改称され、さらに「武道家表彰例」は1934年(昭和9年)3月に改正が行われ、精錬証授与者を指して「錬士」号と改めた。戦前の昭和17年(1942年)まで一万人を超える各種武術家に称号が授与されている。 1942年(昭和17年)までに、剣道、柔道、弓道、銃剣術、居合術、遊泳術、薙刀術、杖術、槍術、棒術、捕縄術、鎖鎌術、鉄扇術、空手術などの各種武術家約1万名に称号が与えられている。 武徳会によって定められた範士・教士・錬士の称号は、のちの全日本剣道連盟や全日本弓道連盟が発行する称号に引き継がれている。
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