二代目鈴木岩治郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:09 UTC 版)
1877年(明治10年)に初代とよねの長男・徳治郎として生まれる。初代の没後、家督を継いで二代目鈴木岩治郎となる。1923年(大正12年)に、台湾銀行の主導により鈴木商店は持ち株会社的な「鈴木合名会社」」と事業会社としての「株式会社鈴木商店」に分割され、二代目岩治郎は「鈴木合名」の筆頭理事社員、「株式鈴木」の副社長に就任。 1918年 (大正7年)、柳原義光を社長に担ぎ上げ、鈴木商店幹部の金子直吉らとともに大正生命保険会社重役に就任。1919年 (大正8年)には、台湾に不動産開発の日本拓殖株式会社を設立。 1926年(昭和元年)時点で、鈴木グループ各社(神戸製鋼所、沖見初炭鉱、日本教育生命保険、東洋燐寸、大正生命、日本拓殖、帝国汽船、浪華倉庫、日本商業)の役員を兼任していた。
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