武道における礼法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 02:43 UTC 版)
武道の礼法が意識されたのは、江戸時代中期頃と推測される。幕末明治期には、蹲踞礼と折敷礼の礼法が確立していた。一方、西洋式の軍事訓練が日本に流入すると、直立不動の姿勢が普及し、武道界でも受け入れられていった。武道の礼法は一見古いように見えるが、実は明治末から大正・昭和にかけて和洋を折衷したり、国際的な基準に従ったりして、伝統を再構成したものである。 例えば、柔道においては、1940年の礼法制定までは礼法そのものは重んじられていたものの、所作は厳密でなかった。しかし、稲葉太郎による礼法批判や南郷次郎の礼法普及方針に伴い、講道館と大日本武徳会が修行者礼法を制定し、1940年の修行者礼法では神道的で軍事的な不動の姿勢が採り入れられた。1942年12月に右座左起が左座右起に改められたのも、戦中の神社作法改正に合わせた動きであった。敗戦後しばらく経った1967年には、学生選手の試合態度を是正するという理由で、試合礼法が制定された。
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