柔道と空手道の道衣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 09:34 UTC 版)
柔道は当初は柔術の稽古着を着て稽古していたが、その形状は広袖で肘まで、下袴も短く腿の辺りまでしかなかった。擦傷がたえなかったため、1907年(明治40年)頃、嘉納治五郎は従来のものに洋服の要素を取り入れて袖と裾の長い柔道衣を作成し、現在のように改良され稽古するようになった。この改良により、技の範囲も広くなり、投げ技の進歩を助長した。大日本武徳会においても(講道館)柔道が採用されていたことから、当時武徳会に参画していた古流柔術諸流派にも新しい形状の道衣は逆輸入の形で導入され、また以降成立することになる他武道にも採用され影響を与えることになる。1922年、嘉納治五郎がプロデュースし、船越義珍に依頼して、講道館で空手(唐手)の演武、指導をした時に義珍が着用していたのが柔道衣である。その後、空手は動作も稽古内容も柔道とは違う為、柔道衣から徐々に改良がなされ、今のような空手道衣が誕生した。このように一般には別々と思われている柔道と空手道ではあるが、道衣において共通点が存在しているのは、そのためである(詳細は空手道#空手道衣)。 柔道衣の色は基本的に白のみとされている。しかし、試合で両選手とも白の柔道衣では観客にとって見分けがつきにくいという問題があったため、1997年に国際柔道連盟はカラー柔道衣の導入を決定し、それ以来国際大会では青の柔道衣が使われるようになり、日本で開催する時も国際試合に限り青の柔道着を着用を認めている。これに対し、日本はカラー柔道衣の導入に反対しているため、国内大会では白の柔道衣のみが使われている。 カラー柔道着の導入を巡る検討段階では、青以外にも赤・緑・黄などの様々な色・ナショナルカラーの柔道着の着用を自由に認めるようヨーロッパの柔道連盟など賛成の立場の国は強硬に迫った。最終的には見分けが付けばいいと言う事と、日本などの反対する立場の国々への配慮から、青のみの導入にとどまった。 詳細は「カラー柔道着」を参照
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