柔道で禁止技となった経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 06:08 UTC 版)
蟹挟での負傷例は非常に多く、禁止技にするかをたびたび議論されていた。 この技は、後方に倒された時よりも、仕掛けられて倒れるのを嫌いこらえる時の方が、膝関節や靭帯を損傷する可能性が高いためである。 1980年の全日本選抜柔道体重別選手権大会で、遠藤純男が蟹挟を仕掛けた時に、山下泰裕が左脚腓骨を骨折し大きな反響を呼んだ。負傷棄権で引き分けとなったので山下の連続不敗記録は止まらなかった。これを機に反則でない技で負傷棄権した場合、負傷者の負けとなることとなった。山下の骨折から二か月後に全日本柔道連盟[要出典]の委員会が開かれ、蟹挟の是非について検討され禁止賛成派と反対派に別れた。 詳細は「山下泰裕」を参照 禁止賛成派の意見 現在のビニール畳は足が滑らず危険である 柔道が危険なスポーツと思われるのは好ましくない 負傷は事実上の「負け」であり、相手を負傷に追い込んで勝つという手段に用いられる 禁止反対派の意見 合理的に掛ければ負傷することはまずない 掛けられた方の対応が未熟である 柔道の伝統が失われる といった具合で結論が出ず、暫定的に講道館ルールでは「少年男子」の部は禁止とし、「成年男子」は従来通り認めるということになった。罰則は「反則負け」となった。1985年には女子で禁止となった。罰則は「警告」となった。当時、日本では講道館ルールの大会も多く、国際柔道連盟 (IJF) ルールでは女子も禁止ではなかったので日本人女子柔道家が国際試合で蟹挟で負けることが度々起きた。1989年、成年男子では禁止するかどうかは各大会主催者に任せることになった。罰則は「警告」となった。その後1994年までにIJFルールで男女において蟹挟は「警告」の禁止技となった。1998年にIJFルールでの重大な違反の一つ「特に頸や脊椎・脊髄など、相手を傷つけたり危害を及ぼしたり、あるいは柔道精神に反するような動作をする。」の附則で禁止技となり罰則は「反則負け」となった。2018年から『国際柔道連盟試合審判規定』に蟹挟の禁止が明記される。上村春樹は、蟹挟と体を捨てる腕挫腋固が禁止技となったせいで、片手だけで組んで技をかける変則変形柔道が増えている、との意見を持っている。 七大学柔道では「昭和57年(1982年)7月17日より施行」と記載された審判規定ですでに禁止技となっている。罰則は「反則負け」。
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