柔道での膝十字固め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 17:31 UTC 版)
1921年7月の第8回全国高専大会、師範に就任して間もない金光弥一兵衛の高専柔道六高と大会7連覇により勇名を轟かせこの大会に向けて更に小田常胤をコーチに据えて「死んでも勝つ」と8連覇を意気込む旧制第四高校(のちの金沢大学)が準決勝戦で激突する事となった。事実上の決勝戦との下馬評で午後3時から始まったこの試合は、六高側が繰り出した新技の「足の大逆」こと膝十字固めを発端として半ば乱闘騒ぎとなり、この技の取り扱いを巡って協議のため数時間の中断があった。四高側が禁止技の足緘と同じ技だと主張するのに対し、六高側は足緘とは別の技で禁止技には該当せず、その証拠に審判の磯貝一もこれを認めていると主張。 のちに高専柔道でも講道館柔道でも国際柔道連盟ルールでも膝十字固めは禁止技となった。1950年に日本で旗揚げした国際柔道協会のプロ柔道でも禁止技であった。
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