足緘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/09 04:47 UTC 版)
足緘 | |
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足緘のイラスト | |
分類 | 固技 |
下位分類 | 関節技 |
対象 | 脚 |
講道館 | 有 |
技名 | |
英語 | Leg entanglement |
足緘(あしがらみ)は、相手の膝を屈伸方向ではなく横方向に極める、もしくは膝を捻る、柔道の関節技である。講道館や国際柔道連盟 (IJF) での正式名。IJF略号AGR/P06。別表記足搦み、脚がらみ[1]。
概要
取は受の足元に仰向けに倒れて、受の右足を左脇に抱える。取は左脚を受の両脚の間に差し入れて、受の右脚の後、外側、前、内股へと絡める。取は受を取の右側に横倒しにして、左脚を伸ばすようにして受の右膝を極める。
1910年(明治43年)、旧制高等学校の一高と二高の対抗戦で足緘が使用され一高選手が膝関節を脱臼した。しかし、高専柔道においてはしばらく使用された[要出典]。一方、『月刊秘伝』誌は以後、高専柔道審判規程で足緘が禁じ手となった、としている[2]。1921年までには禁止技となった。1921年7月の第8回全国高専大会で膝十字固めが初めて使用され、禁止技の足緘ではないかと乱闘寸前の騒動となっている[3]。
1911年(明治44年)10月15日の講道館紅白試合を最後に足緘が禁止に[3][2]。講道館柔道試合審判規定において足緘は1916年に禁止となった[2][4]。大日本武徳会柔術試合審判規定では書籍『柔道大事典』によると1899年[5]、書籍『大日本武徳会武道専門学校一覧』によると1924年(大正13年)4月までに[6]、書籍『最新スポーツ大事典』によると1925年に禁止となる[1]。書籍『秘録日本柔道』は禁止になったのは講道館の前後だとしている[3]。
1985年、講道館は講道館固技名称を制定、発表するが禁止技にも拘わらず足緘が含まれていた。関節技の禁止技としては唯一であった。
ブラジリアン柔術では国際ブラジリアン柔術連盟、国際柔術連盟ともに禁止技である。サンボでも禁止技である。1975年の書籍『秘録日本柔道 改訂普及版』は、サンボではいまでも試合で使用されているとしている[7]。1950年に日本で旗揚げした国際柔道協会のプロ柔道でもライターの増田俊也によると禁止技であった[8]。一方で書籍『秘録日本柔道』は解禁になったとしている[9]。
補足
柔道界などでもハーフガードポジションのことを「足緘」、「足搦み」などと呼ぶ場合があるが異なる技である。
脚注
- ^ a b 日本体育協会(監修) 著、岸野雄三 編『最新スポーツ大事典』(初版)大修館書店、1987年6月1日、43頁。ISBN 4-469-06203-0。
- ^ a b c 編集部「群雄割拠の「柔道」新世紀 強力であるが故に・・・・・・生々流転の足関節技法」『月刊秘伝』、BABジャパン、2007年7月1日、21頁。
- ^ a b c 工藤雷介『秘録日本柔道』(第1刷)東京スポーツ新聞社、1973年5月25日、255-262頁。「学生柔道の伝統」
- ^ 小俣幸嗣、松井勲、尾形敬史『詳解 柔道のルールと審判法 2004年度版』大修館書店、2004年8月20日。ISBN 4-469-26560-8。
- ^ 嘉納行光、川村禎三、中村良三、醍醐敏郎、竹内善徳『柔道大事典』佐藤宣践(監修)(初版第1刷)、アテネ書房、日本、1999年11月21日。ISBN 4871522059。「大日本武徳会柔術試合審判規定」
- ^ 大日本武徳会武道専門学校 編『大日本武徳会武道専門学校一覧昭和二年』大日本武徳会武道専門学校、日本、1927年9月20日、31頁。「第十五條、(略)關節業中、指及ビ手首足首ノ關節業及ヒ足搦ハ勝敗ノ數ニ加ヘサルモノトス」
- ^ 工藤雷介『秘録日本柔道 改訂普及版』(第1刷)東京スポーツ新聞社、1975年9月20日、310頁。
- ^ 増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』新潮社、日本、2011年9月30日、275頁。ISBN 9784103300717。「関節技の場合頸椎及膝関節は禁ず。」
- ^ 工藤雷介『秘録日本柔道』(第1刷)東京スポーツ新聞社、1973年5月25日、250頁。
関連項目
外部リンク
- >> 「足緘」を含む用語の索引
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