日本のボディビル
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日本のボディビルは若木竹丸に始まる。若木はユージン・サンドウの著書に刺激され、1938年『怪力法並に肉体改造体力増進法』を出版した。1952年福島県で第1回日本大会開催。1955年頃から当時人気のプロレスとあいまって第一次ボディビルブームが起こり、広くボディビルが普及した。同年10月には「日本ボディビル協会」(現在の日本ボディビル連盟JBBF)が発足し、1956年第一回ミスター日本ボディビルコンテストが行われた。1967年にはIFBB世界大会に日本選手を派遣し、日本ボディビルが本格的に国際化する。その後もIFBBやNABBAの国際大会で日本選手が相次いで好成績を収めている。末光健一が1972年IFBBのMr.Universe ショートクラス優勝、須藤孝三が1975年1976年NABBA Mr.Universe ミディアムクラス優勝、杉田茂が1976年NABBA Mr.Universe アマチュア部門ショートクラス優勝1981年IFBB Mr.International ミドル級優勝、1982年日本ボディビル協会が日本ボディビル連盟に改組しIFBBに加盟。1983年には初の女性ボディビル全国大会である「ミス日本コンテスト」が開催された。飯島ゆりえが1988年女子世界選手権52kg以下級優勝、ワールドゲームズ1993に日本選手初参加、廣田俊彦が1997年ワールドゲームズボディビル部門ライト級優勝、水間詠子が1997年ワールドゲームズボディビル部門52kg以下級優勝、2002年アジア競技大会に日本選手初参加、小沼敏雄が2002年IFBB World Amateur Championships マスターズのライト級優勝している。(アジアを対象としたボディビル大会の優勝者は数が多いので記載を省略する。)2003年、山岸秀匡がIFBBプロカードを日本人初取得。2012年6月19日現在のボディビル連盟登録選手の競技人口は男3160人、女323人で、国内最大の大会の日本ボディビル選手権でも賞金は無く副賞としてプロテイン1か月分が授与される。2013年4月、社団法人日本ボディビル連盟は公益社団法人日本ボディビル・フィットネス連盟に改称した。2013年IFBB男子世界アマチュアボディビル選手権大会70kg級で田代誠が第三位で日本に17年ぶりにメダル表彰された。2016年IFBB男子世界アマチュアボディビル選手権大会80kg級で鈴木雅が優勝した。高校生以下のレベルも上がり相澤隼人が2017年IFBB世界ジュニア(23歳以下)ボディビル選手権大会で75kg以下級第5位になった。2020年5月4日、米ゴールドジムが経営破綻のニュースが入るが、日本を含め世界に700近く展開するフランチャイズ店舗は、米破産法申請の影響は受けないと説明している。
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