安部キミ子とは? わかりやすく解説

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安部キミ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 07:43 UTC 版)

安部 キミ子(あべ キミこ、1907年明治40年)7月12日[1] - 1996年平成8年)3月8日[2])は、日本の教育者政治家参議院議員(1期)。

経歴

左から一人おいて、安部キミ子、文藝峰。1960年、平壌市にて。

山口県[2][3]大津郡仙崎村(仙崎町を経て現長門市仙崎[1])で生まれる。仙崎小学校、山口県立深川高等女学校(のち山口県立大津高等学校)、文化服装学院本科を経て[1]、1938年(昭和13年)共立女子専門学校(現共立女子大学)本科を卒業した[1][2][3]。同年、防府市立実践女学校教諭に就任[1][3]。その後、母校の深川高等女学校教諭に転じた[1][3]

1946年(昭和21年)深川幼稚園、私立長門文化服装学院を設立して、園長、院長に就任[1][3]。公選で山口県教育委員に選ばれた[1][3]。また、日中友好協会理事、原水爆禁止日本協議会幹事、日本アジア連帯委員会常任理事、日朝協会副会長などを務めた[1][3]

1953年(昭和28年)4月の第3回参議院議員通常選挙山口県選挙区(定数1)から無所属で立候補して初当選した[2][4][5]日本社会党に所属して参議院議員を1期務めた[3]。1959年(昭和34年)の参院選で次点で落選した[4]

1976年11月の秋の叙勲勲三等に叙され、宝冠章を受章する[6]

1996年3月8日、死去した。88歳没。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『現代山口の百人 続』30頁。
  2. ^ a b c d 『現代物故者事典 1994~1996』25頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』231頁。
  4. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』506頁。
  5. ^ 参議院議員選挙 市川房枝氏らが初当選”. NHKアーカイブス. 2025年5月13日閲覧。
  6. ^ 『官報』第15246号8頁 昭和52年11月5日

参考文献

  • 中村輝雄編『現代山口の百人 続:青少年への座右銘』育英出版社、1980年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ、1997年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



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