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小澤太郎 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 04:26 UTC 版)

小澤 太郎
おざわ たろう
生年月日 1906年5月24日
出生地 日本 山口県萩市
没年月日 (1996-02-16) 1996年2月16日(89歳没)
出身校 東京帝国大学大学院法学部卒業
所属政党 自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
子女 小沢克介
親族 義父:田中義一
義兄:田中龍夫

公選第3-4代 山口県知事
当選回数 2回
在任期間 1953年4月30日 - 1960年9月24日

選挙区 旧山口2区
当選回数 4回
在任期間 1960年 - 1963年
1967年 - 1976年

選挙区 山口地方区
当選回数 1回
在任期間 1977年 - 1983年
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小澤 太郎(おざわ たろう、1906年明治39年)5月24日 - 1996年平成8年)2月16日)は、日本政治家山口県知事(2期)、衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。

経歴

1906年(明治39年)山口県萩市にて生まれる[1]再興旧制官立山口高等学校を卒業し、1930年(昭和5年) 東京帝国大学大学院法学部英法科を修了。のちに台湾総督府に勤務。総督官房文書課長、同人事課長、警務局警務課長などを歴任する。

1948年(昭和23年)山口県副知事に就任。1953年(昭和28年)山口県知事に初当選を果たす。1957年(昭和32年)山口県知事に2期目当選。

1960年(昭和35年)知事任期途中で辞職し、第29回衆議院議員総選挙旧山口2区から自由民主党公認で立候補し当選(4期)。のちに法務政務次官環境政務次官、行政管理政務次官などを歴任した。1977年(昭和52年) 第11回参議院議員通常選挙山口地方区から自由民主党公認で立候補し当選(1期)し、参議院懲罰委員長を務めた。1983年(昭和58年)政界引退した。

1996年(平成8年)2月16日死去、89歳。死没日をもって従五位から従三位に叙される[2]

人物

趣味は、東洋蘭栽培・ゴルフ・柔道・乗馬[1]

栄典

知事在任中のおもな業績

家族・親類

著書

  • 『南北あめりか便り』(鴻ノ峰書房、1959年)

脚注

  1. ^ a b c "小沢 太郎". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. コトバンクより2022年12月21日閲覧
  2. ^ 『官報』第1845号11-12頁 平成8年3月6日号
  3. ^ 『官報』号外第35号1頁 昭和56年5月8日号
議会
先代
河田賢治
参議院懲罰委員長
1980年 - 1981年
次代
石本茂
先代
田中栄一
衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員長 次代
粟山ひで
公職
先代
田中龍夫
山口県知事
公選第3・4代:1953年 - 1960年
次代
橋本正之



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