正力松太郎の談話
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事件発生当時の1924年(大正13年)9月は警視庁官房主事で、年末の虎ノ門事件で警務部長を罷免となって読売新聞社長に転じた正力松太郎は、1924年10月の社内の招待会で談話して甘粕事件の陸軍の組織的犯行を示唆し、「陸軍が14日に大杉を殺すと言って来た。大杉と吉野作造博士と外の2人」・・・中略・・・「4人を殺すと言って来た、そんなバカなことがあるかと言って置くと、16日になって淀橋署から大杉が憲兵隊に連れられて行ったという報告が来た。殺したナと思ったが、黙ってゐた。」と語り、「子供が一緒でなければ大杉事件はまるで知られずに済んだのだ」と発言した。また軍隊が面目をつぶされた後藤内相と湯浅総監とを恨んでいたと言い、殺さんとする動きがあったとも述べた。
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