正力構想
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柴田・ムント会談の結果、その年の8月22日にアメリカの通信技術の専門家3名が来日する。公職追放が解除された正力は翌年の1952年9月4日の読売新聞にマイクロ波中継構想を公表する。後に構想は二転三転するが、骨子としては「日本の山頂にアンテナを設置して(マウンテン・トップ方式)中継システムを構築。東京から日本中にテレビ放送を広げる。余った帯域分は日本電信電話公社(電電公社)に貸与して長距離通信網やデータ通信に利用してもらう」といった内容である。10月に正力は日本テレビ放送網(NTV)の開局免許の申請を委員会へ提出した。CIAの命名した作戦名「ポダルトン」(Podalton)とはNTVのコードネームである。
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