相次ぐ加盟申請
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 02:37 UTC 版)
「プロ野球再編問題 (1949年)」の記事における「相次ぐ加盟申請」の解説
正力構想の本来のゆっくりとした拡大路線とは裏腹に、事態が表面化するとプロ野球への参加を狙っていた企業からの加盟申請が相次いだ。 当時の記録では、毎日新聞、近畿日本鉄道、京都新聞、熊谷組、日本国有鉄道、松竹、大洋漁業、名古屋鉄道、西日本鉄道、西日本新聞、西武鉄道、中国新聞、星野組、リッカーミシン、小田急電鉄などの名前が挙がっており、このうち球団所有を計画していた京都新聞、熊谷組、中国新聞、星野組、リッカーミシン、小田急電鉄に関しては、球団所有が計画倒れに終わり、加盟は実現しなかった(ただし小田急電鉄では当時球団の所有計画が具体的な部分まで進んでおり、また同社はセントラル・リーグに加盟する方針を打ち出していたが、結局プロ野球球団の所有計画は中止された)。この時は計画倒れに終わった西武鉄道は、1979年に国土計画株式会社(後にプリンスホテルに吸収合併される)が既存の加盟球団(当時のクラウンライターライオンズ)を買収し、2009年にプリンスホテルから株式譲渡を受ける形で、パシフィック・リーグ加盟球団として所有が実現した。 また、朝日新聞や日本鋼管、富士フイルムや大昭和製紙、安田生命、日本生命、松坂屋の参入も噂された。 前述のように毎日新聞が9月21日に正式に加盟を申し込んだが、それに先んじる形で9月14日には近畿日本鉄道が、9月20日には西日本鉄道がそれぞれ申し込んでいる。その後も24日は林兼(大洋漁業)、28日には星野組と広島(中国新聞)が加盟を申し入れ、ここにきて正力構想は完全に崩れることとなった。
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