相次ぐ合併と改題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 15:07 UTC 版)
「エレクトリシャン・アンド・メカニック」の記事における「相次ぐ合併と改題」の解説
ヒューゴー・ガーンズバックのエレクトロ・インポーティング社のカタログには、販売している電気部品の使い方が詳しく書かれていた。このカタログから、1908年4月に雑誌『モダン・エレクトリックス』が生まれ、1911年までに10万人以上の読者を獲得した。1913年3月、ガーンズバックは、同誌とそれを発行するモダン出版社をビジネス・パートナーのオーランド・ライデナー(Orland Ridenour)に売却した。ガーンズバックは1913年5月に新しい雑誌『エレクトリカル・エクスペリメンター』(Electrical Experimenter)を創刊した。 モダン出版は『エレクトリシャン・アンド・メカニック』を買収し、『モダン・エレクトリックス』と合併し、1914年1月から『モダン・エレクトリックス & メカニクス』となった。 シカゴのポピュラー・エレクトリシティ出版は1913年9月に『ポピュラー・エレクトリシティ』(1908年5月創刊)と『ワールズ・アドバンス』を合併した。モダン出版は『ポピュラー・エレクトリシティ・アンド・ワールズ・アドバンス』を買収し、1914年7月に『モダン・エレクトリックス & メカニクス』と合併させて『ポピュラー・エレクトリシティ・アンド・モダン・メカニクス』(Popular Electricity and Modern Mechanics)としたが、すぐに『モダン・メカニクス』に改題し、1915年4月には『ワールズ・アドバンス』となった。 相次ぐタイトルの変更は、当時の図書館界の雑誌でも話題になっていた。典型的なサイズの雑誌では半年ごとに巻を分けており、図書館では、雑誌を巻ごとに合本して1冊の書籍に製本する。そのため、改題や合併は巻の境界で実施するのが通例となっていた。しかし、モダン出版は、それを無視して巻の途中で合併や改題を行っていた。次のような社説がBulletin of Bibliography1915年4月に掲載されている。 『ワールズ・アドバンス』は雑誌界の新タイトルで、1915年4月が創刊号となっている。ああ、いや、新しい雑誌ではなく、第30巻第4号である。以前は『モダン・メカニクス』であり、その後身である――しかし、併合、結婚、連続殺人、あるいはこの波乱万丈の人生を何と呼べばいいのか、ともかく、その物語を語らせてほしい。『ワールズ・アドバンス』(旧『モダン・メカニクス』)は、『ポピュラー・エレクトリシティ』と『ワールズ・アドバンス』『モダン・エレクトリックス・アンド・メカニクス』『エレクトリシャン・アンド・メカニック』を合わせたもので、いくつかの雑誌が統合されて生まれたものである。最初は1890年にマサチューセッツ州リンで創刊された『ポピュラー・エレクトリシャン』で、後にボストンの『エレクトリシャン・アンド・メカニック』に引き継がれた。これは『アマチュア・ワーク』と『ビルディング・クラフト』を併合し、1914年1月にニューヨークの『モダン・エレクトリックス』に合併され、『モダン・エレクトリックス・アンド・メカニクス』と呼ばれるようになった。その後シカゴの『ポピュラー・エレクトリシティ』と『ワールズ・アドバンス』が統合されて『ポピュラー・エレクトリシティ・アンド・モダン・メカニクス』という名前になった。この名前は長すぎて『モダン・メカニクス』に変更されたが、似たような定期刊行物(『ポピュラー・メカニクス』と呼ばれる)と混同しやすいことがわかったため、『ワールズ・アドバンス』という名前が採用された。なんと長い血統書だ! しかし、今では機械好きの人たちのための雑誌になっており、豊富なイラストが掲載されている。 『ワールズ・アドバンス』は1915年までに13万5,000人の読者を獲得し、そのほとんどが男性だった。広告主向けの業界誌には、「読者の72%が21歳以上であり、女性や子供の間でほとんど読まれることはなく、もっぱら男性向けの出版物である」と書かれていた。
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