相次ぐ反乱と群雄割拠、隋の滅亡とは? わかりやすく解説

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相次ぐ反乱と群雄割拠、隋の滅亡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:55 UTC 版)

「隋」の記事における「相次ぐ反乱と群雄割拠、隋の滅亡」の解説

詳細は「隋末唐初」を参照 煬帝施政による度重なる負担民衆は耐えかね、遂に第2次高句麗遠征からの撤兵途中にかつての煬帝側近楊素息子楊玄感黎陽反乱起こして洛陽を攻撃した。これは煬帝派遣した隋軍により鎮圧され楊玄感敗死したが、この反乱契機にして中国全土反乱起こり出したこれまで従属していた突厥は隋の衰退見て再び北方暴れだしたので、煬帝は自ら軍を率いて北方に向かうも突厥軍に敗れて洛陽撤退。この敗戦更なる引き金となり、616年には反乱各地ピーク状態に達した。やがて反乱軍頭領各地群雄として割拠し楊玄感参謀務めていた李密北周八柱国李弼の孫にあたり関隴貴族集団中でも上位一人楊玄感敗死後に、洛口倉という隋の大食集積基地手に入れることに成功し多数民衆集めた)、この李密激しく争っていた西域出身で隋の将軍務めていた王世充高句麗遠征軍から脱走し、同じ脱走兵たちを引き連れて河北勢力張った竇建徳、そして隋の太原留守であった李淵(後の唐の高祖)などが独立勢力となった隋末唐初の群雄の一覧)。 この反乱に対して煬帝最初鎮圧努めたが、その処理が反徒殺戮政策という過酷なのだったため、却って逆効果招いた激しくなる反乱の中、もはや隋軍では対処し切れなくなり煬帝江都行幸してここに留まり反乱鎮圧指揮を執った。しかし煬帝南方行幸したことは実質北方放棄して逃走したも同じであり、北方反乱はますます激しくなり、遂に李淵により首都大興城までもが落とされてしまう。大興城掌握した李淵首都不在であった煬帝退位宣言し表面上は煬帝尊んで太上皇としている)、煬帝の孫の楊侑恭帝侑)を即位させた。 このような事態にも関わらず江南腰を据えた煬帝次第に酒と宴会溺れて国政省みなくなり遂に諫言提言する臣下に対して殺戮で臨むようになって全く民心失った。だが、煬帝に従って江都赴いていた隋軍は多く北方出身者であり。重臣宇文化及はこうした情勢の中でついに煬帝見限り、反煬帝勢力糾合して618年謀反起こし煬帝を縊り殺した。こうして政権奪取した宇文化及は、煬帝の甥(煬帝の弟の秦孝王楊俊の子)の秦王楊浩皇帝擁立し江都の隋軍を率いて北へ帰還しようとしたが、王世充李淵李密らの勢力阻まれ大興城恢復することはできなかった。そこで宇文化及皇帝楊浩毒殺し国号を許として自ら皇帝即位する。しかし宇文化及天寿2年619年)に竇建徳との決戦大敗して殺害され、ここに許の政権崩壊したまた、東都洛陽留守任されていた煬帝の孫の越王楊侗は大業14年618年)の煬帝の死を受け、王世充元文都皇甫無逸などに擁立されて皇帝即位した。これが恭帝侗皇泰主)である。しかし619年には王世充恭帝侗禅譲迫り、自ら皇帝即位して鄭を立国した。 その一方で煬帝の死を聞いた李淵は、恭帝侑から禅譲受けて唐を建てた。 こうして煬帝殺害され煬帝後継者として隋の正統名乗った恭帝侑恭帝侗秦王楊浩も、それぞれ李淵の唐、王世充の鄭、宇文化及の許に簒奪されたため、隋は完全に滅亡した。なお、煬帝の「煬」の文字は、「天に逆らい、民を虐げる」という意味を持ち李淵贈った諡である。 なお、煬帝の孫の一人である楊政道斉王楊暕の遺腹の子)のみ、唯一生き延びた。彼は突厥処羅可汗庇護受けたが、630年突厥滅亡すると、楊政道は唐に帰順して、官職賜った楊政道には楊崇礼(隆礼)という子がおり、煬帝曾孫である。楊崇の子女が、楊慎余・楊慎矜楊慎名の三兄弟煬帝玄孫にあたる。特に次男楊慎矜兄弟中でも秀であったが、747年に隋の復興企ていると讒言があり、自殺追い込まれた。妻子嶺南流刑処された。楊慎余と楊慎名も自殺追い込まれている。 他に煬帝皇女が唐の第2代皇帝李世民の妃の一人となり、李恪李愔の2男を儲けた李恪の子孫は少なくとも昆孫の代、李愔の子孫は少なくとも孫の代まで存続し女系ではあるが隋皇族血筋はしばらくは保たれている。

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