既存球団の思惑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 02:37 UTC 版)
「プロ野球再編問題 (1949年)」の記事における「既存球団の思惑」の解説
正力構想が明らかになる以前、既存球団からすれば、ここまで育ててようやく軌道に乗りそうなプロ野球に、事業になるとわかった今更になってから新規に入ってくる事は、到底受け入れられるものではなかった。又、球団増加によって観客のバラつきが起きてしまってはプロ野球の人気低下を招きかねないと反対する声が大きく、1948年には大映の永田雅一の加入申し込みを跳ね除けるなど新規加入は認められてこなかった(永田は既存球団に投資することで無理矢理入り込んだ)。 正力構想が明らかになると、特に読売新聞からすれば、毎日新聞のプロ野球参入は、戦前から十数年にわたって犠牲を払いながら育て、ようやく有効な販促手段となったプロ野球に、ライバル紙が割り込んでくるわけであり、到底認められることではなく猛反対した。この読売の反対は、正力に反旗を翻した格好になるが、当時の読売は、労働争議の影響で本社から退陣させられ、公職追放された正力に代わり副社長の安田庄司を中心とした「反正力」派の人間が実権を握っており、正力の影響力を排除するために、正力構想には同意できないという思惑もあった。また、中日ドラゴンズ(以下中日)の親会社である中部日本新聞社も読売と同様の理由で毎日の加盟に反対し、大陽ロビンス(後の松竹ロビンスで現在は消滅、以下大陽)は毎日への球団売却という話が出たことで心証を悪くしていたため、読売・中日と同調した。 しかし、その他の5球団はこれまでと異なる反応を見せる。当時の読売新聞は大阪では売られておらず、必然的に読売新聞の持つプロ野球の宣伝機能は大阪では担えない、それに対して大阪毎日新聞が母体ともなっている毎日新聞であれば当然機能を満たせるという思惑があった。その他にも南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス、以下南海)は別所引き抜き事件に代表される巨人への反感、また大阪タイガース(現在の阪神タイガース、以下阪神)には甲子園球場を使用する春の甲子園の主催であり事故の起こりやすい電鉄という業務から来る毎日への遠慮などそれぞれの事情から、関西私鉄3球団は毎日の加盟に同調し、他2球団もそれぞれの思惑からそれに同調した。その思惑には、野球界の巨人中心主義への反発と言う色彩があった。
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