既存私鉄気動車の質的改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:46 UTC 版)
「日本の気動車史」の記事における「既存私鉄気動車の質的改善」の解説
一方、第三セクター以外の従来からの非電化私鉄各社も、モータリゼーションの進展を背景に1980年代までに多数の路線廃止が生じ、残存した会社もその多くが慢性的な赤字経営に陥っていた。この時期になると、これらの在来非電化私鉄における気動車の需要は老朽在来車のやむを得ない置き換えに限られ、それも国鉄や廃止私鉄の中古車両を譲受することで充足された。 このような状況から、地方私鉄で完全新製の気動車を1970年代まで増備し続けたのは、小湊鐵道ただ1社のみであった。同社は1961年に国鉄気動車を設計ベースとしたキハ200形を新製したが、これを僅かな改変のみで1977年まで新製増備し続けた。搭載エンジンは初期車から最終増備車まで一貫して前時代的なDMH17C形機関であり、形式統一を優先したが故の特異例と見ることができる。 また高度成長期以降沿線のベッドタウン化が進展していた関東鉄道常総線は、本来ならば電化すべき輸送密度であるが、近隣の柿岡に地磁気観測所が所在する関係で単純な直流電化は地磁気観測所に影響が生じるためできず、地磁気観測に影響しない交流電化も高コストになるという不利な立地条件にあった。このため同社は、日本の気動車としては珍しい3扉ロングシート仕様の純通勤形車両を1970年代後半から1980年代前半にかけて製作したが、それらは古い国鉄払い下げ車からエンジン・台車・変速機等の主要機器類を流用し、車体のみを新製したDMH17機関搭載車で、技術的な新味には乏しかった。 1980年代後半までおおむねこのような停滞状況が続いたが、この時期になると国鉄改革の影響で設立された第三セクター鉄道向け小型気動車が比較的ローコストで供給されるようになり、既存非電化私鉄でも、合理化と旅客サービス改善を念頭に置いてこの種の車両を導入する動きが生じてきた。 この結果、全面置き換えないしは主力車両としての位置づけで、1990年代以降新型気動車の導入が各私鉄で進んだ。ほとんどは鉄道車両的体質の強い新潟鐵工所製NDCのバリエーションで18 m級以下が多いが、輸送量の多い通勤路線である関東鉄道や水島臨海鉄道では、NDCの機構をベースとした通常形気動車と同等の20 m級大型車も出現している。 これらの新車群の出現と並行して、在来形気動車のワンマン化・冷房化改造・エンジン交換等の動きも生じている。 しかし第三セクター各社共々、非電化私鉄には経営困難な状況の路線が多く、新型車両を導入した鉄道でもなお経営改善を実現するまでには至っていない。新型気動車を導入するまでに至らず、貨物輸送のみを残した例も含め、旅客営業を廃止した私鉄は1990年代以降も多数の例が生じている。
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