略歴・芸風
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2009年4月、蓮見と手塚が太田プロエンタテイメント学院1期生として入学。2010年3月に同校を卒業し、同年4月から蓮見と手塚のコンビで『ギャルズ』結成。2012年2月にベーグル吉村が加入し、トリオとなる。太田プロライブ『月笑』では、2012年4月の回で優勝。 ネタは主にコントで、自作の衣装、小道具、効果音を多用した物が多く、漫画やアニメのようなコントとも言われている(「戦隊ヒーローの怪しい裏側」のネタなど)。 蓮見のピン芸には「止まれない男」として、全裸に股間を新聞で隠しただけの姿で走るというものがある。 2020年2月12日、TBSテレビ『水曜日のダウンタウン』で解散が発表された。この放送翌日、2020年2月13日に出演するライブ「復活!シャイニングスーパーボルケーノショー」(K-PRO主催、東京・新宿ハイジアV-1)が最後の活動となり、解散後は手塚と吉村は新コンビ『ポメラン』を結成。蓮見は『蓮見こてつ』名義でピン芸人に転向する。
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略歴・芸風
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本人の特技である指圧からヒントを得て、将来に必要とされる時が来る事への願いを込めて『指圧野郎』と芸名を決めたが、指圧はあまり上手くない。 中学時代から大学時代まで柔道をしており、段位は3段。東海大学時代も柔道部に所属しており、井上康生の1年先輩に当たる。 物真似が得意である。特に、オール巨人の物真似は、巨人自身もその物真似を気に入っており「オール巨人公認」となっている。他の物真似のレパートリーには、木村明浩(バッファロー吾郎)、ケンドーコバヤシ、宮川大輔、ジョン・カビラ、アジャ・コング、水野晴郎、レイザーラモンRG、今別府直之、などがある。過去には、石立鉄男や久保田利伸の物真似もしていた。 R-1ぐらんぷり2008では、2回戦進出。 デビュー当時、2001年7月、グランジ結成前の佐藤大と1ヶ月だけ「賞金首」というコンビを組み、活動していた。ちなみに佐藤とは元同居人という関係でもあった。 2008年7月29日に芸名を『指圧野郎』から『しあつ野郎』に改名した。 現在の住まいであるマンションは、過去に木村祐一、宮迫博之、宮川大輔が住んでおり、その後売れっ子になった事から「芸人成り上がり御殿」と呼ばれている。ちなみに、宮川の次は水玉れっぷう隊のアキが住んでいた。
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略歴・芸風
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「ガルウィング (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・芸風」の解説
目黒笑売塾4期生出身。同塾卒業後の2006年からホリプロコムに所属。 ネタは漫才が多く、ネタの最初に「ガルウィングです! ガルル~!」と、犬の手と唸りを模したようなポーズであいさつをすることが恒例となっている。また、ネタの中では鈴木が柴田にしつこく絡むような流れもあり、ネタによっては「ピーピーピーピーうるさいこと・・・」という台詞が入ることがある。 上記の通り2014年8月31日を以て解散した。解散後は両名とも芸人を引退している。
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略歴・芸風
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「ロビンソン (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・芸風」の解説
共にピン芸人として活動していた河口、森山の二人で結成。2010年3月より活動を開始。 森山のピン時代のネタには、ディズニーランドなどテーマパークの係員やディズニーキャラ、ファンタジー世界のキャラクターなどに扮したネタがあった。 コンビでのネタでは、B'zなど河口の物真似によるネタが多い。なお、CHAGE and ASKAなど、二人で物真似を行うこともある。 2010年12月6日のニコニコ生放送での「ナタデオッシュナイト(出演:イジリー岡田・ホリ・アップルパイン)」に出演。日本テレビ系列で放送されている「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」等のプロデューサーであるヘイポーのモノマネを披露した。リスナーからは高い支持を受け、反響を呼んだ。 2011年1月、解散を発表。河口は、引き続きピン芸人として活動を続ける。
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略歴・芸風
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2009年6月に結成。それ以前から、お互いに長年の友人関係でもあり、連日恋夜、岬のワルツだった当時の2008年7月から約1年間、パジャマお兄さん、ミスアルプスと共に自主トークライブ『THE POP』の主催を務めていた。 ネタ前に小沢が「おざおざ」のコールをすることが多い。ネタ中では、小沢がテンションをかなり高くして高山に話しかけるということもある。最近では、小沢のブログに度々現れるという福井県在住の男性のことをめくり芸の形で漫才のネタに取り入れることもある。R-1ぐらんぷりでは小沢が「銀河の夜おざおざ」の名前で出場し、この男性のことをネタにしためくり芸形式の漫談を披露して3年連続2回戦まで進出した。 2011年ころから銀河の夜、ルサンチマン、ごはんパーティー、日帰り温泉で月2回、路上ライブを開催した。同年、東京ビタミン寄席出演。 事務所ライブエヌフォースワンでは毎回上位にランクインしていた。 2012年、THE MANZAI、一回戦を突破。 2014年9月に解散。
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略歴・芸風
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2015年、プロダクション人力舎が運営する養成所スクールJCAへ24期生として入学。当初は別々のコンビで活動していたが、授業中に諏訪園から岩堀に声をかけ2015年7月に結成された。 卒業後、2016年5月にアナクロニスティック・髙橋ちゃんに次いで人力舎史上3組目の飛び級での正式所属となる(当時、下部組織である「JCAプロモーション」を経由して所属するのが恒例となっていた)。主に漫才を行い、10歳の年の差を活かしたネタを得意としていた。 2018年10月、諏訪園の引退に伴いコンビを解散した。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 08:55 UTC 版)
2008年よりめいどのみやげとしての活動を開始する。コンビ名の由来は、美味しい物を食べた時に発するティーチャの口癖から。活動を始めたきっかけは、サッチィーのバンドの曲と曲の間で、ティーチャと一緒にコントを披露したところ好評を得て手応えを感じたことで、のちに正式にお笑いコンビとして活動をはじめる。当初はフリーで活動、2009年 - 2012年10月までニュースタッフエージェンシーに所属、2013年6月よりサンミュージックに所属。父・ティーチャが「年金ちゃん」、娘・サッチィーが「娘のサッチィー」としてそれぞれピン芸人としても活動中。 父・ティーチャが高齢であることをネタにしたものが多い。ティーチャは、これまでに「欽ちゃんは高校の後輩」「歌丸師匠は1歳下」などをつかみにしたことがあり、手首用の血圧計のことを腕時計や妖怪ウォッチなどと言ってボケたり、大河内傳次郎や阪東妻三郎の物真似をネタ中に入れサッチィーは「知らないよ!」などと突っ込むというパターンがある。ティーチャ自身の太平洋戦争時の空襲体験も取り入れている。結成当初の1年間はコント専門だったが、ツインクルのクック井上に「コントだと親子に見えない(ティーチャ曰く「援助交際にも見える」とも)」と言われて漫才も始めた。サッチィーは「めいどのみやげ」に掛けて、メイド服で出演したこともあった。 ネタの最後には二人で、「めいど、めいど、めいどのみやげ!もう一丁!めいど、めいど、めいどのみやげ!」と歌い、合掌して終える。最初に「めいど、めいど、めいどのみやげ!」と歌うこともある。 2015年からは「家族の絆」がテーマのショートコントネタも演じている(このネタの締めは「オー、マイファミリー」という台詞)。 2012年より、主催ライブ『生前騒』(せいぜんそう)を行っている。 2019年より、バリアフリー音頭、バリアフリー親子コント、バリアフリー親子漫才、バリアフリー芸人など、バリアフリーをテーマにしたネタが中心となる。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 14:17 UTC 版)
2人が出会ったのはナイアガラの滝。マクマリーがさちこに声をかけたのがきっかけ。 マクマリーがお笑いをやることを強く希望したということにより、さちこがそれに乗る形でお笑いコンビとして活動を開始。松竹タレントスクールに16期生として入り、2009年に松竹芸能所属となる。主なネタには、マクマリーが日本語を間違えて、さちこがそれに突っ込むものや、さちこが好きすぎるマクマリーが嫉妬する、などのものがある。「国際派夫婦漫才」と言われたこともある。 『きらきらアフロ』の2021年9月9日放送分に、リモート観覧者として一家四人(一男一女を含む)で参加。アメリカに移住したものの、マクマリーがUSJの弁護士として招聘され、現在、兵庫県芦屋市に住んでいること、マクマリーが今なお漫才に未練があることを明らかにした。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 08:44 UTC 版)
北海道芽室高等学校、札幌歯科学院専門学校卒業。歯科技工士、工場勤務、パチンコ店員などを経て、2005年6月13日、桂三枝(後の六代目桂文枝)に入門。 よしもとクリエイティブ・エージェンシー(現・吉本興業)の「あなたの街に住みますプロジェクト」により島根県に派遣され、2011年5月から「住みます芸人」として松江市に在住。2015年4月まで島根県内を中心に活動した。 2012年が古事記編纂1300年に当たることから、ヤマタノオロチ退治を題材とした、「古事記落語」と呼ぶ創作落語を松江市内で披露した。妻の影響によりクリスチャンであり、キリスト教を絡めた創作落語「福音落語」にも取り組んでいる。 2015年4月からは活動拠点を故郷の北海道に移すこととなり、それに先立って島根県のふるさと親善大使「遣島使」に就任した。北海道帰郷後も島根県の住みます芸人は継続しPR活動などを続けていたが、その後4代目北海道住みます芸人へと移行した。なお、島根県住みます芸人にはほかにABCDE湯かげんが就任していたが、2015年4月から桂三段に替わり奥村隼也が加わった。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 02:44 UTC 版)
1995年8月より、高見・河合・梅本らを含めたメンバーで活動を開始。当初は他にも大勢のメンバーが在籍していたため、9人組で活動していた頃もあった。その後はメンバーの相次ぐ脱退を経て、4人体制となる。2007年3月の解散時にはトリオで活動していた。 爆烈コントと題し、1人が嫌な事や誰だよと思うような一言を言い、それに対して3人が片膝をついた体制で応援団のように両腕を大きく振りながら「だーれーやーねん!!」「いーやーやーわ!!」などと叫んで行くショートコント形式のネタや、途中で中村の肖像が印刷されたお札をバラ撒いて行くというパフォーマンスが恒例となっていた。また、パチンコに扮した3人に対して残りの1人がツッコんで行くという形式のネタがあった。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 16:34 UTC 版)
「ジャンク (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・芸風」の解説
2018年結成。共にスクールJCA26期生で、同期には竹内ズや車海老のダンスなどがいる。主に漫才を行い、2021年のM-1グランプリでは準々決勝へ進出。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 21:34 UTC 版)
東京府東京市浅草区の出身。本名は田代藤太郎。浪曲師の浪花亭峰吉の義理の息子。 美声だったが浪曲向きの声ではなかったので、浪曲師を断念。柏木昇という名前で俳優として活動し、新派の大部屋に属していたという。 1918年頃に3代目柳家小さん門下で小半治を名乗り音曲師になった。 ひとりで掛け合いを演じながら、オリジナルの都々逸やさのさを歌った。寄席の番組においては、膝代わり(=トリの前の出番順)で重宝された。 晩年は生活が苦しく、自身が若い頃に書き留めていた日記を正岡容らの演芸評論家に売って生計を立てていた。1959年、脳溢血のため地下鉄銀座線上野広小路駅で倒れ、救急車で運ばれるもそのまま死去。60歳没。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 07:08 UTC 版)
2008年中にメンバー3人のそれぞれのコンビが解散、その中からみよ(山中美代子、元『マンゴスティン』)、たまこ(元『フリーサイズ』)、ちーちゃん(中野千絵、元『ブルームフラワー』)により2009年1月に結成。三等分としての初のライブ出演は2009年2月11日の『三波伸一の凸凹大楽園』(中野・橋場公会堂)だった。 2009年11月29日に、結成後初となる単独ライブ『残り者には福がある』を、東京・新宿バイタスで行った。 トリオ時代の主なネタには、どっちにしようかという悩みを持つみよの所へ「二択でルンルン、二択でルンルン、お悩み解決、ルルルン」と言って他の二人が現れ、そのたまことちーちゃんとで二択の対決をするというコントを演じるものがあった。また、「いつでもどこでも三等分!」という定番のセリフがあった。 2010年2月にたま子が体調不良により脱退。以後も「三等分」の名前のままで、コンビで活動を継続。 二人になってからは、「いつもは二人で半分ずっこ、今日はあなたと三等分」というキャッチコピーを自ら付けている。また、ちーちゃんがみよを「綾戸智恵」といじってネタにすることも多く、みよも綾戸智恵の物真似でネタ披露することもある。 2010年12月に、松竹芸能所属になったことが発表された。 2010年5月から瞬間メタルと一緒に、相撲をテーマにトークをするライブ『うっちゃりトーク』(第一回=“初場所”は2010年5月23日)を行っている。 2013年11月2日のライブ『MUSIC-ECO-#55』(東京・高田馬場live cafe MONO)を最後にちーちゃんが脱退したことにより、コンビでの活動を終了、みよは『三等分みよ』としてピン芸人となる。みよは2015年2月から芸名を『みよこ』に変更。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 18:37 UTC 版)
2012年結成。3人ともプロダクション人力舎が運営する養成所・スクールJCAの21期生であり、お抹茶と櫻田は学生時代にアルバイト先で出会い、一緒に入学している。 養成所時代はお抹茶と櫻田のコンビであり、そのときからコンビ名は「トンツカタン」であった。トリオ名は櫻田の兄が命名したもので、響き重視で特に意味はない(元々は「トンツカタントンツカタン」であったが、長すぎるため省略された)。 コンビ時代はツッコミのいないボケっ放しのコントをしており、森本は「おもしろいんだけど、わかりにくいからウケづらかった」と感じていた。卒業間近になって、他のコンビを解散していた森本が加わる形でトリオとなった。 卒業後はJCAプロモーションへ昇格し、2013年よりプロダクション人力舎へ正式に所属した。 2016年、第7回お笑いハーベスト大賞で優勝。2019年、第5回Laughter Nightチャンピオン大会にてマイナビ賞を受賞。 ネタは主にコントで、奇妙な設定を持ち味とする。近年は漫才を披露することもあり、2021年のM-1グランプリでは準々決勝に進出した。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 00:33 UTC 版)
2人とも吉本総合芸能学院(NSC)東京校8期(2002年 - 2003年在学)出身。卒業後は2人とも吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)へ所属するも別々の道を行き橋爪は1人で、ドイツはコンビ『グリングリン(当時の相方は大久保薫(現・カシスプリン」))』、その後2006年4月からトリオ『ライオンパンチ』として活動。2007年9月20日にライオンパンチが解散後はピン芸人となる。 その後は2人ともよしもとを離れ、橋爪はサンズエンタテインメントへ、ドイツは2010年4月に三木プロダクションに移籍。橋爪は同じくサンズに所属していた井本みさおとのコンビ『ローハイズ』を結成。ローハイズは井本が2008年2月20日をもってサンズを退社したことにより実質コンビを解消、その後は再びピン芸人として活動していた。橋爪は2010年2月28日付けでサンズエンタテインメントを円満退社し、2011年より太田プロダクション所属となる。 後にこの2人でライブへ出演し、一緒にネタ披露などをすることが多くなる。2014年、正式に現在のコンビを結成。それに伴ってドイツも太田プロに所属が決まる。同年『第6回仙台お笑いコンテスト』で決勝進出。2015年『第7回仙台お笑いコンテスト』で「サンドウィッチマン賞」受賞。2016年1月2日のNHKラジオ第1放送『新春おめでた!しゃべくり一直線』で優勝し、「しゃべくり王」を受賞。2016年7月28日、2017年1月2日の同番組でもそれぞれしゃべくり王に選ばれ3連覇を達成。同番組の殿堂入りを果たす。 ネタは漫才、コントともに演じている。コントのネタは“漫才風コント”とも言われている。自ら(2人とも)声が嗄れていると話している。またドイツは水前寺清子のものまねが持ちネタであり、BSフジ『水前寺清子情報館』で水前寺本人と共演したこともある。 これまで『こじらせライブ』『恵比寿aimライブ』『女女女ライブ』『昼から寄席』と、主催ライブを多く持っている。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/05 17:19 UTC 版)
2007年3月3日結成。結成当時のコンビ名は『MK研進会』(二人の名前のイニシャルを採り、夢路いとし・喜味こいしらが参加していた『MZ研進会』の名をもじる)。2か月後の2007年5月に『エルアール30』に改名(リクルートのフリーペーパーの『L25』と『R25』に由来)、2008年7月、現在のコンビ名に改名。結成以来フリーで活動して来たが、2009年6月4日付でホリプロに所属となった。 時事ネタや法律ネタなどを取り入れた漫才やショートコントが多い(薬と法律を絡めた構成のものなどのショートコントなど)。2人ともツッコミとボケの両方を務め、ネタによってポジションが変わっている。以前は、オリジナルの「法薬女子大学校歌」をネタの冒頭で歌ったこともあり、あいさつで自分の好きな(嫌いな)薬の種類や法律を紹介し、ショートコントでネタの間に「勉強になります」という台詞を入れていたことがあった。その後、あり得ないことがテーマの掛け合いの漫才を行っている(この時は二人で一緒に「あり得ない!」というセリフを発している)。 薬ネタを中心にやっているが、実はネタは全てかずなが書いている。 2009年12月30日深夜に放送された『クイズ雑学王・年越しSP』にコンビで出場し、優勝したかずなが同年の年越し特番『年越し雑学王』に「芸人Aチーム」として出場した。尚、番組内では観客としてスタジオに来ていた中村も紹介された。なお、『芸能人雑学王 最強No.1決定戦』(2010年3月22日)は、二人とも解答者として出場。 2010年5月3日の『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「ショップリ!」コーナーでは、先輩のバナナマン・日村勇紀の紹介者として出演した。 2010年7月に中村が髪を短くして蓮舫のような髪型にし、同じ白のスーツを着て、同月に行われた参議院議員選挙に向けての蓮舫の街頭演説を全て追っかけるということを行い、その模様を画像にアップして掲載している。この中で日刊スポーツの取材も受け、2010年7月9日付けの同紙にも掲載された。以後、ライブでも蓮舫のキャラクター、ネタで出演することが多くなった。なお、一方でかずなは自分のことを「蓮舫じゃないほう芸人」と言うようにもなった。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 04:21 UTC 版)
メンバーの二人は幼馴染み同士。最初は『福福亭』というコンビ名だったが、実家の近所に同じ名前の店があったということを秀吉の母から聞いたということから、ライブ1回出演後間も無く『八福亭』に改名。かつての所属事務所はドルフィンプロダクション。2009年9月からフリーとなった期間を経て、2010年11月から三木プロダクションに所属。 ネタは主に漫才。みずほが秀吉を差し置いて喋り倒したりするなどのスタイルがある。みずほのステージ衣装は、ピンクの色を基調とした派手なものや、オーバーオールなどが多い。 秀吉には、竹内力の物真似で、竹内力らしいセリフを発するというネタがある。 『賞金争奪戦!ギャンブラーの集い』『芸人☆ウォーズ』(いずれもStudio twl)のそれぞれのライブでは、共にメインMCを務めていた。 2013年8月6日三木プロダクション所属を離れて再びフリーに。2015年12月22日のスカパー!の公開生放送を最後に、八福亭解散。解散後、みずほはエーミュージックに移籍して「八福☆みずほ」の芸名で活動。秀吉はプロ野球選手の伊藤光のそっくりさん芸人「伊藤ピカル」として活動、プロ野球選手そっくりさん芸人チーム『偽(いつわり)JAPAN』のメンバーとしても活動している。
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略歴・芸風
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ワタナベコメディスクール24期生同士で結成し、2017年4月より『台風クラブ』として活動を開始。 主にコント。先輩である四千頭身は気持ち悪いネタばかりと評している。成岡の特技であるギターを使ったコントを演じることも多い。普段漫才はあまりしないがM-1グランプリに出場したこともある。 2021年6月1日、双方の公式ツイッターアカウントにてコンビ名を現在のものに改名を発表した。 2022年2月1日に解散を発表。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 01:45 UTC 版)
2007年5月に結成。2010年11月27日解散。 ネタは主にコントで、以前は「遭難」や「病院」のコント、「妖怪ハンター」(主な設定に、100円ショップで、100円ではない物を売っている妖怪を退治するというものなど)のネタなどがあった。その後、古代人風の衣装で演じる「神の造りしもの」「全知全能の神」などのネタを始め、「異端者裁判」では、縄に縛られた阿部が振りネタを言い、鞭を持った荒井が「何~~~!」など大きな声と動きを出して「~~の刑!」などの落ちを言うなどの掛け合いを行い、定番ネタの一つとなっている。 特撮に造詣の深い荒井は、知識を生かし特撮イベントの司会などを務めることが多い。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 17:02 UTC 版)
同じ千葉県立千葉北高等学校の同級生同士の2人により2009年結成。2人の出会いは演劇部だった。まりかから誘う形で結成されたという。最初はコンビ名を『マフィントラップ』に決めていたが、初のライブ出演直前になって『すきっぱマーチ』と改名。コンビ名は、まりかの歯がすきっ歯なのと、みぃが3月(March)生まれであることが由来の一つ。なお、すきっぱマーチとしての初のライブ出演は同年5月30日の『笑いの輪』(東京都中野区・なかの芸能小劇場)だった。 ネタにはコントが多く(時々、漫才スタイルのネタも演じる)、まりかがこれまで演じて来たミュージカル調のキャラクターを取り入れたものなどがある。主なものには、かつてはまりかがピン芸人時代にも演じていた『ベルサイユのばら』のキャラクターなど、その後はミュージカルの『アニー』になりきってタップを踏んだりしながら様々なネタを演じるもの、などがあった。 2010年3月30日の『下克上ライブ』(東京・しもきた空間リバティ)を以って活動を休止。以後、まりかは「マリカ」として再びピン芸人として活動した後、2010年7月7日のライブ『TEPPENハニー』(なかのZERO 視聴覚ホール)にて、ゆっぴぃとの女性コンビ「オビディエンスロック」として初出演。みぃも、2010年6月29日『下克上ライブ』(しもきた空間リバティ、「足立栄美子」として)、2010年8月5日『ガールズガーデン』(Studio twl、「みぃ」として)などでピンで出演。 2010年5月29日の音楽ライブ『マサシンライブ番外編 第10次カワサキのアニヲタ大集合』(あさがやドラム)では、マリカ、みぃにもう一人を加えた3人ユニット『78』(セブンエイト)で出演。 2015年7月6日、キングオブコント1回戦に出場。久々にこの2人でステージに立った。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 17:33 UTC 版)
2013年、プロダクション人力舎が運営する養成所スクールJCAの22期生として入学。翌年の2014年も養成所に2年目として残り、23期生という形で少し遅れてJCAプロモーションへ昇格。主に漫才を行っていたが、2016年に解散を発表した。
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略歴・芸風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 23:55 UTC 版)
「さんだる (お笑いコンビ)」の記事における「略歴・芸風」の解説
2013年にワタナベコメディスクールの同期によって結成。当初はトリオだったが、1人脱退しコンビとして活動。コンビ名の「さん」は3人組だったことに由来し、「緩くてだるい雰囲気でやっていこう」という意味で「だる」を付け足した。また、サンダルそのものが緩そうな感じの物にも思えたという意味もある。これに宗は「『さんだる』では検索で引っかからないから良くない」と意見したこともあった。候補には他に『アメリカ』『おひさまパラソル』『シカゴチキン』『放課後ソルジャー』というものがあった。 ワタナベコメディスクールを卒業するもワタナベエンターテインメントの所属にはなれず、フリーで活動。2015年よりホリプロコムへの所属が決まる。 2016年にはヤングウッズ、オレンジサンセットとの合同ライブ「S.Y.O」を3回に渡って開催したが、その後はオレンジサンセットの解散によって事実上立ち消えとなり、ヤングウッズも解散している。 2017年11月1日に新宿バティオスにて初の単独ライブ「お前ブルータス読んでんじゃん」を開催。 2018年6月6日に新宿バティオスにて単独ライブ「すに~か~」を開催。キングオブコントにて準々決勝進出。 2019年、第1回ツギクル芸人グランプリ第3位、キングオブコントにて準決勝進出。 2020年4月5日に渋谷ユーロライブにて単独ライブ「すりっぽん」を開催する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となった。またキングオブコントにて二年連続準決勝進出を果たした。 2021年5月30日に渋谷ユーロライブにて延期となっていた単独ライブ「すりっぽん」を開催。キングオブコントにて準々決勝進出。
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