売れっ子に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 19:26 UTC 版)
1983年、師匠・談志が一門と共に落語協会を脱退。志の輔が寄席定席での前座修行を直前に控えての脱退劇だったため、志の輔は前座として寄席での仕事や高座に上がることは一度もなかった。 前座修行中、通常はほぼ無収入なのだが、前職の広告関係の知り合いからナレーションの仕事などの依頼があり、小遣い程度の収入はあった。 1984年10月、二つ目に昇進。高座名も引き続き「志の輔」を名乗る。この頃から「志の輔」の名前を付けた落語会を開催するようになる。1984年2月に開催した、上野本牧亭での「勝手に志の輔の会」など。 1985年、TBSテレビ『朝のホットライン』レポーターに就任。その後、他の放送局からの仕事も一気に増えて売れっ子となった。 1990年5月、「志の輔」の名前のまま、落語立川流真打に昇進。 2003年から毎年1回、志の輔を座長に富山県出身の芸能人を集めて「越中座」という寄席形式での公演を富山県民会館にて開催。2006年からは東京でも開催し、ゲストに笑福亭鶴瓶が昼夜公演に飛び入り出演した(鶴瓶はその後、富山公演にも県外出身者ながら特別出演した)。志の輔は、昼公演では越中語(富山弁)で落語、夜公演では英語落語に挑戦した。富山県内の落語会では越中語(富山弁)での落語を披露することも多い。 2003年3月、現代落語の衰退を憂い、東西、流派を超えた落語家達と共に落語家グループ「六人の会」を結成し、「東西落語研鑽会」などの落語会を開催。2004年から2008年までは、毎年7月、「六人の会」を中心に「大銀座落語祭」を開催した。 2004年に「志の輔らくご in パルコ vol.9」で初演した新作落語『歓喜の歌』は映画化され、2008年2月に公開、志の輔自身も落語家役で短く出演した。同年、大泉洋主演により、北海道テレビ開局40周年記念作品としてテレビドラマ化され(オリジナルとは設定がやや異なる)、9月7日にテレビ朝日系で全国放送された。 2008年6月7日、志の輔の故郷である富山県の富山市中央通りの商業ビル「セプラビル」3階にあった映画館を改装し、北陸銀行グループにより「てるてる亭」を開設。定員266名の演芸ホールの「席亭のような、館長のような、番頭のような者」に就任。開設にあたり、運営関係者からは「ホール名のどこかに『志の輔』を入れてほしい」と提案されたが「照れてしまう」との事で、志の輔の本名が「照雄」で「照ちゃん」と呼ばれていたことから「てるてる亭」と命名した。自身もほぼ毎月1回、同ホールで「志の輔のこころみ」と題した落語会を開催している。 2015年の秋の褒章にて、紫綬褒章を受章。 2018年4月、富山国際大学の客員教授に就任。任期は2021年3月までの3年間。 2020年12月17日からサンケイホールブリーゼで「志の輔らくご in 大阪2020」を公演予定だったが、12月18日朝に公演スタッフ1名に体調不良者が出たためPCR検査を受けたところ、そのスタッフから陽性反応を確認。12月18日 - 20日公演は急遽中止となった。志の輔は当該スタッフと濃厚接触者だったことから12月31日まで健康観察期間となったことに伴い、12月31日に出演が予定されていた横浜にぎわい座の「クライマックス寄席」への出演も見合わせた。 2021年1月4日、肺炎のため入院したことを発表。健康観察期間最終日の2020年12月31日に体調不良を感じ、病院で診察を受けたところ肺炎と診断されたことを明らかにした。抗原検査は陰性。翌5日から予定していた『PARCO劇場オープニング・シリーズ 志の輔らくご 伊能図完成200年記念「大河への道」』の全公演が中止となった。1月7日、退院。2月11日に富山・てるてる亭にて行われた「志の輔のこころみ」で「ハナコ」を演じ、復帰を果たした。
※この「売れっ子に」の解説は、「立川志の輔」の解説の一部です。
「売れっ子に」を含む「立川志の輔」の記事については、「立川志の輔」の概要を参照ください。
- 売れっ子にのページへのリンク