ピン芸人時代
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コンビ解消後、ピン芸人としてのネタを模索していたところ、後述の「スケバン恐子」が作られた。その後、エンタの神様プロデューサーの提案もあり「桜塚やっくん」と改名した。 2007年1月10日、一青窈の紹介でフジテレビ『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに初登場し、「ココに出るのが夢だった」と喜び、他コーナーにも登場して生放送終了まで出演した。同年4月に公開の映画『名探偵コナン 紺碧の棺』で、その応援団として宣伝も兼ねて4月21日に阪神対巨人戦(甲子園)で始球式を行ない、阪神ファンであることを明かした。しかし、同年12月に喉のポリープの切除手術で入院したため、同年終盤からスケジュールを空けていた。 2008年より、「植田 浩望(うえだ ひろみ)」と名義で俳優活動を開始する。 2010年10月16日、トップコートを退所し、自ら会社を設立したことをブログで報告した。 2011年1月11日放送の『あらびき団』で円谷プロに500万円かけて発注した甲冑の衣装を纏ってネタを披露したが、内容は親父ギャグだった。 同年3月24日、準強姦容疑で書類送検されたと報じられた。やっくんはブログにて「事実無根の内容が一部報道されて」いるとし「今後一切僕が逮捕される事や起訴されることもありません!」と述べ、弁護士を通じて警視庁の捜査関係者あてに名誉毀損を訴える法的措置を取る意向を明らかにしていた。同弁護士によると、女子大生との示談の有無については答えられないとのこと。この騒動を契機に「仕事のスケジュールがバタバタとキャンセルに」なったという。
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ピン芸人時代
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大脇里村ゼミナール解散直後、スーパーマラドーナの武智が名付けた「ダイナミック大脇」の名で活動していたが、約半年で本名の「大脇拓平」名義に改めた。
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ピン芸人時代
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2012年9月12日、『R藤本の水曜はじけてまざれ!』第140回放送で行われた『はじまざレギュラー争奪バトル』で1位になり、ヤムチャ役のバード238に代わって2012年10月よりレギュラー入りした。得意とするタラちゃんの他に、ベジータの物真似で知られるR藤本に対して「ドラゴンボール繋がり」でラディッツのモノマネも行っており、番組内ではこちらの方がメインになっている。2014年7月、二度目のレギュラー争奪戦にも勝利。2020年3月25日までレギュラーを努めた。 2013年5月15日、『はじまざ』の企画としてピン芸人としての新しい芸名を考え、ハッシィから海山昆布に改名すると発表、同時に「昆布」と「こんばんは」をかけたギャグとして「昆布ばんわ」を考案し、番組開始時に披露するのがお決まりとなっている。同年10月29日、フリーからサンミュージックプロダクション所属(預かり)となった。 2014年7月、テラシマニアックとコンビ『テラシマコンブ。』を結成するも、わずか1ヶ月間で解散。 2016年2月7日、サンミュージックプロダクションを退社して再びフリー活動に戻り、6月19日に35歳記念として初の単独ライブを開催した。 2019年1月17日、芸名を、海山昆布から昆布ちゃんに改名すると発表。
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