ピン芸人AMEMIYAの誕生
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「AMEMIYA」の記事における「ピン芸人AMEMIYAの誕生」の解説
バンドをやっている間も芸人時代の仲間や先輩との交流が続いていたこともあり、2010年には再びお笑いの道へと戻る決心をする。芸の方向性は、芸人仲間の一人はいじぃの助言もありギターを用いた歌ネタと定めた。事務所はハリウッドザコシショウに誘われたこともあり、年齢制限もなかったSMA NEET Projectを選ぶ。芸名はシンプルに名字の雨宮を横文字にしただけのAMEMIYAとした。 SMAのオーディションライブである「SMAトライアウトライブ(笑)」で、最初の内は今までの自分の人生を笑いにしたいと思い自虐ネタを中心にやっていたが、反応はあまり芳しくなかった。何とかバンド時代培った作曲能力と歌唱力を生かしたネタを作りたいと考えていた折、街でたまたま「冷やし中華はじめました」の貼り紙が目に留まり、これにメロディーを乗せたら面白いのではないかと閃く。こうして自身を代表する歌ネタ「冷やし中華はじめました」が誕生した。 「冷やし中華はじめました」のネタを「SMAトライアウトライブ(笑)」で披露したところ、ウケもよく順位も初めてトップを獲得した。それがきっかけで事務所より『あらびき団』(TBS)のオーディション話が舞い込み、試しに受けてみたところ合格。2010年9月7日放送の『あらびき団 超拡大SP 爆笑!あらびきカーペット』に初登場し、「シンガーソングライター芸人」としてネタを披露することとなる。するとその時たまたまゲスト出演していた今田耕司に絶賛され、その後2011年1月30日『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)の「山-1グランプリ」にも初登場したことで一気に注目度が高まり、Googleの急上昇検索ワードで5位となる。更にそのことが同年2月3日放送分の『ズームイン!!SUPER』(日本テレビ)で取り上げられ、翌日2月4日には『笑っていいとも!』(フジテレビ)にも初登場し俄かにとんとん拍子で事が運ぶようになった。 そして、当時過去最多の3,572名が出場した『R-1ぐらんぷり2011』でシードなしの初出場にして次々と予選を勝ち進み、同年2月11日生放送の決勝大会に進出。1回戦で木村明浩(バッファロー吾郎)に11-10、2回戦で山田與志(COWCOW、現・善し)に15-6と勝ち進み、決勝で佐久間一行と対戦し、1-6に終わったものの、準優勝を果たす快挙を成し遂げた。『R-1ぐらんぷり』直後に行われた日刊スポーツのユーザーアンケートでは「もっとも面白いと思った芸人」、「今年最も活躍すると思う芸人」ともにAMEMIYAがトップ得票を得ている。さらにその翌年開催された『R-1ぐらんぷり2012』でも決勝に進出、2年連続のファイナリストとなった。
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