ピン芸人に転身
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解散に伴い、ピン芸人としてbaseよしもと、2003年9月からはうめだ花月を中心に活躍。 バッファロー吾郎主催の大喜利イベントダイナマイト関西には初回から参加、本大会では参加芸人中最多の5回の優勝を誇っている。その他各種イベントやMBSラジオ『スッごい!おとなの時間』など数々共演。野性爆弾、ザ・プラン9、友近らと共に、バッファローファミリーとも称され『アメトーーク!』などで取り上げられた。また、FUJIWARAともテレビ大阪『吉本超合金』で共演。後番組『吉本超合金K・ケンコバ大王』は初の冠番組。 2001年4月から『見参!アルチュン』・『?マジっすか!』(共に毎日放送)に出演。中高生の間で知名度を上げる。さらに毎日放送の昼の情報番組『ちちんぷいぷい』のレギュラー出演( - 2006年4月)で一般層に知られるようになる。 2002年R-1グランプリ第1回大会において、決勝進出。 2006年夏には『ケンドーコバヤシのオーサカ夜キング』(毎日放送)が放送。同番組には陣内、たむけんをはじめ、元相方村越周司など、コバヤシ所縁の多数のお友達ゲストが日替わりで登場した。翌年の2007年には一部内容をリニューアルし『オーサカ夜キング ケンコBAR』として放送された。 『オールザッツ漫才』(毎日放送)にはコンビ時代から出演し、2001年にはトーナメントで優勝。2004年にネタ組として「ピンクローター漫談」という下ネタコントを披露し、これがきっかけで関西での全てのレギュラー番組を降ろされてしまい東京へと逃げ込み、東京進出に成功。その後も毎年出演する「番組の顔」となり2009年には陣内智則とともに司会を務めたが、2009年の出演を最後に番組を降板した。
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