千葉ロッテマリーンズ ユニフォームの変遷

千葉ロッテマリーンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 21:58 UTC 版)

ユニフォームの変遷

東京・仙台・川崎時代

毎日時代

  • 1950年(シーズン開幕前) - 練習用(プロトタイプ)として、白を基調としたものとグレーを基調としたものを使用した。
    • 白地・濃紺ツバの帽子、白地のシャツ・パンツ(ズボン)、濃紺のアンダーシャツ。シャツには「Mainichi」の胸マーク(筆記体)が入った。
    • 濃紺地の帽子、グレー地のシャツ・パンツ、濃紺のアンダーシャツ。シャツには「Mainichi」の胸マーク(筆記体)、左袖に毎日新聞社社旗を流用したデザイン(赤い社章と二本線)が使われた。
      • 胸マークについては、2005年発行の書籍『プロ野球ユニフォーム物語』(著:綱島理友・絵:綿谷寛)では、赤となっているジン着写真(当時発売されたブロマイド)が掲載されているが、著者の綱島は「胸マークには赤は無かったとも思われる」として、綱島が推定した上で濃紺に塗り変えた写真も一緒に掲載している。
  • 1950年 - 1957年 - ホーム用は当時のニューヨーク・ヤンキース、ビジター用は当時のロサンゼルス・ドジャースをイメージして作られた。1950年シーズン途中から左袖には毎日新聞社の社章に代わりトリコロールのワッペンが付いた(1951年からは月桂樹の枝と「1950」(優勝年)の金糸文字が入った。1952年シーズン途中から1955年は平和台事件を起こした責任を取る形で廃止したが、1956年には「Orions」ロゴが入る形で復活)。
    • シャツ・パンツは、白地に濃紺縦じま(ホーム用)、グレー地(ビジター用)。
    • アンダーシャツは、濃紺。
    • 胸マークは、ホーム用 - 左胸に「M」マーク(飾り文字書体。濃紺・白縁取り)・ビジター用 - 「Mainichi」(筆記体。濃紺。1950年)、「Orions」(セリフ風書体。濃紺・白縁取り。1950年シーズン後半より使用)。
    • 帽子は濃紺地に白い「M」マークの入ったもの。1950年には、白地に濃紺縦じまに白「M」マーク・濃紺ツバの入ったもの(ホーム)、グレー地に白「M」マーク・濃紺ツバの入ったもの(ビジター)も使用された。
    • 1956年には、グレー地などを基調としながら、首周り・袖・ズボンサイドにラインが入ったビジター用を、1957年には、「Orions」に代わり「TOKYO」の胸マーク(ニューヨーク・ヤンキースの「NEWYORK」に似た書体)が入り、ラインを外したビジター用をそれぞれ使用した。

大毎→東京オリオンズ時代

  • 1958年 - 1965年 - 球団名が毎日大映オリオンズとなり、胸マークも「Orions」となるが毎日時代のスタイルを踏襲。また、大映からゴシック体の番号フォントが継承された。ビジター用は最初「DAIMAI」だったが、1960年から「TOKYO」に変更される。この間、腰番号や胸番号が付く。
    • 帽子マークは、1958年に「D」と「M」を重ねたマークが採用。1960年は左上よりに「D」右下よりに「M」の字を絡ませたマーク、その後1961年、1962年(「O」マーク)、1965年(「T」と「O」を絡ませたようなマーク)に帽子マークの変更を行った(いずれも白色)。
    • ビジター用は最初上下グレー地だったが、1960年はブルーグレー地に白の縦じまが入ったものを使用。翌年以降は再びグレー地となった。
  • 1966年 - 赤色をふんだんに使ったホーム用ユニフォームが登場。左袖のワッペンは小さくマイナーチェンジされたもの(「Orions」の文字なし)が使用されたが、シーズン途中の6月22日の対近鉄戦より左袖にペットマーク(バットを持った桃太郎のイラストが描かれたもの)がつく。
    • 帽子マークは「T」(赤色・白縁取り)。胸マーク・番号・ライン(首周り・袖・ズボンサイド) - 赤色・濃紺縁取り。
  • 1967年 - 1968年 - ホーム用がドジャース風(ただし、青ではなく紺を基調としており、胸マーク・背番号は赤、胸番号は紺)となり、縦縞が廃止される。左袖には桃太郎のマークが形を変え引き継がれた。当初首周り・袖・ズボンサイドに赤ラインがあったが翌年廃止され、さらにドジャースに近くなった。このデザインはロッテになってからも引き継がれた。帽子は、濃紺地に白文字の「T」。

ロッテ時代

  • 1969年 - 1972年 - 株式会社ロッテスポンサー(1971年から正式な親会社)となり、球団名がロッテオリオンズに改称。ユニフォームは東京時代のスタイルを踏襲(ただし、紺→青になる)。ホーム、ビジター用共胸番号が消え、赤の「LOTTE」だけのシンプルものになり、「Orions」のロゴは左袖に移る(色は青)。背番号(赤色)はオリジナル書体。また帽子のマークがLとOとの組み合わせと星のマークがついたものになる。
  • 1973年 - 1991年 - 金田正一の監督就任に伴い、ユニフォームを一新。帽子・アンダーシャツが青から紺に代わる。また、金田のアイデアを取り入れたニット素材の特徴を生かし、肩、袖、パンツからボディにかけて、両サイドを紺で挟む赤の太ラインが入る。「LOTTE」の胸ロゴは紺色に赤の縁取りのゴシック体(背番号も同様)となり、「Orions」のロゴは消滅(基本ユニフォームとなるホーム用に企業名のみを表したということ)。また、背番号の上に選手名が入り、胸番号が復活する(胸番号・選手名は紺)。帽子のLOと星マークに、赤の縁取りが入る[注 40]
    • ホーム用はオフホワイト地。
    • ビジター用はスカイブルー地で、胸ロゴはホーム同様「LOTTE」。
    • 翌1974年より、胸ロゴ・背番号の色が赤色に紺の縁取りへ変更され、ボタンの素材が、白の2つ穴から透明4つ穴タイプに変わる。
    • 1984年より、スパイクの色が黒地に白ラインから白地に紺ラインに変わる。
    • 1989年より、ボタンの素材が透明からユニフォームの地色と同じ色に変わる。
      • 金田監督より、ラインは生地の上に乗せるのではなく、生地と生地との間にはめ込むよう要望があり、当時の技術では非常に苦労したという。
    • 背番号の書体の中で「1」については、下に「_」の付かないスタイルであったが、背番号1の選手(ジム・ラフィーバーラファエル・バチスタ高橋博士愛甲猛)については「_」が付いていた。

千葉時代

  • 1992年 - 1994年 - 本拠地が千葉市に移転し、球団名が「千葉ロッテマリーンズ」となり、初めてプルオーバー・タイプを採用。サンライズ・ピンクとカレント・ブルー(ブルーグレー)で千葉県のイメージを前面に押し出した。
    • 帽子は、黒色地に帽子マークはピンクの縁取りに黒文字でCLM(Chiba Lotte Marinesの略)で真ん中に波模様が入ったもの。
    • シャツ・パンツは、白(ホーム)、ブルーグレー(ビジター)をそれぞれ採用。
      • 首周り・袖口には、黒・ピンクのライン(外側にピンク)が、ズボンサイドにはピンクを黒で挟んだラインが入る。
    • 胸マークには「Marines」(筆記体)を、左袖にはホーム「CHIBA」ビジター「LOTTE」(親会社ロッテのロゴマーク)のマークをそれぞれ採用。
    • 胸マーク・番号にはピンク・黒縁取り、左袖マーク・背ネームには黒を使用。
    • 背番号の「1」の書体は、「_」の無いもの(ただし、左上の欠けていない書体)が引き続き採用されたが、背番号1の愛甲猛については引き続きオリオンズ時代と同様の書体が採用された。
  • 1995年 - 2003年 - 後述する事情から、広岡達朗GMの提案によりユニフォームを一新。チームカラーを白と黒を基調にしたものになる。毎日オリオンズ時代から東京時代まで使われていた縦縞が29年ぶりに復活し、シカゴ・ホワイトソックスを模したデザインになる。さらに、当時球界で主流になりつつあったユニフォームのパンツ裾を足首まで下げるスタイルを、広岡GMが非常に嫌っていたため、オールドスタイルを実現すべく長めのストッキングを採用(上部に白いMマークの刺繍が入る)。ちなみにビジターユニフォームの胸の文字はホームユニフォームの“M”に対し、“Marines”の文字が入ったものだった。また、スパイクは黒地にホワイトのラインのものに変更。なお、広岡GMが解任された1997年からは、パンツ裾を足首まで下げるスタイルが解禁されている、
    • 1997年 - 夏季の週末のホームゲーム限定で白地に黒の「M」マークを入れた「サンデーキャップ」を採用。(初登場は7月20日のダイエー18回戦[135]。)
    • 1998年 - 夏季の週末のホームゲーム限定で「サマーユニフォーム」を採用。日本では中日に次いで2チーム目の採用となるノースリーブでロゴはビジター用と同じ「Marines」。キャップはつばの部分をグレーに変更。
  • 2000年 - 2004年 - ビジターでの負けが多いことから、上下グレーのビジター用ユニフォームを上が黒、下がグレーの新たなユニフォームに変更した(球団史上初の上下ツートンカラーのユニフォームである)。ビジターゲームでマリーンズファンが「黒の軍団」と称されるのは、この頃からである。
    • 2003年 - 2004年 - サードユニフォームとして上下グレーのビジターユニフォームが採用(翌年はセカンドビジターユニフォーム)。このサードユニフォームの胸の文字はホームユニフォームと同じ“M”であり、胸番号は無く、背番号の上には選手の名前が書かれていないものだった。このユニフォームは金曜日、土曜日、日曜日のビジターゲームに使われ、その他の曜日のビジターゲームでは黒い上着のユニフォームが使われた。おおむね、同時期の阪神タイガースのビジターユニフォームに、既存のロッテのユニフォームのマーク・背番号を張り替えたようなデザインだった(ただし、ラインは阪神と違い白に黒を挟んだものであり、阪神のそれと比べ細かった)。
  • 2004年 - 2007年 - 復帰したバレンタイン監督の提案で、上記のホーム用ユニフォームにプラスする形で、黒いダンダラ帯のはいったサンデーユニフォームが登場。初年度は縦縞の入ったホーム用の白パンツとの組み合わせで背ネーム無しだったが、翌年から法被に合わせてデザインされた新たな白パンツが登場し、背ネームも入った。
    • 2005年よりユニフォームの名称を変更し、法被と白パンツを組み合わせたものを「(まこと)」、法被と黒パンツの組み合わせを「(さむらい)」、それまで使われてきた上下縦縞を「(いくさ)」とした。また、上下グレーのセカンドビジターユニフォームは廃止され、ビジター用のユニフォームは1種類のみとなった。黒地のビジターユニフォームの胸の文字が“Marines”から帽子のマークと同じ“M”に変更され、濃いピンクのラケットラインが入る。パンツも「誠」と同じものへ変更。「戦」以外のホーム時やビジターでは、帽子のツバには濃いピンクと白のギザギザがデザインされ、Mの文字にはピンクのシャドウが入ったものを使用。ホームゲームでどのユニフォームを着るかは、メジャーと同じく先発投手が自由に選んで決められる方式にした。(基本的に連勝中は縁起担ぎで変えた投手はいなかった)この年の後半にはいい状態でチーム状態が継続していたため、普段は「戦」を選択する清水直行さえ縁起担ぎで「誠」を使用。ポストシーズン(プレーオフ日本シリーズアジアシリーズ)のホームゲームでは「誠」で戦い全勝した。
    • しかし、「戦」「誠」が選手に受け入れられたのに対し、「侍」は「格好が悪い」ために選手から敬遠されていた。実際、2005年に公式戦で「侍」が着用されたのはホームゲーム連敗中の5月14日の対ヤクルト戦の1回だけで、先発のダン・セラフィニがこのユニフォームを選択したが、その試合は3-11と大敗。その後「縁起が悪い」と敬遠されたのか、「侍」を選択した先発投手はいなかった。
    • 2006年 - 2009年 - 2005年のアジアシリーズ制覇を記念したチャンピオンエンブレムが袖に入る。図案は「CHIBA LOTTE MARINES」の白文字入り黒リングで囲まれたボールを背景に「05 Marines ASIA」の文字、「CHAMPIONS」の白文字が入った赤リボン、最下部に6冠を表す銀の六連星。
  • 2008年 - 2009年 - デサント社がオフィシャルサプライヤー契約を締結、デザインをマイナーチェンジ。チームカラーを「白、黒、赤」とし、ホーム用は従来のストライプタイプ「戦」と、「誠」の袖のダンダラ帯と胸ラインを赤色にした2タイプがある。ビジター用は黒を基調とし、上から下へ向かって黒から白へと徐々にグラデーションしたもの(日本プロ野球史上初のデザイン)である。またビジター用ユニフォームには右胸に球団ペットマークが浮き上がって出るようにあしらわれている。「戦」以外は、背番号の書体も丸い斜体文字へ変更されている(ホーム用「誠」は赤、ビジター用は黒)。
    • 2009年 - ロッテのプロ野球参入40周年を記念した「ORIONS-MARINES 40th ANNIVERSARY」エンブレムが袖に入る。図案は“ORIONS-MARINES”のアーチと“40th ANNIVERSARY”“1969-2009”の帯で囲まれた中に、青空と海をバックに歴代のユニフォームを模した色(左からオリオンズ初代、オリオンズ2代目、マリーンズ初代、マリーンズ現行)で空を飛ぶ4羽のカモメ。
  • 2010年 - 2013年 - バレンタイン監督の退任に伴い、「戦」以外のユニフォームのデザインが変更(各ユニフォームのニックネームも廃止)。チームカラーの一つとされていた赤が消えた。ビジター用はグラデーションを廃止し、黒地に白のカットラインが入る。サードユニフォームはラグランスリーブ部に黒を配した。ビジターとサードにはそれぞれ右袖には2段組みで「CHIBA LOTTE」の文字が入る(ホームは今までどおり「LOTTE」のみ)。帽子は従来の黒帽子で統一された。右袖に2006年から付けられていたアジアシリーズチャンピオンエンブレムが廃止。右胸のワッペンスポンサーがハートフォード生命保険からネクソンに変わる。なお、サードユニフォームが使われたのは、2010年は4月25日、6月30日、8月1日の3試合(対戦相手はいずれもソフトバンク)、2011年は6月8日の阪神タイガース戦の1試合、2012年は7月16日、17日の楽天戦の2試合のみであった。2013年は、後述の2012年の限定ユニフォームがサードユニフォームとして着用された。
  • 2014年 - 現在 - ホーム、ビジター共に新素材を使いユニフォームを軽量化。また、ビジターユニフォームはデザインを変更し、「闘志あふれる勝利への執念」を表している。前年まで使用したユニフォームと同様に黒地に白のカットラインが入る。胸ロゴが「Marines」(胸ロゴ・胸番号・背番号共に白字で赤で縁取り)、背ネームは白字。両袖に赤のライン、左袖に丸にカモメのロゴマークが入る。なお、ビジターユニフォームには2段組の「CHIBA LOTTE」の文字はなし。ズボンはグレーで、サイドの腰から膝までの部分のみ赤のラインが入る。帽子は黒でロゴが「M」(白字で赤で縁取り)、ツバの縁が赤。また、ホーム、ビジター共にズボンにオカムラホームの広告が入る[136]。ホーム用は帽子が前年まで使用していたもので、つばのふちが白。
    • 2015年 - このシーズンよりキャップへの広告表示が認められ、キャップ左即部にダイユウホームの広告が入る。
    • 2017年 - このシーズンよりサプライヤーがデサントからマジェスティック・アスレティックに変更される。大きなデザインの変更はないが、刺繍から昇華プリントに変更され軽量化が図られた他、選手名・背番号の字体などが変更される。広告はキャップ左即部が住宅情報館、右胸のワッペンがGungHo、ズボンがGMOにそれぞれ変更。
    • 2018年 - このシーズンよりビジター用のズボンがグレーから白に変更[137]。スポンサーもフクダ電子に。
  • 2020年 - サプライヤーがユニホームはミズノに、キャップは'47に変更される('47がNPBのサプライヤーになるのは初めてとなる)。合わせて「PINSTRIPE PRIDE」というコンセプトの下、ビジターユニホームにもピンストライプを採用し、ビジターマリーンズの象徴である「ブラック」と掛け合わせることで強さと威厳、相手チームへの威圧感を兼ね備えたデザインに変更した。キャップもビジター用は「M」が黒文字となっている[138]

限定ユニフォーム

  • 2008年8月13日 - 18日の2カードで、ロッテのプロ野球参入40周年記念として、オリオンズ時代のホーム用ユニフォーム(1991年まで使用)を復刻した[注 41]
    • 1」の書体については、当時のものは左上が欠けていたが、復刻版は欠けていない書体(カギカッコのような書体)を使用した。
  • 2009年8月18日 - 20日のオリックス戦で、前年に続いてロッテのプロ野球参入40周年記念として、オリオンズ時代の1972年まで使用されたホーム用ユニフォームを復刻した。
  • 2011年、千葉移転20周年を記念してホームゲーム限定で、1992年から1994年までのホームユニフォームを復刻使用している。
    • 上記の2008年のユニフォーム同様、「1」の書体については欠けていない書体(カギカッコのような書体)を使用した。
  • 2013年、パ・リーグ共同企画「レジェンド・シリーズ2013」の一環で、オリオンズ時代の1991年まで使用されたビジター用ユニホームを復刻。ただし、復刻ユニフォームの右胸にはネクソン、パンツ左側には君津住宅の広告が付く。

"ALL for CHIBA"シリーズ

2012年の千葉移転20周年記念イベントをきっかけに、胸に「Chiba」のロゴが入れられた特別ユニフォームを着用し千葉県への感謝と千葉県と共に戦う思いを表現した特別試合企画。

  • 2012年 - 2015年、千葉移転20周年を記念した「Thanks 20 years “ALL for CHIBA"シリーズ」のイベントの一環として、白をベースに両肩と両わき腹に黒いライン、胸に黒文字で「CHIBA」と記したロゴが入ったユニホーム(通称:CHIBAユニフォーム)を着用する。なお、マリーンズのユニホームに「CHIBA」のロゴが入ったのは1992年の移転後初。一軍の公式戦数試合で着用するほか、二軍の公式戦でも数試合限定で着用。2013年から2015年は「埼玉VS千葉シリーズ」で西武ドームでも着用された。2015年は4月の3連戦において宮城球場でも着用されている。
  • 2016年、千葉移転25年目を記念した「“ALL for CHIBA"シリーズ」のイベントの一環として、CHIBAユニフォームを一新。千葉県公式マスコットキャラクターのチーバくんの赤・移転当時のユニフォームのサンライズピンクを掛け合わせた「サンライズレッド」をメインカラーとした「新・CHIBAユニフォーム」を着用[139]。胸には球団ロゴを模した「Chiba」ロゴが表記され、胸番号・背番号・選手名ロゴはマリンフェスタユニフォーム(後述)と同様。ビジターユニフォームと同じ形の黒いカットラインが入る。
  • 2017年 - 2019年、「CHIBAユニホーム」をマイナーチェンジ。胸番号・背番号・選手名ロゴは、同時にマイナーチェンジされたホーム・ビジター用と同様のタイプに変更。前年と同様に「サンライズレッド」をメインカラーとしており、両肩から脇の部分に黒の太いラインが入っている。さらに、キャップ、パンツの裾部分に赤いドット調をあしらうことで波しぶきを新たに表現したことが大きな特徴。右袖に本拠地・ZOZOマリンスタジアムのある千葉市、秋季キャンプ地である鴨川市のほか、県内での二軍試合を開催する8都市、合計10都市の名前入りロゴを試合別で掲出する[140]。翌2018年は二軍試合開催地が1都市増加し、合計11都市を掲出[141]
  • 2020年 - 2021年、両肩から脇の部分の黒の太いラインを廃止し、ユニフォームやキャップの全面に「サンライズレッド」を施すデザインを使用[142]
  • 2022年、グレーを基調に選手名と帽子を黒・背番号を白としユニフォーム左胸と帽子に1992年のロゴマークを再構築した「CLM」のロゴマークが入れられた。

マリンフェスタ

「月1回のファン感謝デー」をテーマに、毎月1試合で特別ユニフォームを着用して試合を行い、さらに試合の前後に選手がトークショーやサイン会などのファンサービスを行うイベント。なお、シーズン後に開催されるファン感謝デーは「スーパーマリンフェスタ」と題し、その年に使用された特別ユニフォームを着用する。

  • 2015年:「若手の多いチームの持つ元気さ爽やかさ」「ロッテの本拠地・QVCマリンフィールドのある千葉・幕張の海のイメージ」を表現した「マリンブルー」をメインカラーに使用した限定ユニフォームを着用[143]。胸ロゴは「Marines」で、胸番号・背番号・選手名ロゴはホーム・ビジター用とは異なる字体を採用。脇から袖の部分に黒いラインが入る。
  • 2016年:前年同様の2コンセプトに加え、「海の上に広がる空」をイメージした青と白色を基調とし裾に向かって薄くなるグラデーションタイプのユニホームを使用。なお、ロッテがグラデーションタイプのユニホームを採用するのは、2008〜2009年に使用されたビジターユニホーム以来となる。ビジターユニフォームと同じ形の黒いカットラインが入る[144]
  • 2017年:胸の「Marines」ロゴは海をイメージした青い迷彩柄の中に白いカモメのイラストをデザイン。また、同年の「CHIBAユニフォーム」と同様、キャップ、パンツの裾部分に青いドット調をあしらうことで波しぶきを新たに表現している。「CHIBAユニフォーム」と共に、胸番号・背番号・選手名ロゴは、同時にマイナーチェンジされたホーム・ビジター用と同様のタイプに変更[145]
  • 2018年:井口資仁監督就任1年目から「波に乗り」「ウェーブ」を巻き起こすという気持ちを込めて、力強い波をベースにチームの象徴であるカモメを全体にあしらったデザイン。胸の「MARINES」ロゴは前年までと異なって全て大文字となり、ロッテオリオンズ誕生50年目のシーズンを記念して、1969年にロッテオリオンズとして最初に登場したユニフォームのアーチ型ロゴをモチーフとしたデザインに変更[146]
  • 2019年:本拠地ZOZOマリンスタジアムをイメージした淡いブルーを基調に、白のストライプを球団の象徴として採用しストライプの細部に数多くのカモメを入れたデザインとし、背ネームには親近感を高めるべくニックネームを表記する[147]
  • 2020年:本拠地ZOZOマリンスタジアムをイメージしたブルー色にチームカラーであるホワイトを合わせ爽やかな幕張の海と青空を表現したものとし、背ネームのニックネームは一般から公募した[148]。また、キャップやヘルメットをユニフォームと同じブルーに統一。

先祖返りのユニフォーム

「千葉ロッテマリーンズ」となった1992年、広告代理店の博報堂がデザインを担当し、「今までのプロ野球にない色使い」を重視し、チームのイメージカラーとしてピンクが採用された。球団旗・ペットマーク・ユニフォームにピンク色は採用され、明るいパステル調のこのピンクは「サンライズ・ピンク」と名付けられ、「陽気さ・親しみやすさ・楽しさを表し、未来へと広がる千葉のイメージをも表している」と説明された[149]。またビジター用ユニフォームの地色となった水色も「カレントブルー」と名付けられ、「千葉県沖合における親潮黒潮のぶつかり合い」と定義付けられた。

  • なおOBの小宮山悟が2018年に『ベースボールマガジン』のインタビューに語った内容によると、初代ユニフォームの選定段階ではいくつかのカラーパターンが選手側に提示され、その中でエメラルドグリーンが一番人気を集めたという。しかし結果的にはオーナー代行の重光昭夫の鶴の一声でピンクに決まり選手は一様に落胆した、と振り返っている[注 42]

ところが、1995年に監督に就任したボビー・バレンタインはピンクの「Marines」ロゴが入ったユニフォームを「戦う者の着るユニフォームではない」と批判[149]。そのためユニフォームの変更を余儀なくされたが、その時に広岡GMの提案で出来たのが、白地に黒の縦縞で、左胸には黒に銀の縁取りが施された“M”一文字の入ったユニフォームであった(2005年に「戦」と名付けられたユニフォームに当たる)。全体的に毎日創立時のデザインと似通っていたため、「先祖がえりともいわれ、多くのファンに歓迎された。」と、綱島理友の書籍『プロ野球ユニフォーム物語』に、先述の変更へのいきさつとともに記述されている[150][注 43]

  • ただし、小宮山悟が前述のインタビューに語った内容によると、上記の批判をしたのはフリオ・フランコであるという。

その他

1998年には、通常のホームユニフォームをノースリーブとしたノースリーブユニフォームを夏季に使用した[151]
2012年8月17日 - 8月19日の日本ハム戦(札幌ドーム)で、日本ハムがブラックを基調とした特別ユニフォームを着用するのに伴い、普段のブラックのビジター用ユニフォームではなく、ホーム用のストライプユニフォームを着用。2017年は宮城球場で東北楽天が黒のユニホームを着用するのに伴い、通常のホームユニホームを着用した。
「ブラックブラックナイト」と呼ばれる、ホームの試合で普段のホーム用のストライプユニフォームではなくビジター用ユニフォームを着用する試合を毎年1試合程度行っている。(例外として2014年は2試合(4月4日と7月31日で、対戦相手は両日ともに同じ北海道日本ハムファイターズ戦であった)。2015年・2016年の対戦相手だった福岡ソフトバンクホークスはビジター用ユニホームがマリーンズのそれと同じ配色だった為、ホーム用ユニホームでプレイしている。
MAKUHARI SUMMER STADIUM
2018年7月7日 - 9月2日にかけてのホーム7試合・ビジター6試合にて、オーストラリアのサーフブランド・ビラボン(en)によるパンダナスをモチーフとしたボタニタル柄デザインのユニフォームを着用[151]
2019年7月7日 - 8月12日にかけてのホーム7試合・ビジター6試合にて、ビラボンによるハワイをテーマに「TRADEWINDS(貿易風)」のコンセプトで貿易風がもたらす自然や文化をヴィンテージ風に表したデザインのユニフォームを着用[152]
BLACK SUMMER WEEKEND
2021年よりチームカラーの黒を基調とした夏季限定のユニフォームを着用。
2021年7月2日 - 8月15日のホーム9試合にて、「魅惑のボールパークで自由に遊ぶ、特別な夏」をコンセプトにチーム名・背番号部にミントカラーをあしらったユニフォームを着用。
2022年7月16日 - 8月14日のホーム9試合にて、「心躍る、夏のボールパーク」をコンセプトにチーム名・背番号部に夏の夜空に映えるイメージのライトパープルをあしらったユニフォームを着用。

  1. ^ 日付はシーズン途中で就任した場合のみ記載。
  2. ^ 日付はシーズン途中で退任した場合のみ記載(休養は含まない)。その他は原則として年度末退任。
  3. ^ 登録上は総監督。1952年は平和台事件の責任を取り辞任。
  4. ^ 登録上は1950年 - 1952年も監督だが、実際の指揮は総監督の湯浅が執っており、公式記録上も湯浅が監督として扱われている。1952年は平和台事件の責任を取り、湯浅と共に7月27日までで辞任。
  5. ^ 1965年は6月17日から7月1日まで病気休養。その間は濃人渉が代行。
  6. ^ 1967年は6月20日から7月31日まで休養。その間は濃人渉が代行。その後、8月14日に解任。
  7. ^ 1971年は7月13日の放棄試合の責任を問われ、7月23日に二軍監督に降格。
  8. ^ 1975年は4月23日から5月5日まで病気療養。その間高木公男が代行。
  9. ^ 1990年は6月24日から30日間の出場停止処分を受けたため、その間は徳武定之が代行。
  10. ^ 1994年は8月2日から休養、残り試合は中西太が代行。
  11. ^ 1996年は8月23日から25日まで病気療養、その間は江藤省三が代行。
  12. ^ レギュラーシーズン2位からプレーオフを制してパリーグ1位。
  13. ^ 優勝は達成無し、クライマックスシリーズを制して日本一を達成。

注釈

  1. ^ ただし、2010年はクライマックスシリーズを優勝して年間勝率3位から日本一になっており、日本一から最も長く遠ざかっているのは広島東洋カープで、最後の日本一は1984年まで遡る。
  2. ^ 一部の資料[要出典]では「株式会社大映毎日球団」とする記述もある。
  3. ^ 毎日新聞社がオリオンズの経営から手を引いたのち、元毎日新聞社社長の小池唯夫がパ・リーグ会長を務めた時期がある。
  4. ^ 本塁打95本、被本塁打76本。
  5. ^ ただし、プレーオフ勝者をリーグ優勝としていた2005年に優勝はしており、優勝から最も長く遠ざかっているのは横浜DeNAベイスターズで、最後の優勝は横浜ベイスターズ時代の1998年まで遡る。
  6. ^ 球団の経営権利譲渡で、連盟登記の球団名やユニフォームなどを全て従来のままとしたケースはこれが初めてであり、類似のケースとしては2001年の横浜ベイスターズが挙げられる(球団をマルハからTBSに譲渡した時、連盟登記の球団名やユニフォームなどは全て従来のままとした)。
  7. ^ 他に有藤通世27本、江藤愼一25本、アルト・ロペス24本、山崎裕之21本。
  8. ^ 野球協約が制定される以前は、阪神電気鉄道東京ジャイアンツの株式、読売新聞社大阪タイガースの株式を、互いに持ち合った事例がある。
  9. ^ ただし、プレーオフ勝者をリーグ優勝としていた2005年に優勝はしており、優勝から最も長く遠ざかっているのは横浜DeNAベイスターズで、最後の優勝は横浜ベイスターズ時代の1998年まで遡る。
  10. ^ 大洋時代の1961年から横浜時代の1997年まで。
  11. ^ その後、1998年に現在の球団寮が竣工した。
  12. ^ その後、ホールは中日ドラゴンズに移籍するも、両膝を故障した影響で途中退団。
  13. ^ イチローオリックス・ブルーウェーブ)、田中幸雄日本ハムファイターズ)と3人並んで80打点のタイ記録。
  14. ^ プレーオフ第2ステージ勝利チームがリーグ優勝チームとされていた。
  15. ^ この年のアジアシリーズも初回大会であり、毎日時代のパ・リーグのリーグ戦、日本シリーズ、ロッテ時代のセ・パ交流戦、アジアシリーズと4つの初代王者の称号を手に入れたことになる。
  16. ^ 同一チームから2ケタ勝利投手が6人出たのは1956年と1963年の南海ホークス以来である。
  17. ^ パ・リーグでは1966年の東映対阪急戦以来41年ぶり2回目の出来事。
  18. ^ 開幕2連戦の引き分けはパ・リーグでは1974年のロッテ対阪急戦以来33年ぶり2回目の出来事となった。
  19. ^ ただし、2010年も引き続き使用されていた応援歌やテーマも2011年以降は長らく採用されず、2016年には復活させる試みもあったものの、外野応援団・MVPのメンバーから抗議を受け、取り止めになっている。
  20. ^ 当時は前後期の首位同士のプレーオフの結果で優勝チームを決定しており、1973年のプレーオフに勝利した南海はシーズン3位扱いではなく、リーグ優勝扱いであった点が異なる。シーズン3位として日本シリーズに進出したのは2010年ロッテが初。
  21. ^ シーズンの通期勝率が2位以下で日本一となった例は1975年の阪急、1982年の西武、2005年のロッテがあるが、各当時のルールでは全てリーグ優勝の扱いとなっていた。
  22. ^ セ・リーグでは2007年の中日が2位から日本一となっている。
  23. ^ 本来は3月25日のKスタ宮城での楽天戦だった。
  24. ^ これまでの記録は1958年の435。
  25. ^ 同年は近鉄が27本、中西太(西鉄)31本、山内和弘(毎日)28本。
  26. ^ 巨人時代の登録名は本名の大村三郎。
  27. ^ ただし、平成17年(2005年)では第2位の状態でプレーオフを制してリーグ優勝し、そのまま日本一となっている。
  28. ^ 後にサッカーJリーグ清水エスパルスの社長職に就くことが発表された[85]
  29. ^ 年間最高勝率はプレーオフを制した2005年を除く4回。
  30. ^ アジアシリーズの振り替え大会。
  31. ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1978年・1980年・1984年の15分が最多。
  32. ^ 1年を通してレギュラーシーズン1位の状態で日本一。
  33. ^ 2010年のこと。
  34. ^ 2018年と2019年に日本一になったソフトバンクはこの両年はいずれもリーグ2位から日本シリーズに進出し、日本一を達成している。
  35. ^ 因みに、消滅した9球団で全球団に負け越したシーズンの経験がある球団は、松竹ロビンス大和軍大阪近鉄バファローズ高橋ユニオンズ大映ユニオンズの5球団である。
  36. ^ 18時半開始はパ・リーグでは過去に西武ライオンズが1985年ごろまで実施。更にオリックスが阪急西宮球場本拠地最終年となった1990年の主催ナイターを18時半に全て開始した事例がある。セ・リーグではヤクルトが1989年まで神宮での試合を大学野球の都合もあり、通年で18時半開始としていた他、横浜ベイスターズも2009年の火曜日の一部の試合でテレビ中継(当時19時55分から21時48分にナイターを放送)の都合上18時半開始とした試合があった。
  37. ^ 平日のナイターで開始を15分ずれこませているのは、当初の18時開始では仕事終了後だと「試合開始に間に合わない」、18時30分開始では「帰宅時間が遅れる」という苦情が出たことや、駅からやや時間がかかるためでもある。
  38. ^ 2013年からはペナントレース期間中に球団のラッピング電車を独自に運行している[122][123][124][125]
  39. ^ 日本のプロ野球チーム関係者に対する禁煙対策は、ロッテ以外では横浜DeNAベイスターズが2012年以降の新人選手に入団から2年間の禁煙を義務づけた例がある。
  40. ^ このときのユニホームデザインは、韓国・ロッテジャイアンツのユニホームにも応用された。
  41. ^ この年はヤクルト、ソフトバンク、西武、広島も交流戦を中心に過去のユニフォームを着用しており、復刻ユニフォームの当たり年である。
  42. ^ また小宮山は、最終的な選考結果は選手にもまったく知らされず、知ったのはお披露目記者発表の時が初めてだったと語っている。
  43. ^ このデザインのホーム用ユニフォームは2021年現在、NPB12球団で最も歴史の長い通常使用のユニフォームとなっており、また2021年で使用27シーズン目となり、1973年から1991年にかけて19シーズン使用されたユニフォームを上回り、球団史上最長使用のユニフォームともなっている(ただし提供メーカー・素材・背番号および胸番号のフォントなどの細かいマイナーチェンジは行われている)。
  44. ^ 両計画とも、本拠地は千葉マリンスタジアムとすることを構想していた。
  45. ^ 2015年1月に千葉ロッテの本拠地と同じ幕張新都心に本社があるイオンの傘下となった。
  46. ^ ロッテはこの他、東京ドームで開催された2010年4月20日の同4回戦でも2-8で敗れている。
  47. ^ なお同様例は巨人と西武(ドームを本拠としているため、天然光だけではボールが見えにくいなどにより開催が困難なため、主管開催の会場変更・開催日程の変更などが生じた)を除く他の在関東球団のホームスタジアムにおける主管試合でも行われた。
  48. ^ 震災前にも、消化試合の日程の関係で、ダブルヘッダーを含めたデーゲームとなった試合が数例ある。
  49. ^ 但し楽天の場合、仙台では春先でも夜間は冷えるため開幕当初の平日ナイターは極力避けたいという事情の方が大きい。なお、2015年はこれとは別に、コボスタ花火大会を行うため1試合だけ16時開始の試合を組んでいたが、試合が長引いたため花火大会は後日延期となった。また2016年度は開幕戦・3月25日のソフトバンク戦を16時、4月1日の西武戦を13時開始に設定した。
  50. ^ 日本ハムは現在は週末・休日は札幌ドームでの開催を優先していることもあり、地方開催のうち道内にある釧路帯広函館での主催試合は球場に照明設備がないこともあり平日デーゲームで開催している。また、西武もファンサービスで4月に平日デーゲームを実施するようになった。
  51. ^ そのため、球団は親会社から毎年「広告宣伝費」名目で赤字を補填してもらっていた。プロ野球球団は社会の公器でもあることから、親会社としては保有する球団が自社の宣伝媒体と認められれば、球団の赤字を補填する金額分は非課税扱いとされるなど税制上の優遇措置が受けられる[160]
  52. ^ a b CBCラジオに加えて、東海ラジオ「東海ラジオ ガッツナイター」も金 - 日曜日に自社乗り込みを行う場合は、土・日曜でも金曜日に合わせてCBCラジオが文化放送への、ニッポン放送が東海ラジオへの技術協力を行うことが多い。
  53. ^ 編成上の都合により録画放送となり、生放送についてはスカチャンで迂回放送することがある。
  54. ^ 1970年から1972年まで日本テレビで解説者を務めた金田正一がロッテの監督に就任した1973年以降は、週末デーゲームを中心に中継を増加させ、時折全国中継も実施したが、千葉移転以後徐々に減少し、2010年代以降はビジター側地元系列局への技術協力による放送のみとなっていた。
  55. ^ 不定期。テレビ神奈川が担当する大洋(DeNA)、ヤクルトの試合放送がない時に行っていたが、巨人主催試合との重複開催である場合、18時台と21時前からは日本テレビとのリレーナイターをしていたため、ネット局があればその時間は裏送りだった。
  56. ^ テレビ埼玉は基本的に西武に絡む試合(西武主管はTBSビジョンとの提携で「TVSライオンズアワー」として放送)、または後楽園・東京ドームで行われた日本ハムの主管試合(東京ケーブルネットワークと提携)をメインとして編成したため、ロッテがビジター扱いとなる西武・日本ハム主催試合の中継で多数登場しているが、西武・日本ハムの試合中継がないか、どちらかがロッテとのビジターゲームとなり、かつテレビ神奈川が大洋・ヤクルトの試合中継と重複して放送に空きがなかった時に、テレビ埼玉が川崎球場や平和台球場などの地方球場に乗り込んで試合を放送した事例が何度かあった。
  57. ^ なお、文化放送ライオンズナイターでの対千葉ロッテマリーンズ戦中継時のベンチサイドリポーターにマリーンズ熱血応援レポーターかわのをとや起用は継続している。

出典

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