KAIENTAI_DOJOとは? わかりやすく解説

KAIENTAI DOJO

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 09:52 UTC 版)

有限会社かいえんたいどうじょう
KAIENTAI DOJO
種類 有限会社
略称 K-DOJO
本社所在地 日本
260-0001
千葉県千葉市中央区都町3-4-17
設立 2002年4月1日
業種 サービス業
法人番号 4040002014437
事業内容 プロレス興行
関連企画の運営
代表者 代表取締役会長 十枝利樹
関係する人物 TAKAみちのく(創業者)
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KAIENTAI DOJO(カイエンタイ・ドウジョウ)は、千葉県を中心に活動していたプロレス団体。創業者のTAKAみちのくが取締役解任及び退団したことをきっかけに団体名を2AW、社名を有限会社オンリーアドバンスに改称。

所属選手とスタッフの本名について

所属選手とスタッフの本名は基本的に公開しない方針をとっている。本名で活動してもプロフィールは「本名:非公開」になっている。他団体からの参戦、移籍組に関しては過去に公開済みであっても所属後は同様の処置をしている。方針理由は明らかにされていないが個人的に公表しても違反や罰則はない。

ここ最近では特例で明かしたり、Facebookを開設した際に本名を出す選手も出てきている。TAKAみちのくは過去に「本名:非公開」のまま本名にちなんだユニット名で活動していた。火野裕士はテレビ出演した際、本名の記載された卒業アルバムの写真を公開している。

特徴

選手が個性的な部分を主張してエンターテイメント性が強いプロレスを展開している。エントランスムービーを流しながらの選手入場、試合会場裏でのスキット、選手を「タレント」と呼称しているなどTAKAみちのくが所属していたWWFでのノウハウが随所に組み込まれていた。

TAKAは頭部から垂直に落とすプロレス技を嫌っているため垂直落下系技の使用が少ない。「大技連発をしないで1点集中攻撃」のコンセプトであり、逆に垂直落下系の技を使用することでTAKAへの反骨心、挑戦アピールの意味合いが生まれていた。

歴史

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2006年

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

2015年

2016年

2017年

2018年

2019年

  • 1月13日、遊馬が退団。
  • 1月19日、TAKAが記者会見を行って不祥事により、1月30日で取締役解任及び退団することを発表。
  • 4月8日、団体名と社名を変更することを発表。
  • 4月13日、6月から団体名を2AW、社名をオンリーアドバンスに変更することを発表[3][4]
  • 5月26日Blue Fieldで「KAIENTAI DOJO最終興行〜17年間応援ありがとう〜」を開催。
  • 5月31日、洞口が退団。
  • 6月1日、団体名を2AW、法人名をオンリーアドバンスに改称。

タイトル

トーナメント戦、リーグ戦

最終所属選手

男子選手

1期生
2期生
4期生
8期生
9期生
12期生
13期生
14期生
15期生
16期生
18期生

女子選手

第7期生
第19期生

スタッフ

レフェリー

リングアナウンサー

歴代所属選手

男子選手

1期生
2期生
3期生
4期生
5期生
7期生
9期生
10期生
11期生
13期生
  • 遊馬(旧:雄馬、現:ユーマ24)
17期生

女子選手

1期生
2期生
4期生
7期生
16期生

歴代スタッフ

サラウンドフォース

K-DOJOで行われているバトルロイヤル

  • 試合は主に8人で行われて2人ずつ4隅のコーナーに待機する。
  • このうち2人に試合の権利が与えられて試合を行う。
  • 試合の権利を持つ選手はコーナーに待機するすべての選手と交替することができる。
  • いずれかの選手が3カウント、ギブアップを奪った時点で試合終了になる。そのため、試合の権利を持たない選手は、それを阻止しなければならない。

試合中継

Blue Field

脚注

  1. ^ 滝澤大志の処分について”. KAIENTAI DOJO公式サイト (2013年7月2日). 2013年7月7日閲覧。
  2. ^ 謹慎処分の解除について”. KAIENTAI DOJO公式サイト (2014年12月28日). 2015年1月1日閲覧。
  3. ^ 新団体名発表”. KAIENTAI DOJO公式サイト (2019年4月13日). 2019年4月16日閲覧。
  4. ^ 千葉拠点のプロレス団体、「2AW」に改名 地域密着「地元に恩返し」”. 産経ニュース (2019年5月22日). 2019年8月16日閲覧。

KAIENTAI-DOJO

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/09/02 10:28 UTC 版)

有限会社かいえんたいどうじょう
KAIENTAI DOJO
種類 有限会社
略称 K-DOJO
本社所在地 日本
260-0001 
千葉県千葉市中央区都町3-4-17
設立 2002年4月
業種 サービス業
事業内容 プロレス興行
関連企画の運営
飲食店の経営
代表者 代表取締役社長 TAKAみちのく
関係する人物 TAKAみちのく(創業者)
外部リンク KAIENTAI-DOJO公式サイト
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KAIENTAI-DOJO(かいえんたい-どうじょう)は、千葉県を中心に活動するプロレス団体

概要

前身はTAKAみちのく2000年10月プエルトリコに設立したプロレス学校で、闘龍門と同じように育て上げた選手を逆上陸させるシステムを取っている(成績不振の選手がプエルトリコに強制送還されることもある)。

国内での旗揚げに先駆けて所属選手のHi69ヤス・ウラノ柏大五郎石坂鉄平真霜拳號松本だいすけの6名が先に逆上陸し全日本プロレスなどに参戦、その後2002年4月20日ディファ有明でKAIENTAI DOJO旗揚げ戦を行った。

エンターテイメント性が強いプロレスを展開している。入場時のスクリーンによるプロモーションビデオの使用、会場裏でのスキット、所属レスラーを「タレント」と呼称する(WWEではレスラーを「スーパースター」と呼称している)など、TAKAがWWEで学んだノウハウが随所に組み込まれている。

そのWWEの影響からか、TAKAが脳天から落とす技を嫌っているために垂直落下系の技を使う選手が少ない。基本コンセプトは「大技連発をしないで一点集中攻撃」である。このことによって、逆に垂直落下の技を使用することがTAKAに対するアピールになるという意味合いが生まれている。

またKAIENTAI DOJO出身選手は仲間の試合時にセコンドがリング下から積極的に大きな声を出し、応援したり指示を送ったりしているのも特徴的である。ファンもそれにつられてか、非常に高いテンションで応援をする。後楽園ホール大会では観客数は満員には程遠いものの、メジャー団体の興行よりも観客席が盛り上がっていることがある。

団体では選手は基本的に本名を公開しない方針で、本名で出場している選手でも「本名非公開」となっている。過去に他団体に所属し、本名がかつて公開されていた選手でも同様の処置がしてある。これはプロフィール上での処置のため、本人が公表しても特に違反、罰則はない。

この規定は退団者にも適用されていたが、最近では特例(後述)で明かしたり、Facebook開設時に本名を出す選手(所属ならびに退団)が出てきている。

かつては社長のTAKAみちのくの本名が公開され、それにちなんだユニットも活動していたが、現在は非公開となっている。ただし、有限会社かいえんたいどうじょうの会社概要及び会社として所属する千葉商工会議所青年部のホームページでは本名が記載されている。

火野裕士プロレスリング・エルドラド参戦時、同じ高校のレスリング部の先輩である"brother"YASSHI沖本摩幸南京Fuckin'高校レスリング部を結成し、ユニットの方針により本名で参戦している。またテレビ出演時に本名の記載された卒業アルバム写真も公開している。

歴史

2002年

2003年

2004年

  • 1月3日、「CLUB-K ビックリショー」開催。
  • 1月11日、「DJニラプロデュースTHE青年の主張」開催。DJニラが6試合戦い場内は心地よい感動に包まれた。
  • 2月1日、「吉田屋興行」開催。
  • 3月21日、新人選手稲松三郎石川はじめがデビュー。
  • 2月28日、第1回「KAIENTAI DOJOという名のタッグリーグ戦」が開幕。
  • 3月20日、「お船の森」開催。
  • 3月27日、真霜拳號&十島くにおがKAIENTAI DOJOという名のタッグリーグ戦優勝。
  • 4月25日、ディファ有明にて「CLUB-K SUPER ev3」旗揚げ2周年大会開催。同日にサンボ大石がUWA世界ミドル級王者となり、柏大五郎&石坂鉄平がUWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王者となる。
  • 5月1日、「選手会主催興行」開催。
  • 5月23日柏組による「柏組結成記念興行」開催。
  • 6月6日、X'sによる「X's卒業興行」開催、失踪していたメンバーも久々に姿を見せる。同日よりお船が呼んできた謎の外人レスラー「トミー・ディアブロ」&「ロビー・ロメオ」が参戦する。
  • 6月19日、「STRONGEST-Kトーナメント」開幕。
  • 7月3日YOSHIYA&GENTAROがUWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王者となる。同日にHi69がSTRONGEST-Kトーナメント優勝、CHAMPION OF STRONGEST-K初代王者となる。
  • 7月11日から日曜日の定番興行「サンデーファイトGO!GO!」が始まる。
  • 7月19日、「K-METAL LEAGUE」開幕。
  • 8月22日、旭志織がK-METAL LEAGUE優勝。
  • 9月11日カズ・ハヤシがCHAMPION OF STRONGEST-K第2代王者となる。
  • 9月19日、「マスク祭り」開催。同日に「柏組興行」開催。
  • 10月30日、カズ・ハヤシによる「カズ・ハヤシ祭り in "KAZU-DOJO"」開催。同日にTAKAみちのく&筑前りょう太がUWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王者となる。
  • 10月31日に最後の「サンデーファイトGO!GO!」が開催された。
  • 11月27日、「柏組&DJニラ合同興行」開催。
  • 12月11日、「K-SURVIVORトーナメント」開幕。
  • 12月26日、第1回「K-AWARD」が開催。同日に柏組がK-SURVIVORトーナメント優勝。

2005年

  • 1月3日、「CLUB-K ビックリショー」開催。
  • 1月10日、TAKAみちのくがCHAMPION OF STRONGEST-K第3代王者となる。
  • 1月23日、新人選手中川ともかがデビュー。同日に「KAIENTAI DOJOという名のタッグリーグ戦」が開幕した。
  • 1月30日、NHKの公開イベントが開催された。
  • 2月19日、房総ボーイ雷斗がUWA世界ミドル級王者となり、しばらく流出していたベルトが再び戻ってきた。
  • 2月27日、「KAIENTAI DOJOという名のタッグリーグ戦」決勝戦にて真霜拳號&KAZMAが優勝し初代STRONGEST-K TAG王者となった。コミッショナー選挙が行われ、味方冬樹が新コミッショナーとなった。
  • 3月6日、「UWA&UWF認定インターコンチネンタルタッグ王座」を獲得したSTRONGEST-K TAG王者の真霜拳號&KAZMAが「タッグのベルトは2本もいらない」とインタコンチ王座の封印を宣言した。
  • 3月13日、上越たくが再デビュー。
  • 3月26日、「ときわ苑集会」にバジリスクが乱入する。
  • 4月3日、後楽園ホールにて「CLUB-K SUPER ev4」旗揚げ3周年大会開催。
  • 4月24日、「K-METAL LEAGUE」開幕。同日に新人選手小幡優作がデビュー。
  • 4月29日、第1回「GWSP8」開幕。
  • 5月12日、八戸の中学校が修学旅行で「千葉BlueField」を見学に来る。
  • 5月15日、「CLUB-K SUPER necessary...」開催。守部宣孝がK-METAL LEAGUE優勝。この興行以降は「GET」と「RAVE」の2リーグに選手が分かれることになった。
  • 5月21日、「GET」の第1回興行が開催された、観客数136人。同日に練習生として再修業していた「バンビ」が再デビューした。
  • 5月22日、「RAVE」の第1回興行が開催された、観客数58人。
  • 7月13日、「STRONGEST-K前夜祭」が開催された。
  • 7月15日、初となる横浜文化体育館での興行にて「STRONGEST-Kトーナメント」開幕。
  • 7月23日千葉県北西部地震による首都圏交通マヒにより、GET興行が中止となる。代わりに勤王党がサイン会を行った。
  • 8月14日、真霜拳號がSTRONGEST-Kトーナメント優勝。「お船」の引退式。同日試合後に第1回「TAKAパニック」が開催された。
  • 9月17日、「マスク祭り」開催。
  • 11月3日長崎県の離島の小値賀町にて地元の方々の協力を得て「燃えよ島魂!!Theおぢか祭り2005」開催、新聞やテレビなどでも話題となった。
  • 11月6日、石坂鉄平の母校である国際武道大学の「黒潮祭」にて初めてとなる学園祭プロレスを行った。
  • 12月14日からビクター・キニョネスの送り込んだリッキー・バンデラスが両リーグに参戦する。
  • 12月23日、WEWハードコアタッグ王者決定戦が行われアップルみゆき&YOSHIYAが第14代WEWハードコアタッグ王者となった。同日に「K-AWARD」が開催された。

2006年

  • 1月3日、「CLUB-K ビックリショー」開催。
  • 1月6日、JOEがCHAMPION OF STRONGEST-K第4代王者となる。
  • 2月6日、大石真翔&旭志織が第2代STRONGEST-K TAG王者となった。
  • 2月12日、「KAIENTAI DOJOという名のタッグリーグ戦」が開幕。
  • 3月12日、「KAIENTAI DOJOという名のタッグリーグ戦」決勝戦にて大石真翔&旭志織組が優勝した。
  • 4月5日、後楽園ホールにて「CLUB-K SUPER ev5」旗揚げ4周年大会開催。同日にPSYCHOがUWA世界ミドル級王者に、JOE&ヤス・ウラノが第3代STRONGEST-K TAG王者に、Mr.X&マイク・リーJr.が第15代WEWハードコアタッグ王者となった。
  • 4月13日、第1回「R-60」開催。
  • 4月29日、「GWSP7」開幕と同時に恒例の「K-METAL LEAGUE」開幕。
  • 5月3日、大石真翔&旭志織が第16代WEWハードコアタッグ王者となった。同日には鈴木みのるも参戦したことで話題を呼び、観客数239人の超満員となった。
  • 5月7日、TAKUみちのくがK-METAL LEAGUE優勝。同日に石川はじめが引退した。
  • 5月14日から正体不明の謎の男「Mr.T」が柏組マネージャーとして参戦。
  • 6月4日、TAKAみちのく&TOMOみちのくが第17代WEWハードコアタッグ王者となった。
  • 6月10日から謎の房総戦士房総ボーイレフトが参戦する。
  • 7月8日、大阪大会にてアップルみゆき&YOSHIYAが第18代WEWハードコアタッグ王者となった。
  • 7月16日、「STRONGEST-K2006」開幕
  • 7月17日、新人選手梶ヤマトがデビュー。
  • 8月6日からスタンプラリーのサービスが変更されポイントカード方式になった。
  • 8月13日、真霜拳號がSTRONGEST-Kに優勝し2連覇を達成。
  • 9月9日、味方冬樹がコミッショナーを辞任し296が新コミッショナーとなる。
  • 9月18日、敬老の日に「R-60」を開催した。
  • 10月9日、真霜拳號がCHAMPION OF STRONGEST-K第5代王者となる。
  • 10月28日、「マスク祭り」開催。
  • 11月5日、旭志織がUWA世界ミドル級王者となる。
  • 11月19日、新人選手ヒロ・トウナイランディ拓也滝澤大志がデビュー。同日にSUPER-XがNew Standardを離脱。マスクを脱ぎ「円華」とリングネームを改め、真霜拳號と行動を共にすることになった。
  • 12月10日、WEWハードコアタッグ3WAY選手権にてYOSHIYAがパートナーのアップルみゆきを裏切り攻撃し、王座は大石真翔&旭志織が獲得。これによりスラムローズは解散となった。
  • MIYAWAKIが柏組を辞めGETへ移籍し、旭・大石・バンビ・YOSHIYA・MIYAWAKIでヒールユニット「Ω」を結成。

2007年

  • 1月3日、「ビックリ新年会」が開催された。
  • 1月7日、火野裕士&稲松三郎が第4代STRONGEST-K TAG王者となった。
  • 1月14日、「KAIENTAI DOJOという名のタッグリーグ戦」が開幕。同日にTAKUみちのくが安沢たくに改名した。
  • 4月8日、後楽園ホールにて「CLUB-K SUPER ev6」旗揚げ5周年大会開催。DJニラ引退を発表。
  • 4月15日、2リーグ制の廃止、中川ともかの移籍を発表。
  • 6月10日にRAVE最終興行が開催された。
  • 7月8日に「STRONGEST-K2007」開幕。この日付でマイク・リーJr.が現役を引退。またヤス・ウラノが退団しフリーに。二人が所属していたバジリスクも解散となった。
  • 7月22日大会にてマイク・リーJr.改めマイク佐藤が新コミッショナーに就任した。
  • 7月25日に発売されたSEAMOのシングル「Fly Away」のプロモーションビデオに味方冬樹と梶ヤマトが出演した。なお、この撮影は千葉ブルーフィールドにて行われた。
  • 9月17日、敬老の日に「R-60」を開催。
  • 10月21日、新人レフェリー熊本ちえがデビュー。
  • 12月23日、2007年の最終興行が開催され、終了後に第4回「K-AWARD」も開催された。

2008年

2009年

  • 4月12日、TAKAみちのくが真霜拳號を破り第8代CHAMPION OF STONGEST-T王者となる。
  • 4月25日、KAZMAと真霜拳號が共闘を表明。のちにヒールユニット「MONSTER Plamt(モンスター・プラント)」となる。
  • 5月梶ヤマトがMONSTER Plamtに加入する。
  • 8月29日、梶ヤマトがMONSTER Plamtを「戦力外」として追放される。
  • 9月22日、梶ヤマトが関根龍一に破れ「NOT STRONGEST-Kトーナメント」優勝となり、K-DOJO最弱と認定される。
  • 9月23日柏大五郎牙騎鱗を裏切りMONSTER Plamtに加入。
  • 同日、「NOT STRONGEST-K」優勝者である梶が、2009年度「STRONGEST-Kトーナメント」優勝者である旭志織に破れ、罰ゲームとして「梶トマト」に強制改名となる。
  • 10月18日、KAZMAがTAKAみちのくを破り第9代CHAMPION OF STRONGEST-K王者となる。
  • 11月14日ヒロ・トウナイがMONSTER Plamtに加入。
  • 12月23日、真霜拳號・柏大五郎組が大石真翔・旭志織組を破り、第12代STRONGEST-K TAG王者となる。

2010年

2011年

  • 2月13日、同日付けで佐藤悠己が所属選手となる。
  • 2月19日、同日の大会よりKAZMAが復帰。
  • 3月12日11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)及び東京電力福島第一原子力発電所での事故の影響で、同日予定されていたCLUB-K3000と、13日予定のCLUB-K SUPERが中止。後者は翌週20日予定のちばハッピープロレスを中止させ、その枠を代替日程に組み込まれた。
  • 3月19日、大震災後、チャリティー興行としてこの日からCLUB-K3000を再開。第一試合終了後、震度4の余震に見舞われ一時は中止の可能性もあったが続行。メインは火野裕士&滝澤大志vs真霜拳號&KAZMAで30分時間切れの大熱戦を繰り広げ、来場した観客を力強く励ました。
  • 4月30日、千葉6人タッグ選手権王座が新設。王座決定トーナメントを制した旭志織ヒロ・トウナイ佐藤悠己組が初代王者となる。
  • 6月18日、後楽園ホール大会。海援隊☆DX最後の揃い踏み。みちのく・ザ・ベスト奇跡の復活。篠塚リングアナや、テッドや浪花の遺影が見守る中、負傷欠場となったカズ・ハヤシの代わりに中島半蔵が出場。メインではS-K王者火野裕士真霜拳號のタイトル戦が行われ、一点集中・フォールは勝つためにするというKAIENTAI-DOJOイズムを体現したかのような試合を繰り広げ、真霜拳號が第11第STRONGEST-K王者に返り咲いた
  • 7月17日、2年間に及び月に1度開催されていた、ちばハッピープロレスがこの日を最後に最終回を迎えた。
  • 7月17日、この日よりプロレスリング・ノアで開催された、日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に負傷欠場となった石森太二の代わりに滝澤大志がザック・セイバー・ジュニアと組み出場する。
  • 7月18日、千葉県館山市にある海上自衛隊館山第21航空郡の一般開放イベントにおいて、初となる自衛隊プロレスを開催。
  • 7月22日、千葉県茂原市での茂原七夕フェスタの野外特設リングにてお祭りプロレス開催
  • 12月1日、同じ千葉市を本拠地とするREINA女子プロレスと協力関係を締結するとともに、千葉BlueFieldの管理権を同団体の運営会社レイナ・コーポレーションに譲渡する。

2012年

  • 1月3日、フリーランスであった「リッキー・フジ」が正式入団。
  • 2月26日、海外遠征中のKAZMA滝澤大志WWEと2軍(ディベロップメント)契約。
  • 3月10日、敗者ユニット解散マッチにて「TTS」が解散。
  • 4月8日、10周年記念後楽園ホール大会にて本田アユムがvsHIROKI&ヤス・ウラノ(パートナーは関根龍一)でデビュー
  • 7月8日、10周年記念千葉ポートアリーナ大会にて、8月5日に毎年恒例のSTRONGEST-Kトーナメントに代わる「海王トーナメント」という1DAYトーナメントの開催、WWEと2軍契約を解消した滝澤大志の復帰と同トーナメントへのエントリーが発表された。
  • 7月29日、提携していた「REINA×WORLD」の運営会社「レイナ・コーポレーション」へ、新たに子会社化されたことを発表。REINAと女子レスラー育成プロジェクトも発足される。
  • 9月8日、この日よりプロレスリング・ノアで開催された、日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に旭志織&ヒロ・トウナイが参戦。開幕戦で、この大会に優勝した石森太二&小峠篤司組に勝利。優勝は逃したものの、同大会の技能賞を受賞した。
  • 10月14日、後楽園ホール大会をもってYOSHIYA引退。
  • 11月15日19日、リニューアルされた新日本プロレスNEVER」に開催協力。

2013年

  • 4月1日、REINAアリーナの営業権が株式会社クリエイティブ・アドバンスへ移行、それに伴い『Blue Field』へ会場名が変更となる。
  • 6月16日雄馬がデビュー
  • 7月2日、CHAMPION OF STRONGEST-K第14代王者の滝澤大志が自らの不祥事により無期限謹慎処分を受け、王座を剥奪された[1]
  • 7月14日、この日よりプロレスリング・ノアで開催された、日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に旭志織&ヒロ・トウナイが昨年に続き参戦。開幕戦で、スレックス&ロデリック・ストロング組に勝利し、プロレスリング・ノアへの継続参戦をアピールする。
  • 7月15日3代目マリーンズマスクがデビュー。またKAZMA SAKAMOTOが日本帰国後初試合。
  • 日程は不明だが滝澤大志が練習生として入寮。

2014年

  • 2月16日、BO-SO ゴールデンタッグトーナメント2014で火野裕士&HIROKI組が優勝。
  • 4月29日吉野コータローがデビュー。
  • 7月19日、前日よりプロレスリング・ノアで開催された、日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に旭志織&ヒロ・トウナイが3年連続参戦。初戦で原田大輔&クワイエット・ストーム組に勝利する。しかし最終戦でジンゾー&ロッキー・ロボ組に敗れ決勝進出はならなかった。
  • 8月24日、新人選手ティーラン獅沙がデビュー。
  • 10月5日千葉テレビにてKAIENTAI-DOJOによるレギュラー番組が放送決定。

サラウンドフォース

KAIENTAI-DOJOで行われる変則バトルロイヤル

  • 試合は主に8人で行われ、2人ずつ四隅のコーナーに待機する。
  • このうち2人に試合の権利が与えられリング上で試合を行う。
  • 権利を持つ選手はコーナーに待機するすべての選手と交替することができる。
  • いずれかの選手が3カウントやギブアップなどを奪った時点で試合終了となる。そのため、試合権利を持たない選手達はそれを阻止しなければならない。

タイトルホルダー

KAIENTAI-DOJOが管理する王座
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者
CHAMPION OF STRONGEST-K王座 真霜拳號 第18代
STRONGEST-K TAG王座 火野裕士&HIROKI 第27代 6
千葉6人タッグ王座 藤澤忠伸&内田祥一&SATOSHI 第5代
UWA世界ミドル級王座 梶トマト 第59代
インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座 TAKAみちのく 第19代 16
KAIENTAI-DOJO認定WEWハードコアタッグ王座 リッキー・フジNASUバンデラス 第34代

過去に存在した王座

KAIENTAI-DOJOが開催するトーナメント戦、リーグ戦
タイトル 覇者 年代
BO-SO ゴールデンタッグトーナメント 火野裕士&HIROKI 2014年
K-METAL LEAGUE タンク永井 2013年
海王トーナメント 真霜拳號 2013年

所属選手、主要参戦選手

正規軍

凶月

Bozz連合

千葉ヒーローズ

レギュラー参戦選手

練習生

スタッフ

レフェリー

リングアナウンサー

コミッショナー

道場犬

過去の所属選手

過去のスタッフ

試合中継

終了したテレビ番組

Blue Field

旗揚げ前より、KAIENTAI-DOJOの道場兼、常設会場。リングはもちろん音響や照明、映像設備、シャワー室、トイレ、トレーニング装置を完備し、選手寮も兼ねており道場犬大鉄は会場横の犬小屋に住んでいる。一般レンタルも行われており主に他団体の興行等に利用されているが、テレビ番組の撮影やNHKのラジオの収録なども行われたことがある。2008年に同会場で発生した金村キンタローの強制猥褻事件の現場となった影響で、同年から2010年8月1日FREEDOMS千葉大会)に再開されるまでプロレス他団体への貸出を中止していた。2011年12月1日、同じく千葉に本社を置くレイナ・コーポレーションに営業権が譲渡された。譲渡後もK-DOJOは毎週土曜に興行を行う予定。「千葉ブルーフィールド」としての最終興行は、2011年平成23年)12月18日「K-SPECIAL 千葉BlueField最終興行~ありがとうBlueField」。REINAのGMを務める上林愛貴はK-DOJOの設立に師範代として関わっている。2012年1月3日の特別興行にて新ホール名「REINAアリーナ」と発表された。同年8月以降、K-DOJOの会社自体がREINA傘下となった。2013年、会場の営業権譲渡により会場名が再び「Blue Field」(ただし千葉は付かない)となる。会場へはJR千葉駅下車、東口バスターミナルよりNo.1大宮団地行きもしくはNo.10「成東・中野操車場方面」行きバスに乗車し「旭町」バス停下車。

VVV

読み方は「トリプルヴェー」。KAIENTAI-DOJOコスチューム製作部。格安での作成料金で注目されていたが2003年以降は表立った活動は見られていない。

中華ときわ苑

KAIENTAI-DOJOから徒歩1分の中華料理屋。試合終了後の味方冬樹とトミー茨城の「ときわ苑集会」が行われていた。店内には数多くのプロレスラーのポートレートが貼られており、伝説のレスラー「カウボーイビリー」の貴重なサインを見る為にここを訪れるファンは後を絶たない。TAKAみちのくは五目チャーハンや天津飯が好みである(ラーメンに関しては「マズイ」とコメントしていたが、蝶野正洋と対談した際に蝶野がラーメンを食べていた際には「気に入ってくれてよかった」と発言していた)。同団体パンフレットでも紹介され、KAZMAの専門誌でのインタビューの際は同店前での写真が掲載された。

スポーツ&エンターテインメントバー「CLIMAX」

2010年4月19日にJR稲毛海岸駅前にオープンしたKAIENTAI-DOJOプロデュースの飲食店。店長にはマリーンズマスク(2代目)が就任。主にKAIENTAI-DOJO所属のレスラーがイベントを行うほか、千葉ロッテマリーンズの試合日には関連イベントが開催されることもある。期間限定営業のため、現在は閉店。

脚注

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  1. ^ 滝澤大志の処分について KAIENTAI DOJO NEWS 2013年7月2日付

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KAIENTAI DOJO

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 17:27 UTC 版)

KAZMA SAKAMOTO」の記事における「KAIENTAI DOJO」の解説

2003年 5月3日、KAIENTAI DOJO千葉Blue Field大会でKAZMAとしてTAKAみちのくタッグ組み、対十島くにお&石坂鉄平戦でデビュー2004年 3月1日WJプロレス旗揚げ1周年記念大会メインイベントTAKAみちのくとのタッグ出場長州力&藤原喜明対戦し注目された。 2005年 1月296率い勤王党一員となった。「KAIENTAI DOJOという名のタッグリーグ戦」では真霜拳號タッグ組んで出場し優勝初代STRONGEST-K TAG王座与えられた。 2リーグ制導入により勤王党GET所属となる。 12月29日真霜拳號とのタッグビッグマウス・ラウド参戦石川雄規&伊藤博之戦い勝利した2006年 負傷により長期欠場していたが8月13日復帰296より勤王党党首の座を託された。 11月14日GPWA興行出場2007年 プロレスリング・ノアTAKAみちのくと共に参戦TAKAブキャナンディーロ・ブラウンとともに新生RO&D結成5月6日第3回ディファカップROHヘビー級王者森嶋猛挑戦する敗北2009年 GWSP後、真霜拳號梶ヤマトと共にMONSTER Plant結成する10月18日TAKAみちのく破り第9代CHAMPION OF STRONGEST-K王者となる。 2010年 8月15日火野裕士敗北CHAMPION OF STRONGEST-K王座崩落8月21日、CLUB-K3000のインフォメーションコーナー突如現れ、「これから世界のプロレス挑戦する為、暫くKAIENTAI DOJOを離れる。また戻ってきたときに大暴れしてやるから楽しみにしとけ。」と発表した今後団体所属のまま、無期限欠場となることが団体側から発表された。

※この「KAIENTAI DOJO」の解説は、「KAZMA SAKAMOTO」の解説の一部です。
「KAIENTAI DOJO」を含む「KAZMA SAKAMOTO」の記事については、「KAZMA SAKAMOTO」の概要を参照ください。

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