1979年のロッテオリオンズでは、1979年のロッテオリオンズにおける動向をまとめる。
この年のロッテオリオンズは、山内一弘監督の1年目のシーズンである。
概要
前年Bクラスと前期15連敗の責任を取って金田正一前監督が辞任すると、重光オーナーはOBの山内一弘を新監督に招聘。山内新監督のもと、投手陣では不動のエース・村田兆治や水谷則博などがローテを守り、打撃陣ではレロン・リーとレオン・リーのリー兄弟、有藤道世・弘田澄男などが健在だった。リリーフでは山崎裕之らとのトレードでクラウンから復帰した倉持明が控えるなど戦力は豊富だったが、前述の前年Bクラスの影響で前期は借金8の4位で終了。後期は8月に阪急に次ぐ2位につけるものの、その後失速。終盤は持ち直して3位に食い込んだが通算では2年連続の4位に終わり、前年とほぼ同じ成績(53勝62敗15分→55勝63敗12分)で山内監督の1年目は終了した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1979年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位 |
4月終了時 |
5月終了時 |
前期成績 |
1位 |
近鉄 |
-- |
近鉄 |
-- |
近鉄 |
-- |
2位 |
日本ハム |
3.0 |
阪急 |
7.0 |
阪急 |
1.0 |
3位 |
阪急 |
3.5 |
日本ハム |
7.5 |
日本ハム |
6.0 |
4位 |
ロッテ |
5.0 |
ロッテ |
13.5 |
ロッテ |
14.0 |
5位 |
南海 |
7.5 |
南海 |
15.0 |
南海 |
18.0 |
6位 |
西武 |
11.0 |
西武 |
23.0 |
西武 |
21.0 |
|
後期
順位 |
7月終了時 |
8月終了時 |
後期成績 |
1位 |
阪急 |
-- |
阪急 |
-- |
阪急 |
-- |
2位 |
日本ハム |
3.5 |
ロッテ |
3.5 |
近鉄 |
2.0 |
3位 |
南海 |
日本ハム |
4.5 |
ロッテ |
6.5 |
4位 |
ロッテ |
4.0 |
近鉄 |
7.0 |
日本ハム |
9.0 |
5位 |
近鉄 |
4.5 |
南海 |
7.5 |
西武 |
9.5 |
6位 |
西武 |
5.5 |
西武 |
10.5 |
南海 |
12.0 |
|
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
オールスターゲーム1979
できごと
選手・スタッフ
|
監督 |
|
一軍コーチ |
|
二軍監督・コーチ |
|
投手 |
|
捕手 |
|
内野手 |
|
外野手 |
|
[2]
表彰選手
リーグ・リーダー |
選手名 |
タイトル |
成績 |
回数 |
村田兆治 |
最多奪三振 |
230個 |
2年ぶり3度目 |
ドラフト
脚注
注釈
出典
|
1950年代 |
|
1960年代 |
|
1970年代 |
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1980年代 |
|
1990年代 |
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2000年代 |
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2010年代 |
|
2020年代 |
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1958年開幕直前に大映ユニオンズと球団合併 |