若林仁_(野球)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 若林仁_(野球)の意味・解説 

若林仁 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 05:37 UTC 版)

若林 仁
基本情報
国籍 日本
出身地 山梨県南巨摩郡南部町
生年月日 (1956-11-05) 1956年11月5日(68歳)
身長
体重
180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1974年 ドラフト4位
初出場 1980年8月14日
最終出場 1980年8月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

若林 仁(わかばやし ひとし、1956年11月5日 - )は、山梨県南巨摩郡南部町出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

中学時代は捕手であったが、1972年に進学した身延高校で投手に転向。2年次の1973年には秋季関東大会県予選決勝に進むが、日川高に敗退。3年次の1974年には春季関東大会県予選で36イニング連続無失点を記録し本大会に進出すると、準々決勝ではエース工藤一彦を欠く土浦日大を降すが、準決勝で鹿沼商工に敗れた。同年夏の甲子園県予選は準決勝で塩山商に敗退し、甲子園には出場できなかった。

同年のドラフト4位でロッテオリオンズに入団。球質とを武器にしたほか、投球フォームの美しさには定評があった。1年目の1975年広島とのオープン戦第1試合で20年目の若生智男と3イニングを投げ合った。180cm、80kgから投げ込む球質の重い快速球、大きく割れるカーブ、シュートと投球にも幅があり、首脳陣からは「ドラフト1位の菊村徳用より球威も将来性もかなり上」と評価された。開幕後はあっさり打ちこまれ、ヤクルト戦(武山)では1回2点、2回にも2点と先制攻撃にあって、3年先輩の松岡清治に投げ負けている。巨人戦(多摩川)では同期の定岡正二と投げ合ったが、多摩川に1万5000人が集まった日で大観衆を意識してしまい、富田勝に3ラン本塁打を浴び、計5点を献上、回途中で降板してしまった。首脳陣からは「球質が重くていいのだが、配球の組み立てがまだ甘い」と評価されてしまった。秋には韓国遠征のメンバーにも選出されたが、2年目の1976年春のキャンプでを痛める。1980年に初登板を果たすが、その後は登板機会がなく1981年限りで現役を引退。

引退後は帰郷して中央化学富沢工場に入る。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1980 ロッテ 2 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 8 0.1 5 1 2 0 0 1 0 0 3 3 81.00 70.00
通算:1年 2 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 8 0.1 5 1 2 0 0 1 0 0 3 3 81.00 70.00

記録

背番号

  • 19 (1975年 - 1977年)
  • 48 (1978年 - 1981年)

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「若林仁_(野球)」の関連用語

若林仁_(野球)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



若林仁_(野球)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの若林仁 (野球) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS