山本光春
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やまもと みつはる
山本 光春
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生誕 | 1905年4月26日![]() |
死没 | 1988年2月24日(82歳没) 東京都千代田区 |
死因 | 急性心不全 |
出身校 | 明治大学専門部経済学科 |
職業 | 実業家、ジャーナリスト |
山本 光春(やまもと みつはる、1905年(明治38年)4月26日 - 1988年(昭和63年)2月24日[1])は日本の実業家、ジャーナリスト。毎日新聞社社長を務めた。岡山県岡山市出身[2]。
略歴
- 1926年 明治大学専門部経済学科卒業[2]。
- 1928年 東京日日新聞社入社[2]。
- 1945年 新潟日報社転出
- 1955年 毎日新聞東京本社編集局長
- 1958年 取締役西部本社代表[2]。
- 1961年 常務取締役[2]。
- 1967年 専務東京本社代表[2]。
- 1970年 副社長[2]。
- 1972年1月 社長( - 1974年11月)[2]。
- 1977年12月 社友[2]。
- 1988年2月24日 急性心不全のため、東京都千代田区内の病院で死去。82歳没[2]。
エピソード
竹槍事件では整理部副部長。新名丈夫の記事に「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と見出しをつける。処分こそされなかったが、軍部の反発を招いたとして丸坊主になった。
脚注
参考文献
- 山本光春追想録刊行会 編『山本光春追想録』山本光春追想録刊行会、1989年12月。
関連項目
- 西山事件(社長在任時発覚した事件)
- 山本光春のページへのリンク