戦国時代 (日本) 戦国時代の「天下」と「国家」

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 戦国時代 (日本)の解説 > 戦国時代の「天下」と「国家」 

戦国時代 (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 19:14 UTC 版)

戦国時代の「天下」と「国家」

天下という概念は本来的には領域を持たず、内部に地理的な区分としての「国」を含むものとされている[92]。しかし戦国期の日本国では、この時代固有の認識が存在していた。

戦国期の「天下」は、漠然と日本全国のことを指して使用することもあるが、具体的には足利将軍の事を意味し[93]、領域としては京都を含む五畿内のことを「天下」と言う[94]。織田信長が永禄10年(1567年)以降使用するようになった「天下布武」の印章も天下、即ち五畿内に将軍の支配の下に静謐(平和)をもたらそうとする意志の表明であった[95]。戦国期、布教活動のため来日したイエズス会の宣教師たちが編纂した『日葡辞書』は「天下」について、「帝国もしくは君主国」或いは「日本の君主国」と記している[96]

一方の「国家」や「国」「御国」は戦国大名などが使用した言葉で、「国家」とは「国」と「家」が合体した言葉である。「国」は分国を意味し、その集合体が領国とされる[97]。『日葡辞書』に「国家」のことを「国と家、または国と一族」と記される通り[98]、戦国大名による「国家」は大名家一族による支配が前提にあった。戦国期の「国家」には国民主権は無く、領民は戦国大名に服属し依存するだけの存在でしかなかった[99]。しかし戦国大名の「国家」には明確な限界が存在した。戦国大名は「国家」文言を一族・家臣・寺社に対してのみ使用し、国人・国衆は大名の「国家」を受容してはいなかった[97][100]。また後北条氏は領民に対しては「国家」の代わりに「御国」という言葉を使用したが、その範囲は分国全域に広く行き渡るものではなく、後北条氏一門の直轄地に対して限定的にしか使用されなかった[101]

「天下」と「国家」は領域の違いだけではなく、それを使用する足利将軍と戦国大名の政治的な次元自体が異なっていたとされ[102]、将軍による「天下の政道」と大名による「分国の政道」が重層的に存在していたとされる[103]。また「天下」の事柄は「国」の事柄よりも優先され[104]、大名が「天下」の平和のために尽力することは将軍への奉仕を意味していた[105]


注釈

  1. ^ 一方で遠国の領主の中には両属的な対応を取った事例も確認できる。明応4年、陸奥の結城政朝は上洛の途次、経由地の越中で足利義材に挨拶を行った上で京都に上っている[19]
  2. ^ ただし、伊勢氏(後北条氏)が大名格にまで身分を上昇させるのは北条氏康期以降である。それ以前は身分的には国人に過ぎず[21]、天文年間末期の古河公方足利義氏擁立段階に至っても、後北条氏は古河公方を推戴することによってしか地域支配を貫徹しえない状況であった[22]
  3. ^ 既に戦国時代最末期であるが、足利将軍の権威性は依然として健在だった。元亀3年、毛利輝元の攻勢を受け危機に陥っていた備前の浦上宗景は、義昭に芸備和睦の斡旋を願い出た。備前への侵攻作戦を目前にしていた毛利氏にとって、浦上氏との和睦は到底受け入れ難いものであったが、「今度芸備和平之儀、雖非本意候、京都御下知之条、不能違背、応上意候」と京都(将軍)の命令に背くことは出来ないとして和睦を受諾している[85]
  4. ^ a b 「日本の近世城郭は16世紀第4四半期に原型が成立し、17世紀第1四半期にもっとも複雑化した。16世紀第3四半期までは日本の拠点城郭(戦国期拠点城郭)はそれぞれの地域性を色濃く備えた。そうした戦国期拠点城郭のプランに表れた地域性は、築城主体であった権力構造の反映であった。そうした地域性は巨視的に見れば城郭構造の求心・階層構造を指向したものと、並立的な城郭構造を指向したものに区分される。」[186]
  5. ^ 「根小屋」という用語について香川元太郎は、城の前に形成された家臣屋敷の集合集落としている[185]

出典

  1. ^ 鍛代敏雄『神国論の系譜』、法藏館, 2006年、p.109
  2. ^ 西島太郎 2015, p. 13、国会図書館蔵書の使用例の最古書は、教育資料研究会(編)『高等小学校外日本歴史』第4編巻1巻2 目次第7「戦國時代」、1873年(明治6年)
  3. ^ 鈴木良一「戦国の争乱」『岩波講座日本歴史』 第8巻 中世4、1963年、4頁。 
  4. ^ 遠藤 2015, p. 3.
  5. ^ 渡邊大門 編『真実の戦国時代』柏書房、2015年、220頁。 
  6. ^ 遠藤 2015, p. 2.
  7. ^ 遠藤 2015, p. 6.
  8. ^ 山本浩樹 編『西国の戦国合戦』吉川弘文館、2007年、8頁。 
  9. ^ 福島 2009, p. 50.
  10. ^ 福島 2009, p. 52.
  11. ^ 家永 2004, p. 10.
  12. ^ 山田 2012, pp. 38–39.
  13. ^ 家永 2004, p. 12.
  14. ^ 小池辰典「鈎の陣にみる戦国初期の将軍と諸大名」『日本歴史』851号、吉川弘文館、2019年4月、13頁。 
  15. ^ 石田晴男 「京・鎌倉府体制の崩壊」 『古文書の語る日本史』5 戦国・織豊 筑摩書房、1989年5月、33頁。
  16. ^ 家永遵嗣「将軍権力と大名との関係を見る視点」『歴史評論』572号、校倉書房、1997年12月、17-18頁。 
  17. ^ 今谷明 「戦国時代の社会」 『中世文学』41巻 中世文学会、1996年、4頁。
  18. ^ 神田千里 『織田信長』 筑摩書房、2014年10月、23頁。
  19. ^ 佐藤圭 「奥羽大名と越前朝倉氏の通好」 『秋大史学』61巻 秋田大学史学会、2015年3月、24頁。
  20. ^ a b 家永 2004, p. 13.
  21. ^ 市村高男 「戦国期の地域権力と「国家」・「日本国」」 『日本史研究』519 日本史研究会、2005年11月、48頁。
  22. ^ 佐藤博信 「後北条氏と古河公方足利氏の関係をめぐって : 芳春院殿・芳春院周興を通じて」 『史学雑誌』87巻2号 史学会、1978年、71頁
  23. ^ 石田晴男、1989年、64頁。
  24. ^ 山田 2012, p. 49.
  25. ^ 山田 2012, p. 50.
  26. ^ 山田 2012, p. 42.
  27. ^ 山田 2012, pp. 54–55.
  28. ^ 山田 2012, pp. 51–53.
  29. ^ 山田 2012, p. 52.
  30. ^ 山田 2012, pp. 58–59.
  31. ^ 山田 2012, pp. 59–60.
  32. ^ 山田 2012, p. 63.
  33. ^ 馬部 2018, p. 379.
  34. ^ 馬部 2018, p. 743.
  35. ^ 福島 2009, p. 66.
  36. ^ 馬部 2018, p. 236-237.
  37. ^ 馬部 2018, p. 237-238.
  38. ^ 山田邦明 『戦国の活力』 小学館、2008年7月、82頁。
  39. ^ 馬部 2018, p. 218.
  40. ^ 長江正一 『三好長慶』 吉川弘文館、1968年、30頁。
  41. ^ 馬部 2018, p. 242-243.
  42. ^ 浜口誠至『在京大名細川京兆家の政治史的研究』思文閣出版、2014年4月、276頁。 
  43. ^ 遠藤巌「<研究ノート>音喜多勝氏所蔵八戸湊文書覚書」『弘前大学國史研究』第107号、弘前大学國史研究会、1999年、39-40頁、NAID 110000322919 
  44. ^ 福島 2009, p. 71.
  45. ^ 福島 2009, p. 72-73.
  46. ^ 馬部 2018, p. 255-256.
  47. ^ 福島 2009, p. 73-74.
  48. ^ 福島 2009, p. 75.
  49. ^ 馬部 2018, p. 295.
  50. ^ 馬部 2018, p. 744.
  51. ^ 平野明夫 編『室町幕府全将軍管領列伝』星海社、2018年10月、480-481頁。 
  52. ^ 黒嶋 2012, p. 145.
  53. ^ a b 長谷川博史「15・16世紀山陰地方の政治と流通」『貿易陶磁研究』36号、貿易陶磁研究会、2016年9月、7頁。 
  54. ^ 馬部 2018, p. 748頁.
  55. ^ 小谷利明 著「畠山稙長の動向」、矢田俊文 編『戦国期の権力と文書』高志書院、2004年2月、69頁。ISBN 4906641806 
  56. ^ 馬部 2018, p. 602-603.
  57. ^ 馬部 2018, p. 719.
  58. ^ 福島 2009, p. 111-112.
  59. ^ 矢田俊文 「戦国大名の登場」 『古文書の語る日本史』5 戦国・織豊 筑摩書房、1989年5月、120頁。
  60. ^ a b 家永 2004, p. 3.
  61. ^ 今岡典和 「幕府―守護体制の変質過程 : 十六世紀前半の「国役」を中心に』 『史林』68巻4号 史学研究会 (京都大学文学部内)、1985年7月、38頁。
  62. ^ 山田康弘 『戦国時代の足利将軍』 吉川弘文館、2011年7月、44頁。
  63. ^ 今谷明、天野忠幸 『三好長慶』 宮帯出版社、2013年、110頁。
  64. ^ 福島 2009, p. 114-116.
  65. ^ 黒嶋 2012, p. 277.
  66. ^ a b 黒嶋 2012, p. 81.
  67. ^ 黒嶋 2012, pp. 39–41.
  68. ^ 黒嶋 2012, p. 44.
  69. ^ 黒嶋 2012, pp. 46–47.
  70. ^ 小林健彦『越後上杉氏と京都雑掌』岩田書院、2015年5月、52頁。ISBN 9784872948981 
  71. ^ 矢田俊文『上杉謙信』ミネルヴァ書房、2005年12月、52頁。 
  72. ^ 矢田、2005年、73頁。
  73. ^ 山田邦明『戦国の活力』小学館、2008年7月、127頁。 
  74. ^ 堀新(編) 『信長公記を読む』 吉川弘文館、2009年2月、4頁。
  75. ^ 福島 2009, p. 128-130.
  76. ^ 山田康弘 「戦国期足利将軍存続の諸要因」 『日本史研究』672 日本史研究会、2018年8月、15頁。
  77. ^ 下川雅弘 「『上杉本洛中洛外図屏風』の注文時期とその動機に関するノート ─近年の戦国期畿内政治史研究の成果に学ぶ─」 『駒沢女子大学研究紀要』22号、2015年12月、77頁
  78. ^ 天野忠幸他編『戦国・織豊期の西国社会』日本史史料研究会、2012年10月、133‐134頁
  79. ^ 福島克彦 『畿内・近国の戦国合戦』 吉川弘文館、2009年7月、140頁。
  80. ^ 馬部隆弘「永禄9年の畿内和平と信長の上洛」『史敏』4号、史敏刊行会、2007年4月、67頁
  81. ^ 金子拓 『織田信長<天下人>の実像』 講談社、2014年8月、14頁。
  82. ^ 久野雅司 「織田信長と足利義昭の政治・軍事的関係-永禄十三年正月二十三日付け「五ヶ条の条書の検討を中心としてー」 『東洋大学人間科学総合研究所紀要』22巻 東洋大学人間科学総合研究所、2020年3月、250‐249頁。
  83. ^ 今谷・天野忠幸、2013年、203‐204頁。
  84. ^ 久野、2020年、252頁。
  85. ^ 松原勝也「元亀年間における大友氏の政治的・軍事的動向 : 元亀三年伊予出兵の検討を中心として」(『大分縣地方史』194号、2005年7月)21頁。
  86. ^ 久野、2020年、248‐247頁。
  87. ^ 金子拓、2014年、52‐53頁。
  88. ^ 谷口克広『織田信長合戦全録』(中央公論社、2002年1月)82頁。
  89. ^ 金子、2014年、51‐53頁
  90. ^ a b 久野雅司「足利義昭政権滅亡の政治的背景」(『戦国史研究』74号、2017年)4頁
  91. ^ 久野、2017年、1頁。
  92. ^ 川岡勉「中世日本の王権と天下成敗権」『愛媛大学教育学部紀要』56号、愛媛大学教育学部、2009年10月、366頁。
  93. ^ 神田、2014年、104‐105頁。
  94. ^ 神田、2014年、108頁。
  95. ^ 神田、2014年、113-114頁。
  96. ^ 堀新(編)、2009年、121頁。
  97. ^ a b 市村、2005年、37‐38頁。
  98. ^ 鈴木芳道「後北条氏権力と「国」」『鷹陵史学』21号、鷹陵史学会、1995年9月、82頁。
  99. ^ 有光友學(編)『戦国の地域国家』 川弘文館、2003年5月、154頁。
  100. ^ 久保健一郎 「公儀と地域権力」 『早稲田大学大学院文学研究科紀要 : 第4分冊』54巻4号、早稲田大学大学院文学研究科、2009年2月、9頁。
  101. ^ 市村、2005年、39頁。
  102. ^ 山田康弘 「戦国期大名間外交と将軍」『史学雑誌』112巻11号、史学会、2003年、52頁。
  103. ^ 川岡、2009年、369頁。
  104. ^ 堀新(編)『信長公記を読む』吉川弘文館、2009年2月、167頁。
  105. ^ 神田、2014年、104‐105頁。
  106. ^ a b 垣内和孝「伊達政宗と南奥の戦国時代」『伊達政宗と南奥の戦国時代』吉川弘文館、2017年、182-201頁。ISBN 978-4-642-02938-4 
  107. ^ 恩田浩孝『座禅院昌尊の生涯 日光山の終焉と上三川 今泉家』随想舎、2015年、182頁。 
  108. ^ 瀬田勝哉『洛中洛外の群像』平凡社、1994年、129-130頁。ISBN 4582475051 
  109. ^ 山田康弘『戦国期足利将軍研究の最前線』山川出版社、2020年、72頁。ISBN 978-4634151741 
  110. ^ 山田 2020, p. 80.
  111. ^ 小谷利明「戦国期畿内研究の再構成と「細川両家記」」『都市文化研究』第012巻、大阪市立大学大学院文学研究科 : 都市文化研究センター、2010年、167頁、NAID 40017042334 
  112. ^ 山田 2020, pp. 135–136.
  113. ^ 黒嶋 2012, pp. 320–321.
  114. ^ 山田 2018, pp. 15–17.
  115. ^ 平野編 2018, p. 12.
  116. ^ 岡田謙一 著「細川澄元(晴元)派の和泉守護」、小山靖憲 編『戦国期畿内の政治社会構造』和泉書院、2006年、107頁。ISBN 4757603746 
  117. ^ 岡田 2006, p. 115.
  118. ^ 長江 1968, p. 10.
  119. ^ 長江 1968, pp. 14–15.
  120. ^ 今谷、天野 2013, p. 36.
  121. ^ 長江 1968, p. 35.
  122. ^ 今谷、天野 2013, p. 41.
  123. ^ 長江 1968, pp. 96‐98.
  124. ^ 長江 1968, pp. 105‐106.
  125. ^ 長江 1968, p. 161.
  126. ^ 長江 1968, pp. 178–180.
  127. ^ 長江 1968, p. 196.
  128. ^ a b 福島 2009, p. 142.
  129. ^ 今谷、天野 2013, pp. 152‐153.
  130. ^ 今谷、天野 2014, pp. 153‐154.
  131. ^ 田中信司「松永久秀と京都政局」『青山史学』第26号、2008年、48-49頁、NAID 110007536209 
  132. ^ 福島 2009, p. 132.
  133. ^ 弓倉 2006, pp. 38–39.
  134. ^ 弓倉 2006, pp. 40–41.
  135. ^ 弓倉 2006, p. 45.
  136. ^ 弓倉 2006, p. 270.
  137. ^ 弓倉 2006, p. 316.
  138. ^ 小谷 2003, pp. 74–75.
  139. ^ a b 弓倉 2006, p. 236.
  140. ^ 川岡, 勉「河内国守護畠山氏における守護代と奉行人」『愛媛大学教育学部紀要. 第II部, 人文・社会科学』第30巻第1号、愛媛大学教育学部、1997年、36頁、NAID 110000116593 
  141. ^ 小谷利明「畿内戦国期守護と室町幕府」『日本史研究』第510号、日本史研究会、2005年、71頁、NAID 40006645994 
  142. ^ 弓倉 2006, p. 328.
  143. ^ 弓倉 2006, p. 277.
  144. ^ 弓倉 2006, p. 332.
  145. ^ 小谷 2003, p. 295.
  146. ^ 小谷 2005, p. 74.
  147. ^ 弓倉 2006, p. 338.
  148. ^ 弓倉 2006, p. 222.
  149. ^ 弓倉 2006, p. 340.
  150. ^ 弓倉 2006, pp. 346–347.
  151. ^ 川岡 1997, p. 37.
  152. ^ 小谷 2003, p. 104.
  153. ^ 清水, 敦之「戦国期丹後一色氏の基礎的研究」『戦国史研究』第82号、戦国史研究会、2021年、11頁、NAID 40022732005 
  154. ^ 川岡勉「戦国期但馬の守護と領主」『愛媛大学教育学部紀要』第61巻、愛媛大学教育学部、2014年、255頁、NAID 120006527004 
  155. ^ 野田泰三「戦国期における守護・守護代・国人」『日本史研究』第464号、日本史研究会、2001年、91‐92、NAID 40002931450 
  156. ^ 村井 2019, p. iii.
  157. ^ 新谷和之「戦国期近江三雲氏の動向 : 大名権力と惣国一揆の接点」『市大日本史』第023号、大阪市立大学日本史学会、2020年、43頁、NAID 120007046084 
  158. ^ 高橋昌明『増補 湖の国の中世史』中央公論新社、2008年、252頁。ISBN 9784122050655 
  159. ^ 宮島 2008, p. 44.
  160. ^ 村井 2019, pp. 87–90.
  161. ^ 新谷和之「戦国期六角氏の地域支配構造 : 地方寺社への関与を手掛かりに」『市大日本史』第013巻、大阪市立大学日本史学会、2010年、92頁、NAID 120006002945 
  162. ^ 村井 2019, p. 183.
  163. ^ 山田 2003, pp. 48–50.
  164. ^ 宮島 2008, p. 72.
  165. ^ 宮島 2008, pp. 153–155.
  166. ^ 木村靖「六角氏式目制定の目的と背景」『鷹陵史学』第1号、鷹陵史学会、1975年、88頁、NAID 120007020919 
  167. ^ 村井 2019, p. 284.
  168. ^ 宮島 2008, pp. 192‐193.
  169. ^ 宮島 2008, p. 198.
  170. ^ 宮島 2008, p. 221.
  171. ^ 宮島 2008, p. 267.
  172. ^ 平野健一郎「中世日本における文化的・政治的統合-文化運搬者としての連歌師宗祇をめぐって-」『国際政治』第1978巻第59号、日本国際政治学会、1978年、11頁、NAID 130004302331 
  173. ^ 鶴崎裕雄「銭を運ぶ連歌師 : 日記・紀行文を資料として」『國文學』第103巻、関西大学国文学会、2019年、190頁、NAID 120006602815 
  174. ^ 平野 1978, p. 7.
  175. ^ 鶴崎 2019, p. 191.
  176. ^ 脇田晴子「文化の政治性--天皇と中世文化をめぐって」『大谷学報』第84巻第3-4号、大谷学会、2006年、50頁、NAID 120005745269 
  177. ^ 脇田 2006, p. 49.
  178. ^ 畠山亮「中世後期村落に於ける領主についての一考察」『法制史研究』第2001巻第51号、法制史学会、2001年、107頁、NAID 130003445600 
  179. ^ 神田千里『戦国乱世を生きる力』中央公論社、2002年、86-87頁。ISBN 978-4124902204 
  180. ^ 山本 2007, pp. 272–274.
  181. ^ 神田 2002, p. 88.
  182. ^ 朝尾 1993, p. 25.
  183. ^ 朝尾 1993, p. 53.
  184. ^ 香川 2012.
  185. ^ a b 香川 2012, p. 72.
  186. ^ 千田嘉博「戦国領主と城郭」『文化財学報』27集、奈良大学文学部文化財学科、2009年3月、47-54頁。 
  187. ^ a b c 中井均『城館調査の手引き』山川出版社、2006年。ISBN 978-4-634-15091-1 
  188. ^ 西ヶ谷恭弘; 阿部和彦; 大橋健一; 笹崎明 著、西ヶ谷恭弘 編『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京堂出版、2008年。ISBN 978-4-490-20636-4 
  189. ^ 川岡勉「武家権門の成立と西国領主 : 伊予国の事例から」『愛媛大学教育学部紀要. 第II部, 人文・社会科学』第26巻第1号、愛媛大学教育学部、1993年、11頁。 
  190. ^ 北西弘「戦国大名と本願寺--武家門徒の問題をめぐって」『大谷学報』41巻3号、大谷学会、1962年、16頁。 
  191. ^ 西谷正浩「中世後期における山城国上久世荘の農業生産」「中世後期における山城国上久世荘の農業生産」 『福岡大学人文論叢』 47巻3号、2015年, p.679-730, ISSN 0285-2764
  192. ^ 西谷、2015年、pp.40-41
  193. ^ 西谷、2015年、pp.38-39
  194. ^ 西谷、2015年、pp.41-42
  195. ^ 湯川敏治「戦国期の公家」『戦国期公家社会と荘園経済』続群書類従完成会、2005年。ISBN 978-4-7971-0744-9 
  196. ^ 神田千里『宗教で読む戦国時代』〈講談社選書メチエ〉2010年、49-87頁。ISBN 978-4-06-258459-3 
  197. ^ 有光友學 編『戦国の地域国家』吉川弘文館〈日本の時代史12〉、2003年、16頁。 
  198. ^ 太田牛一「信長公記」巻14、八月朔日御馬揃への事。
  199. ^ 松本和也 著「宣教師から見た信長・秀吉」、堀新 編『信長公記を読む』吉川弘文館、2009年、124-125頁。 





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  戦国時代 (日本)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦国時代 (日本)」の関連用語

1
地域ごとの始期と終期 ウィキペディア小見出し辞書
76% |||||

2
戦国史 百科事典
70% |||||

3
仲井市之進 百科事典
52% |||||

4
朝山慶綱 百科事典
52% |||||

5
藍房清 百科事典
52% |||||

6
戦国時代 百科事典
52% |||||

7
始期と終期 ウィキペディア小見出し辞書
52% |||||

8
戦国時代の国土認識 ウィキペディア小見出し辞書
50% |||||

9
全国一律の始期と終期 ウィキペディア小見出し辞書
50% |||||

10
応仁の乱~戦国時代前期 ウィキペディア小見出し辞書
50% |||||

戦国時代 (日本)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦国時代 (日本)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの戦国時代 (日本) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2023 GRAS Group, Inc.RSS