山
★1a.山に登って神に祈る。神と出会う。
『北野天神縁起』 筑紫へ流罪となった菅原道真は、無実を訴える祭文を書き、高山に登って7日の間、天道に祈った。祭文は雲を分けて昇天し、帝釈宮を過ぎて梵天にまで到達した。道真は7日7夜、蒼天を仰ぎ、身を砕き心を尽くして、天満大自在天神となった。
『史記』「秦始皇本紀」第6 始皇帝28年、始皇は封禅の儀式を行うため、まず泰山に登って石を立て土盛りし、天を祭った(封)。下山時に風雨に遭って樹下に休み、その樹に五太夫の位を与えた。次いで麓の小山梁父山に登り、地を祭った(禅)〔*「封禅書」第6に類話〕。
『史記』「封禅書」第6 元封元年、漢の武帝は侍者1人だけを供に連れて泰山に登り、封の祭りをした。次いで麓の東北の粛然山で禅の祭りをした。風雨の災いが起こらなかったので、方士たちが「蓬莱の神々にまもなくお会いになれましょう」と奏上した。
『出エジプト記』第19~31章 神がシナイ山の頂きに降り、モーセを召した。イスラエルの人々を麓に残して、モーセは山に登り、神から十戒を受けた。モーセはまた、40日40夜、山で神の言葉を聞き、神の指で書かれた石の板2枚を授けられた。
『春雨物語』「樊噌(はんかい)」 腕自慢の大蔵は、心も豪胆であることを仲間に示すべく、恐ろしい神が住むという伯耆大山に1人登る。夜になり、社の賽銭箱を証拠に持ち帰ろうとすると、賽銭箱は空に飛び上がり、大蔵は隠岐島まで連れて行かれる〔*後、大蔵は盗賊になり、最後は和尚となって大往生する〕。
『暗夜行路』(志賀直哉)後篇 妻・直子の過ち(*→〔暴行〕6a)に拘泥し続ける時任謙作は、別居して京都を立ち、鳥取県の大山の寺に止宿する。半月ほどを経たある夜、彼は頂上登山の一行に加わるが、体調不良のため途中の山腹に1人残る。彼は不思議な陶酔感の中で永遠を思い、夜明けの光景に感動を受ける。
『ツァラトゥストラはこう言った』第1部「序説」 ツァラトゥストラは30歳になった時、故郷を去り山奥に入った。彼はそこで智恵と孤独とを楽しみ、10年の間飽くことがなかった。しかしある朝、彼は自らの思想を人々に語るべく、世間へ下ることにした〔*以後、ツァラトゥストラは山ごもりと下山を何度か繰り返す〕。
『魔の山』(マン) 20世紀初頭。23歳のハンス・カストルプは、アルプス山麓、海抜5千フィートの高地にある国際サナトリウム「ベルクホーフ」を訪れて従兄を見舞う。ところがハンスの肺にも異常が発見され、彼はそのまま「ベルクホーフ」に留まって療養生活に入る。病状は好転も悪化もせず、ハンスは生と死の中間にあって次第に時間の観念を失い、7年が経過する。第1次大戦が勃発し、眠りを破られたハンスは、下界へ降りて戦場に赴く。
★1c.山に隠れる。
『十八史略』巻1「春秋戦国」 晋の文公(重耳)が亡命時代、飢えに迫られた時、供をした介子推は自分の腿の肉を文公に与えた。しかし文公が帰国して即位した後、介子推には恩賞の沙汰がなかった。介子推は怨んで綿上の山中に隠れた。文公は自らの過ちを悟り、介子推を山から出すために、山を焼いた。介子推は山から出ず、そのまま焼死した。
『法華経』 釈尊は、無数の修行者や信者たちとともに霊鷲山に滞在していた時、最高の教えである法華経を説いた。
『マタイによる福音書』第4~7章 イエスが多くの病人を癒したので、諸地方からおびただしい群衆が来てイエスに従った。イエスは群衆を見て、山に登り、座について「心の貧しい人たちは幸いである。天国は彼らのものである」に始まる長い説教をした。
★3a.神が山へ降り立つ。
『古事記』上巻 アマテラスとタカギ(=タカミムスヒ)の命令を受けて、天孫ニニギノミコトは地上へ降臨することとなった。八尺(やさか)の勾玉・鏡・草薙の剣を持ち、アメノコヤネ、フトダマ、アメノウズメ、イシコリドメ、タマノオヤなどの神が随伴した。ニニギノミコトは高天原の御座を離れ、天の八重のたな雲を押し分けて、筑紫の日向の高千穂の峰に天降った。
『三国遺事』巻1「紀異」第1・古朝鮮〔王儉朝鮮〕 天帝桓因(ファンイン)の庶子である桓雄(ファンウン)は、つねに下界(=人間世界)に思いをよせていた。桓因は息子桓雄の気持ちを察し、下界を治めさせることにする。桓雄は部下3千を率いて太伯山(テベクサン)頂上の神檀樹の下に降り、そこを神市(シンシ)と呼んだ。これが桓雄天王で、彼は天下を治め人間を教化した。
『日向国風土記』逸文 ニニギノミコトが日向の高千穂の二上の峰に天降った時、空は暗くて昼夜の区別がなかった。大鉗(おほはし)・小鉗(をはし)という2人の土蜘蛛の勧めにしたがって、ニニギノミコトは多くの稲穂を揉んで籾とし、四方に投げ散らした。すると空は晴れ、日も月も照り輝いた。
*岩山の麓に宇宙船が降り、地球人類と接触する→〔宇宙人〕2bの『未知との遭遇』(スピルバーグ)。
★3b.神が舟で川をさかのぼって、山にいたる。
『日本書紀』巻1・第8段一書第4 高天原を追われたスサノヲは、子(みこ)イタケルノカミを連れて新羅の国へ天降り、曾尸茂梨(そしもり)という所にいた。スサノヲは「この地にはいたくない」と言い、土で造った舟に乗って東方へ渡り、出雲の国の簸(ひ)の川上(=斐伊川上流)にある鳥上峯(とりかみのたけ)に到った。
*スサノヲが、高天原から直接出雲へ降下する→〔箸〕2の『古事記』上巻。
『創世記』第7~8章 洪水が40日間、地上をおおい、ノアの箱船は大地を離れて浮かんだ。水は地上にみなぎり、山々を覆った。人も、家畜も、這うものも、空の鳥も、すべて息絶えた。やがて風が吹き、雨はやみ、150日の後には水が減って、第7の月の17日に箱船はアララト山の上に止まった。水はますます減り、第10の月の1日には山々の頂が現れた。
『類推の山』(ドーマル) 「私」は、世界各地の古代神話に出てくる山の象徴的意味を研究した。山は、神性が人間に啓示される通路であり、その頂上は永遠の世界に通ずるのだ。現在も、地球上のどこかにそのような山があるはずだが、おそらく周囲の空間の歪曲によって、山は不可視だろう。しかし麓には近づき得る。計算上では、山は南太平洋上にある。「私」・妻・登山家・言語学者・画家など8人の男女は、「不可能号」という名のヨットで船出し、大洋の中に陸地を発見する。そこは山の麓であり、「私」たちは登山を開始する〔*この小説は未完である〕。
『逆矛(さかほこ)』(能) イザナキ・イザナミ2神が、天の逆矛(=天の沼矛。*→〔橋〕4aの『古事記』上巻)を青海原へさし下ろして、大八洲国を造り成した。はじめ、国は荒れた葦原だった。2神が矛を振ると、疾風が起こって葦原をなぎ払った。その葦を引き捨てて置いたものが、山になった。これを「あしびき(葦引き)の山」と言う。
★4b.一もっこ山の起源。
一もっこ山の伝説 天狗が「榛名富士を一晩で作ろう」と考え、もっこでどんどん土を上げた。ところが、「もう一もっこ」という時に鶏が鳴き、朝になったので、天狗は残念がり、その場へもっこの土を投げた。それが榛名富士の傍にある一もっこ山である(群馬県渋川市行幸田)。
『沼の主のつかい』(昔話) 沼の主が孫四郎に、毎日黄金1粒ひり出す駒を与えた(*→〔書き換え〕3)。孫四郎の弟が、もっと黄金を出させようと、1斗の米を駒に食わせる。駒は精がついて、一声高くいななくと、飛んで行って陸中と秋田の国境の山にくっついた。これがいまの駒が嶽だ(岩手県江刺郡)。
『和漢三才図会』巻第56・山類「富士山」 伝えによれば富士山は、〔第7代〕孝霊天皇5年(B.C.286)に初めて出現した。一夜のうちに地が裂けて、江州(おうみ)の琵琶湖ができた。その土が大山となったのが、駿州の富士である。しかしこれは妄説(でたらめ)であろう。駿州と江州は相去ること百有余里、どうして土が運ばれようか。
★5a.山の背比べ。
『近江国風土記』逸文 タタミヒコは夷服(いぶき)の岳の神であり、その姪アサヰヒメは浅井の丘にいた。2つの岳と丘が高さを比べ争った時、浅井の丘が一晩のうちに高さを増したのでタタミヒコが怒り、剣でアサヰヒメを斬った。アサヰヒメの頭は江(=琵琶湖)の中に落ちて竹生島となった。
山の背比べの伝説 富士山の女神と八ヶ岳の男神が高さを争い、阿弥陀如来が2つの山の頂上に樋をかけると、水は富士山の方へ流れ落ちた。富士の女神は負けた悔しさに八ヶ岳の頭をたたいたので、頭が8つに割れ、権現・編笠・旭岳・西岳・阿弥陀・赤岳・横岳の8つの峰ができた(山梨県北巨摩郡大泉村)。
下田富士と駿河富士の伝説 下田富士と駿河富士は仲の良い姉妹だった。ところが年頃になると、姉の下田富士は自分の醜さを恥じ、妹の駿河富士との間に屏風(天城山)を立てた。美しい駿河富士は姉を気遣い、背伸びをして姉の様子を見ようとしたが、姉は卑屈になり、いっそう身を縮めた。こうして駿河富士は日本一の高山になり、下田富士は低い山になってしまった(静岡県下田市本郷)。
言語の分裂(メラネシア、アドミラリティ諸島の神話) 大昔、永遠に続く夜に乗じて、チャウォム山脈はひそかに成長していた。山の背にいる蛇がそれに気づいて、成長を禁じる。突然、昼になり、山はもう大きくならなかった。山は蛇に言う。「私はお前(=蛇)を天に登らせようとしたが、お前はそれを禁じた。今後、私の言葉とお前の言葉は、別のものになる。私たちの子孫も皆、別々の言葉を話すだろう」。
『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」 宇宙の創造主は、太陽と月がメール山(=須弥山)のまわりを巡るように軌道を定めた。ヴィンディヤ山がこれに嫉妬し、伸び上がって太陽と月の道筋をさえぎろうとした。アガスティヤ聖仙がヴィンディヤ山に、「今から南へ行くので道をあけてくれ。帰って来るまで背伸びを待って欲しい」と頼み、南へ行ったきり帰らなかった。それでヴィンディヤ山は背伸びを中止し、現在にいたっている。
★6a.山崩れ。
『子不語』巻8-186 私(=『子不語』の著者・袁枚)の友人・沈永之が雲南駅道に任ぜられ、鳳凰山の80里を開いて道路を通じた時のこと。ある日、1人の美女が山中の洞穴から走り出た。作業中の男たち数千人が後を追って洞穴の外へ出、美女を眺めていたが、年をとった連中は動かなかった。すると急に山が崩れ、洞穴から出なかった者は圧死した。沈永之はこの話をして、「人間は色を好まなければいけないね。こんなこともあるのだから」と言った。
*→〔鼠〕5の『太平広記』巻440所引『宣室志』では鼠、〔胸騒ぎ〕の『日本霊異記』中-20では僧たち、〔鷲〕2の『イソップ寓話集』296「農夫と助けられた鷲」では鷲のおかげで、建物や壁が崩れる前にそこから逃れ、圧死を免れる。
二子山(高木敏雄『日本伝説集』第2) アマンジャクが「富士山を取り崩そう」との大望を抱いた。夜のうちに富士山を少し崩し、土を天秤で運んで相模灘へ棄てた。棄てた土からできたのが、伊豆の大島である。翌晩は仕事を始めるのが遅かったため、箱根山まで土を運んだところで夜が明けた。そこに棄てた土が、同じ形の2つの山になった。これが箱根の二子山である(相模国足柄上郡曾我村)。
『列子』「湯問」第5 90歳近い愚公が、往来に邪魔な2つの山を崩して道を開くべく、家族とともに工事を始めた。ある人が「貴方の年では不可能だ」と笑うと、愚公は「私の死後も子々孫々が掘り続ければ、山はこれ以上高くならないのだから、いつかは平らになる」と答える。天帝は愚公の志に感じ、2つの山を他所へ移した〔*海の水を汲みつくそうとする大施太子の物語と類想→〔海〕4bの『三宝絵詞』上-4〕。
★6d.山を動かす。
『イスラーム神秘主義聖者列伝』「イブラーヒーム・アドハム」 ある偉大な方から「完全の域に達した人間とは、どのような人か?」と問われて、聖者イブラーヒームは、「山に向かって『動け』と語りかければ、山が動き出す人だ」と答えた。途端に山が動き出したので、イブラーヒームは言った。「山よ。お前に言ったのではない。だが、命令を出してやろう。静まれ」。すぐに山は静止した。
『行人』(夏目漱石)「塵労」39~40 「モハメッド(=マホメット)は、『向こうの山を自分の足元へ呼び寄せて見せる』と宣言して、群集を集めた。彼は山に、「こっちへ来い」と3度命令する。しかし山は動かない。モハメッドは「私が呼んでも、山は来たくないようだ。それなら私が行くよりしかたがない」と言って、山の方へ歩いて行った」。Hさんは一郎にこの話をして、「なぜ君は、山の方へ歩いて行かない」と問うた→〔三者択一〕1b。
★7a.山は、死者の世界との接点でもある。山へ登って、死者と出会う。
『現代民話考』(松谷みよ子)5「死の知らせほか」第2章の2 中年男が、亡くなった妻を偲びつつ、恐山の湯に入っていた。黄昏時、窓の外を愛しい妻が通って行く。声をかけるのは禁忌だったが、男は妻を、この世の名前で呼んでしまう。すると妻は、何とも形容できない恐ろしい眼をして、真正面から男をにらんだ。男は恐怖でうつぶし、しばらくして顔をあげると、妻はもういなかった。男は下山後、ブラブラ病になって死んだ(青森県)〔*→〔冥界行〕5の『古事記』上巻、イザナキ・イザナミ神話の現代版の趣がある〕。
『今昔物語集』巻14-7 越中の国・立山には地獄があり、百千もの熱湯が湧き出ている。諸国修行の僧が立山へ登った時、若い女が現れ、「私は生前の罪で、死後地獄に落ちたが、毎月18日には観音が身代わりに苦を受けて下さるので、こうして出て来ることができた」と告げ、供養を願った。
*立山の地獄で死者に出会う→〔霊〕8の『善知鳥(うとう)』(能)・『片袖』(落語)。
『源氏物語』「若菜」上 明石の入道の娘・明石の君は、光源氏と結婚して姫君を産んだ。姫君は東宮妃となって皇子を産んだ。これで、明石の入道の曾孫が将来の帝となることが、確定的になった。明石の入道は、現世における宿願が達成されたので、娘・明石の君と、妻・明石の尼君にあてて、「極楽浄土で再会しよう」との別れの手紙を送る。入道は僧1人と童2人だけを供として、深い山の峰へ入って行った。
『キリマンジャロの雪』(ヘミングウェイ) 小説家ハリーは妻といっしょに、アフリカへサファリ(=狩猟旅行)に出かける。ちょっとした掻き傷から菌が入って、ハリーの右脚が壊疽になり、彼は簡易ベッドに横たわって死を待つ。夢の中でハリーは小型機に乗せられ、空高く舞い上がる。前方に、キリマンジャロの白い頂上が見える。そこが彼の目指す所だ。妻がハリーの名を呼ぶが、すでに彼の息は絶えている。
『現代民話考』(松谷みよ子)7「学校ほか」第1章「怪談」の17 死んだ人は、七ヶ宿(しちがしゅく)から蔵王山に登って行く。蔵王には三途の川があり、賽の河原がある。流れに沿って登り、いちばん奥どまりに立っている地蔵さんの所まで行く。この世で楽しい思いをした人は笑って登り、悲しい思いをした人は泣き泣き登る。河原に死者の足跡を見つけることができる。死者の泣き声は、七ヶ宿の里の人に聞こえる(宮城県)。
★8.人間の寿命と山。
『山の音』(川端康成)「山の音」 8月上旬の深夜、62歳の尾形信吾は、雨戸を開けて涼んでいて、家の裏山が鳴る音を聞いた。地鳴りのような深い底力のある音だった。音がやんだ後、信吾は「死期を告知されたのではないか」と、寒けがした。かつて信吾の妻の姉も、死ぬ前に山が鳴るのを聞いたのだった〔*しかし小説の最後まで、信吾は病気にもならず、死にもしない〕。
*山を崩されると死ぬ男→〔魂〕1aの『マハーバーラタ』第3巻「森の巻」。
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