冥界行
『イナンナの冥界下り』(シュメールの神話) 天上界に住む女神イナンナが地下の冥界へ下る。冥界の7つの門を通り抜ける時、彼女は身につけている装飾や衣服を次々にはぎとられ、ついに素裸になる。イナンナは、冥界の女王である姉エレシュキガルに対面する。エレシュキガルはイナンナに死刑を宣告し、イナンナは倒れて死体となる。しかし他の神がイナンナを生き返らせ、イナンナは冥界から出て地上に昇る〔*アッカドの神話中にも類話があり、そこではイナンナはイシュタルと名を変える〕。
*→〔星〕5aの『星の銀貨』(グリム)KHM153では、貧しい女の子が野原を歩き、帽子や衣服を次々に与えて丸裸になる。
『神曲』(ダンテ)「地獄篇」 35歳の「私(ダンテ)」は詩人ヴェルギリウスの霊に導かれて、肉体を持ったまま地獄界へ足を踏み入れる。「私」とヴェルギリウスは地獄の門をくぐり、第1圏谷の辺獄(リンボ)から、次第に地下界の奥深くへ降りて行き、最下層の第9圏谷、氷の国コキュトスに到る。そこには3つの顔を持つ悪魔大王ルチーフェロがおり、胸から下が氷漬けにされていた→〔悪魔〕6。
『ニコデモ福音書』(新約聖書外典)第17~27章 イエス・キリストは、十字架にかけられてから復活するまでの間に冥府へ下り、青銅の扉を砕いて、中にいるアダム以下の人々を救い出し天国へ導いた。
『歴史』(ヘロドトス)巻2-122 エジプト王ランプシニトス(=ラムセス3世)は生きたままの身で、地下の冥界へ下った。彼は冥界でデメテル(=イシス)とさいころ勝負をし、黄金の手巾を土産にもらい、地上へ帰った。
*冥府を訪れて椅子にすわる→〔椅子〕1の『ギリシア神話』(アポロドロス)摘要第1章。
*エレベーターで地下の冥界へ降りる→〔エレベーター〕4の『地獄へ下るエレベーター』(ラーゲルクヴィスト)。
★1b.六道を見る。
『北野天神縁起』 日蔵上人は、承平4年(934)8月朔日に金峯山笙の岩屋で頓死し、13日に蘇生した。その間に彼は、三界六道を見、荘厳な大城に住む菅原道真や地獄で苦を受ける醍醐天皇に会った。
★2.船で冥界へ行く。
『オデュッセイア』第11巻 オデュッセウスと部下たちは、魔女キルケの指示にしたがい、世界を取り巻く大河オケアノスを航海して、流れの果てに到る。彼らはそこで陸地に上がり、羊を屠って生贄とする。死者たちの霊が、生贄の血を飲もうと集まって来る。オデュッセウスは予言者テイレシアスの霊から将来の運命を聞き、亡母の霊と語る。彼は亡母を抱こうと3度試みるが、影か夢のごとく手をすり抜ける。
『アエネーイス』(ヴェルギリウス)第6巻 アエネーアスは、巫女シビュラの案内で地下の冥界に降り、父アンキーセースと再会する。アエネーアスは3度、父を抱擁しようと試みるが、そよ風のごとく父の影は逃げて、アエネーアスの腕は空(くう)を抱く。父アンキーセースは、アエネーアスの子孫がローマを建国することと、その後のローマの歴史を、語り聞かせる。
『天狗の内裏』(御伽草子) 源義経は、まだ「牛若丸」と名乗っていた13歳の年に、天狗の導きによって九品浄土に昇り、父義朝を訪ねた。義朝は大日如来となっており、義経と仏法奥義の問答をした後、「平家を討つことが我への供養」と述べて、義経の前世と将来を語り聞かせる。そして、義経は32歳で死ぬ運命であることを告げ、死後に赴く浄土の荘厳を見せる。
『大目乾連冥間救母変文』(敦煌変文) 目連(=大目乾連)尊者は亡母を捜し求め、刀山剣樹地獄・銅柱鉄床地獄などを経て阿鼻地獄に到り、49の長釘で鉄床に打ちつけられた亡母を見出す。亡母はさらに地獄から餓鬼道へ落ちたので、目連は盂蘭盆会を営んで亡母の苦を救った〔*亡母は現世の黒犬に転生し、犬の皮を脱いで女人の身を取り戻して、トウ利天へ昇った〕。
『仏説盂蘭盆経』 目連が神通力で亡母の有様を見ると、亡母は餓鬼道に生まれ変わり、飢えて骨と皮になっていた。目連は餓鬼道へ赴き、鉢に飯を盛って、亡母に与える。亡母は左手で飯をかかえこんで隠し、右手で飯を取るが、それがまだ口に入らないうちに火や炭になってしまい、食べることができなかった。目連は悲しんで号泣し、現世へ駆け戻って、このことを仏に告げた→〔成仏〕2。
*目連の母はトンビになった、という話もある→〔天国〕2の『トンビになった目連の母親』(中国昔話)。
『ハッサン・カンの妖術』(谷崎潤一郎) 「予(=小説家谷崎潤一郎)」は、魔法使いハッサン・カンの弟子ミスラ氏と知り合い、彼の導きによって、魂を無色界から涅槃界の高みまで送った。やがて魂は色界・欲界、さらにその下層の須弥山世界へと降下し、そこで「予」は、亡母が美しい鳩となって舞うのを見た。「予」は亡母を成仏昇天させるために、善人となることを誓った。
『古事記』上巻 妻イザナミは火神を産んで火傷し、黄泉国へ去る。夫イザナキはイザナミを追って黄泉国へ行き、「ともに地上へ還ろう」と説く。イザナミは「しばらく外で待て。私を見るな」と禁じ(*→〔禁忌〕8aの『祝詞』「鎮火(ほしづめ)の祭」では、「7日待て」と言う)、御殿の内に入る。イザナキは待ちかねて、暗闇の中、櫛の歯に火をともして御殿に入り、蛆(うじ)や雷神(=蛇体であろう)におおわれた妻の身体を見る。イザナミは「私に恥をかかせた」と怒って、逃げる夫イザナキを追う〔*→〔山〕7aの『現代民話考』(松谷みよ子)5「死の知らせほか」第2章の2は、この神話の現代版の趣がある〕。
*イザナキの黄泉国訪問は、ギリシア神話のオルフェウスの冥界行とよく似ていると言われる→〔毒蛇〕1の『変身物語』(オヴィディウス)巻10。
*ギリシア神話の現代版→〔鏡〕5の『オルフェ』(コクトー)・〔憑依〕8bの『黒いオルフェ』(カミュ)。
『捜神記』巻2-14(通巻45話) 妻を亡くして数年になる人が、道士から死者と会う術を習い、妻と語らう。道士の教え通りに、暁を知らせる太鼓が鳴るとすぐ外へ出るが、着物の裾が戸口にはさまってちぎれる。後に見ると、妻の棺の蓋に夫の着物の裾がはさまっていた。
『毘沙門の本地』(御伽草子) 天大玉姫は、夫の金色太子が他国へ行ったまま約束の3年が過ぎても戻らないので、悲嘆して死ぬ。帰国した太子は、姫が大梵王宮の黄金の筒井に生まれ変わったとの夢想を得て、金泥(金麗)駒に乗り天空を駆け、兜率の内院の彼方まで行ってようやく姫と再会する。
*夫が冥府で暴れ、妻を取り戻す→〔火葬〕2bの『田村の草子』(御伽草子)。
★6a.現世の人を眠らせ、「冥界で目覚めた」と思いこませる。
『デカメロン』第3日第8話 修道院長が人妻を手に入れるため、その夫に薬を飲ませ仮死状態にして、牢獄へ入れる。目覚めた夫は、「ここは煉獄だ」と聞かされ、それを信じる。後に夫は解放され、妻は院長の子を産む。夫は、「冥界から蘇生したのも子が授かったのも、神様のお恵みだ」と思う。
★6b.現世(=娑婆)にいるのに、「ここは冥界だ」と強弁する。
『辰巳の辻占』(落語) 男が辰巳(洲崎遊郭)の女郎の心を試すため、身投げ心中を持ちかける。暗闇の中、女郎は身代わりに大きな石を海に投げ込んで帰ってしまう。男も後を追って身投げしようと思うが、こわくなり、同じく石を投げ込んで帰る。茶屋の前で2人はバッタリ出会い、女郎は「おや。しばらくぶり」と挨拶する。男「何がしばらくだ」。女郎「娑婆で会って以来じゃないか」。
『おぼえ帳』(斎藤緑雨)2 日本橋芳町(よしちょう)でのこと。男女がモルヒネを飲んで心中をはかるが、量が少なかったので、ただぐっすりと眠っただけだった。やがて目覚めた女が、「もう、あの世へ来たのだ」と思い、男を揺り起こして言う。「ちょいとお聞きよ。ここへも豆腐屋が来るよ」。
『宝物集』(七巻本)巻2 人は死ねば、1人で中有(=中陰。死後四十九日までの間)の闇に向かうのだ。水が少したまった、広い野のような所を、4~5歳の子となって、ただ1人行くのである。炎の燃える所もあり、狼・狐が現れる所もある。生前に逢い見た人の姿などは、まったく見えない。声すら聞くこともない。
『冥途』(内田百閒) 夜、暗い土手の下の一膳飯屋に「私」は腰をかけている。時々、土手の上を淋しげに人が通る。「私」の隣りには4~5人の客がいて、何か話し合っている。その中の1人が父であることに「私」は気づいて呼びかけるが、「私」の声は通じない。客たちは店を出て土手に登り、去って行く。「私」は長い間泣き、土手を後にして畑の道へ帰って来た。
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