鈴鹿の物語
田村の草子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:11 UTC 版)
桓武天皇の時代、伊勢国鈴鹿山に大嶽丸という鬼神が現れ、鈴鹿峠を往来する民を襲い、都への貢物を略奪した。帝は坂上田村丸に大嶽丸の討伐を命じた。田村丸は三万騎の軍を率いて鈴鹿山へと向かったが、大嶽丸は飛行自在で、悪知恵を働かせて峰の黒雲に紛れて姿を隠し、暴風雨を起こして雷電を鳴らし、火の雨を降らせて田村丸の軍を数年に渡って足止めした。 一方、鈴鹿山には鈴鹿御前という天下った天女も住んでいた。大嶽丸は鈴鹿御前の美貌に一夜の契りを交わしたいと心を悩ませ、美しい童子や公家などに変化しては夜な夜な鈴鹿御前の館へと赴くものの、そのことを神通力で見透かしていた鈴鹿御前からの返歌はなく、思いが叶うことはなかった。 大嶽丸の居場所を掴めずにいた田村丸が神仏に祈願したところ、その夜、夢の中に老人が現れて「大嶽丸を討伐するために鈴鹿御前の助力を得よ」と告げられた。田村丸は三万騎の軍を都へ帰し、一人で鈴鹿山を進むと十六歳ほどの見目麗しい女性が現れて、誘われるまま館へ入り閨で契りを交わすと、「私は鈴鹿山の鬼神を討伐する貴方を助けるために天下りました。私が謀をして大嶽丸を討ち取らせましょう」と助力を得た。この女性こそ鈴鹿御前であった。 鈴鹿御前の案内で大嶽丸が棲む鈴鹿山の鬼が城へ辿り着いたものの、鈴鹿御前から「大嶽丸は三明の剣に守護されているうちは倒せない」と告げられる。鈴鹿御前の館へ戻ると、その夜も童子に変化した大嶽丸がやってきたので、鈴鹿御前が「田村丸という将軍が私の命を狙っている。守り刀として貴方の三明の剣を預からせてほしい」とはじめて返歌すると、大嶽丸から大通連と小通連を手に入れた。顕明連は天竺にあるという。 次の夜も館へと来た大嶽丸は、そこに待ち構えていた田村丸と激戦を繰り広げる。正体を現した大嶽丸は身丈十丈の鬼神となって日月の様に光る眼で田村丸を睨み、天地を響かせ、氷の如き剣や矛を三百ばかり投げつけたが、田村丸の両脇に立つ千手観音と毘沙門天が剣や矛をすべて払い落とした。大嶽丸が数千もの鬼に分身すると田村丸が神通の鏑矢を放ち、一の矢が千の矢に、千の矢が万の矢に分裂して数千もの鬼の顔をすべて射る。大嶽丸は抵抗するものの、最後は田村丸が投げたソハヤノツルギに首を落とされた。大嶽丸の首は都へと運ばれて帝が叡覧され、田村丸は武功で賜った伊賀国で鈴鹿御前と夫婦として暮らし、娘の小りんも生まれた。 大嶽丸に続いて近江国の高丸も退治して月日が経ったころ、魂魄となって天竺へと戻った大嶽丸が顕明連の力で再び生き返り、陸奥国霧山に立て籠って日本を乱し始めた。田村丸は二百歳にもおよびたる翁から与えられた名馬に乗り陸奥へと向かった。大嶽丸は霧山に難攻不落の鬼が城を築いていたが、田村丸はかつて鈴鹿山の鬼が城を見ていたため搦め手から鬼が城へと入ることができた。そこに蝦夷が嶋から大嶽丸が戻り、天竺に魂をひとつ残していたと嘲笑うが、田村丸は大通連と小通連に顕明連も揃うと応じ、腹をたてた大嶽丸は三面鬼に命じて大石を雨のように降らせるものの田村丸に当たらず、田村丸は神通の鏑矢で三面鬼を討ち取った。腹を据えかねた大嶽丸は田村丸に飛びかかるも、ソハヤノツルギによって二度目の首を落とされた。大嶽丸の首は天へと舞い上がって田村丸の兜に食らいつくが、兜を重ねて被っていたため難を脱し、大嶽丸の首はそのまま死んだ。残りの鬼たちは獄門にかけられ、大嶽丸の首は宇治の宝蔵に納められた。
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