田村はつゑ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/31 10:27 UTC 版)
たむら はつえ
田村 はつゑ
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生誕 | 1935年9月12日![]() |
死没 | 2024年4月30日(88歳没) |
国籍 | ![]() |
職業 | 調理師 |
活動期間 | 1997年 - 2023年 |
著名な実績 | 500円食堂「はっちゃんショップ」の経営 |
配偶者 | 既婚(1957年 - 2013年死別[1]) |
子供 | 3人[2] |
田村 はつゑ(たむら はつえ、1935年〈昭和10年〉9月12日[3] - 2024年〈令和6年〉4月30日[4])は、日本の調理師。500円で食べ放題のバイキング形式の食堂「はっちゃんショップ」の経営者として話題を集めた[5][6][4]。
経歴
1935年9月、群馬県桐生市に長女として出生[6][2]。父親は機織り機の修理業、母親は機屋で働くという家庭だった。1938年、渡良瀬川の氾濫によって家をなくし、その後父親は太平洋戦争で軍に行った[2]。終戦後、10歳にして奉公に出された[6]。このため、まともに学校に行くことができず、晩年になっても読み書きできるのは平仮名だけだった[6][2]。
1957年、3歳年上の男性と結婚。1959年には長女をもうける[2]。
1997年、長年勤めたパチンコ製造会社が倒産[6]。同年、桐生市相生町の自宅倉庫を改装し、500円で食べ放題のバイキング形式の食堂「はっちゃんショップ」を開業[2][5]。
2024年4月30日、88歳で死去。喪主は次男が務め、5月3日には告別式が執り行われた[4]。
経営
遠方から来店した客には無料にすることもあり、毎月7万円の赤字を出した[7]。また、小学6年生までの子供も無料にしていた[1]。
品目はご飯・みそ汁のほか、ブリの煮物、焼きそば、鶏皮の炒めものなど10品目以上[5]。総菜は日替わり[8]。午前11時半には店を開け、30席ほどの店内はすぐに満席になった[5][9]。
出演
脚注
- ^ a b “500円食べ放題「はっちゃん」食堂は心も満たす。田村はつゑさん85歳「儲けるためにやってるわけじゃない」〈おばちゃん力、ここにあり〉”. 婦人公論 (2021年7月12日). 2021年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “田村はつゑさん、夫の遺族年金を当てて食堂経営20年”. 女性自身 (2018年3月17日). 2021年12月5日閲覧。
- ^ “田村はつゑ”. 人物名鑑オンライン. ジテンオン. 2025年1月31日閲覧。
- ^ a b c 「おくやみ 田村はつゑさん 88歳」『桐生タイムス』2024年5月2日、14面。2025年1月31日閲覧。
- ^ a b c d 「一度も黒字なし、年金でカバー ワンコイン食堂の心意気 群馬・桐生」『毎日新聞』2021年1月9日。2021年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e “「もうタダでいいや」毎月赤字で料理を振る舞う”はっちゃん”の人生”. ライブドアニュース. 株式会社ライブドア (2018年10月23日). 2025年1月31日閲覧。
- ^ “500円食べ放題を貫く“はっちゃん”こと田村はつゑさんの信条「絶対値上げしない」”. 週刊女性 (2021年1月9日). 2021年12月5日閲覧。
- ^ a b “一滴の向こう側 - 第32回 お腹も心も満腹 人情食堂”. BSフジ公式サイト. ビーエスフジ. 2017年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月31日閲覧。
- ^ “288円の定食がお得すぎる!コロナ下で見つけた激安グルメ”. SPA! (2021年3月18日). 2021年12月5日閲覧。
- ^ “あさチャン! - お母さんのワンコイン食堂”. TBSホームページ. TBSテレビ (2017年9月13日). 2025年1月31日閲覧。
- ^ ““はっちゃん”の名物食堂を襲ったコロナ…密着Dが感じた「ふれあいの大切さ」”. マイナビニュース (2020年8月1日). 2021年12月5日閲覧。
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