エッセイ他
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歌壇(本阿弥書店) 『塚本邦雄と岡井隆 2首を読む 明暗』 2巻7号146-147頁、1988年(昭和63年、25歳) 『私の愛の歌 <肝心の言葉選ばぬようにして二人見ている蕾ふふむ庭>』 6巻4号76-79頁、1992年(平成4年、29歳) 『書評 小嶋啓生「泉の如し」』 8巻1号170-171頁、1994年(平成6年、31歳) 『近・現代の新年詠』 10巻1号84頁、1996年 (平成8年、33歳) 『心象と自然』 10巻6号64-65頁、1996年(平成8年、33歳)「自然とどのように向き合い、どう詠うのか、ということに関しては、本当は斎藤茂吉の「実相に観入して自然自己一元の生を写す」という言葉で既に事足りているように思う」 短歌(角川書店) 『フエミニズムは終わらない』 37巻12号210頁、1990年(平成2年、27歳)「これらの作品の中に私は女性一人一人の個の体感の中に浸透しはじめたフェミニズムのかすかな水音を聞く」 『百鼠』 38巻4号114頁、1991年(平成3年、28歳)「実際、言葉は迂闊には立ち行かない。一語一語の裏に神が存在する。言葉を操るのは、真に神技である」 『あの頃のこと』 41巻9号118頁、1994年(平成6年、31歳)「歌人の方に興味を持ち、歌まで作るようになったのは、石田比呂志と阿木津英とが短歌を語る言葉に、熱っぽく純粋なものを感じたからだ」 『結社の窓 「牙」の巻』 43巻5号183頁、1996年(平成8、33歳) 『出逢いの連続』 44巻3号109頁、1997年(平成9年、34歳)「自分を見つめ続けることで、何かの真実が見えることを私は信じている」 『書評 米川千嘉子歌集「たましひに着る服なくて」』 45巻12号238頁、1998年(平成10年、35歳) 『手触りに託す』 46巻12号156頁、1999年(平成11年、36歳)<やわらかく避けられている関わりを桃のうぶ毛に触れて理解す> 『人生の朝』 48巻2号139頁、2001年(平成13年、38歳) 『人生最初の蹴躓き』 50巻7号107頁、2003年(平成15年、40歳) 『知恵と水と』 51巻12号14-15頁、2004年(平成16年、41歳) 『書評 清水房雄歌集「残余小吟」、橋本嘉典歌集「な忘れそ」、佐藤通雅著「宮柊二 柊二初期及び「群鶏」論』 60巻2号166-168頁、2013年(平成25年、50歳) 『論考 奥行きのある歌 時間編 心の中の果てしない奥行き』 60巻11号52-53頁、2013年(平成25年、50歳) 『書評 上野誠著「書淫日記」』 60巻13号190頁、2013年(平成25年、50歳) 『カタカナ、会話の挿入 やさしく、たのしく、うつくしく』 61巻13号74-75頁、2014年(平成26年、51歳) 『ものを見る眼を養うには よき眼に学ぶ』62巻11号64-65頁、2015年(平成27年、52歳) 短歌現代(短歌新聞社) 『牙 正述心緒・寄物陳思』 12巻2号120-121頁、1988年(昭和63年、25歳) 『牙』 20巻7号48頁、1996年(平成8年、33歳) 『安永蕗子 流麗なる渇望』 33巻4号52-53頁、2009年 (平成21年、46歳) 『全国の秀歌(秀歌ベスト10+発言)』 33巻12号91-92頁、2009年 (平成21年、46歳) 『枕詞』 35巻4号60-61頁、2011年(平成23年、48歳) 熊本日日新聞 『たーみなる 実年の“実”ってナニ?=人間どうせかたつむり』 1991年5月15日朝刊(平成3年、28歳)「二十五歳の時、まやかしのゴム風船がパチンと弾けた」 『たーみなる 男はやはり濡れ落葉?オトーサンは悲しい』 1991年6月19日朝刊(平成3年、28歳)「最近流行する人間分類に関する言葉は、十把一からげで、表面的で、愛情も哀愁も感じられない、揶揄的要素の強いものが多く、虫酸が走る」 『夕刊クック・甘辛談義』 1991年5月7日から1992年3月23日までの月1回の夕刊連載(全12回)(平成3-4年、28-29歳)お菓子や弁当など食べ物に関するエッセイ。 「己れ一人の力を頼み、強く在ることを強いられて渡る世に落ちる、太陽の赤い胸やけが染みる」(「イヴ小閑」1991年12月24日) 『すくーるぞーん』 1994年4月11日から1995年3月13日までの月1回の朝刊連載(全14回)(平成6-7年、31-32歳)熊本信愛女学院高校教諭時代に感じた高校生や彼等の生活に関するエッセイ。 「社会に立ち交じることを猶予された者のシンボルとしての制服と、「発情色」というのは、やはり、どこかそぐわない」 『ら抜き言葉・大事にすべき“美しい日本語”』 1995年11月19日朝刊(平成7年、32歳)「いかに美しい日本語で話し、書くことが大切なことか。だれも言葉が動いていくことを止められませんが、美しい日本語は大事にしないと日本の文化がだめになってしまいます」 『リングサイド』 2002年6月30日から2003年4月14日までの3か月1回の朝刊連載(全4回)(平成14-15年、39-40歳) 『きょうの発言』 2005年1月5日から2005年3月30日までの週1回の夕刊連載(全13回)(平成17年、42歳)「一時期、私は勤め先の門が、すんなりくぐれないということがあった」(「朝のドーナツ」2005年3月2日) 『2月14日には愛の短歌贈る』 2006年2月4日朝刊25面(平成18年、43歳) 『第54回熊日文学賞受賞エッセイ 「ご心配」を頂いて』 2013年2月22日朝刊20面(平成25年、50歳)「石田比呂志は妻子や家、地位や名誉や財産を持たぬ自らを六無斎と称した。それに倣うつもりはなかったものの、名誉をひとつ貰ってしまった」 『短歌のとびら』 2013年4月1日から2013年8月26日までの週1回の朝刊連載(全20回)(平成25年、50歳) 『書評「歌人の死」(福島泰樹著) 時代と格闘 志は永遠』 2015年8月16日6面、(平成27年、52歳) うた新聞(いりの舎) 『安永蕗子―むなしき双の掌ありて』 2012年10月7日号8面、(平成24年、49歳) 『ゆかしさのために』 2014年6月27日号7面、(平成26年、51歳)「作品一首がそこにあり、鑑賞者は心を尽くして向かい合う。分からぬ、ゆえに「ゆかしい」」 場(「場」の会) 『<私の一冊>「魚愁」安永蕗子 I 雪炎から II 毒草園まで』27号54-57頁、2015年10月(平成27年、52歳)
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築地 正子『綠窗抄(62首)』短歌(角川書店)3巻7号130-131頁、1956年(昭和31年、36歳) 築地 正子『石川不二子さんの歌』心の花(竹柏会)61巻2号(心の花 七百號)208-209頁、1957年(昭和32年、37歳) 築地 正子『八女野』心の花(竹柏会)64巻3号22頁、1960年(昭和35年、40歳)この中に、「私はひそかに今日を境として、短歌を離れて繪の方へすすみたいと希ってゐたけれど、畫伯にお尋ねする勇氣は遂に出なかった」と書いている。 築地 正子『ゑのころ草』心の花(竹柏会)64巻10号51-52頁、1960年(昭和35年、40歳)「田舎に棲んでゐると、四季の移りに敏感な雑草の思ひがけない美しい姿に觸れる事が多い。彼等は、自在で、逞しくて、虚飾をもたない。「生き抜く」といふ事にひたすらな心と姿は、まことの美そのものである様に思はれてくるのである」 築地 正子『集中豪雨』心の花(竹柏会)66巻10号39頁、1962年(昭和37年、42歳)「近所の人に、『雨もりですか。そんなの皆ですよ、數のうちに入らない』と笑ひとばされてしまった」 築地 正子 『歌につながる』心の花(竹柏会)68巻4号312-313頁、1964年(昭和39年、44歳)「ふり返ってみると、それもこれも、皆歌につながって得た倖せであった。此から先、私のひとり生きてゆく道で出會うだろういろいろの事は、何處かで、何かで、みんな歌につながってゆくような氣がしてならない」 築地 正子 『空の青』心の花(竹柏会)68巻8号22頁、1964年(昭和39年、44歳)「「空がきらきらして青い」というお言葉と、「初心忘るべからず」という古くて新しい言葉が、私の中で同じ重さをもってきてから、私は、・・・歌に宿命や執着を感じてゆけるようになりたいと、ひそかに思ったりすることもあるのである」 築地 正子 『今年の収穫<秀歌五首選>』心の花(竹柏会)通巻842号(12月号)15頁、1968年(昭和43年、48歳)「「人間はなぜ生きるか。どう生きるか」とはよく言われる言葉であるが、確固たる人生論をふまえたこれらの歌に、ひどく魅かれる現在の私の心境である」 築地 正子 『私の郷土 嫁入唄のこと』心の花(竹柏会)通巻844号(2月号)40-41頁、1969年(昭和44年、49歳)「なるべく賑やかなのが喜ばれる。しかし、この嫁入唄、なんとなく哀調があって、夕昏れの道を行く風情は、華やかさのうちにもの悲しい」 築地 正子 『わが短歌開眼』短歌(角川書店)28巻2号68-69頁、1981年(昭和56年、61歳)「ひとつ行く鮎船は、それならば日本の歌でなければならないと、思った。若い時から、絵かきになるのが第一の願望で、その為に如何なる犠牲も悔を残さなかった私の裡で、極めて自然ななりゆきとして、絵と歌が比重を変えたのを感じていた」 築地 正子 『—私のなかの本棚— 自然は本』 短歌研究(短歌研究社) 40巻3号40頁、1983年(昭和58年、63歳)「耕す大地の断面に、新しい本のページをめくる思ひがした」 築地 正子 『私の「た・か・ら・も・の」 自然のたまもの』および『心の桜(7首)』 短歌研究(短歌研究社)41巻3号41頁、1984年(昭和59年、64歳)「同じ自然の輪廻の中で共存しながら、あの儘、東京ぐらしを続けてゐたら、決して味はへなかった自然との出会ひが、私に、細く永く短歌を作り続けさせる原動力になってゐる様な気がする」 築地 正子 『充実の瞬間(とき) 有限人間』 および『狐狸(七首)』短歌研究(短歌研究社)42巻3号37頁、1985年(昭和60年、65歳)「人間の智慧や能力を超えた自然といふ無限時空の中の、有限人間のささやかな生活を基調にして、一首の短歌に濃縮していく自分を、みつめてゐるのである」 築地 正子 『私の詩的空間 東京・神田・聖橋』 および『梟のごと(7首)』短歌研究(短歌研究社)43巻3号37頁、1986年(昭和61年、66歳)「私がやっと、幼女から少女期へ入る頃ではなかったらうか。あの頃、出来たての聖橋を、父の夕方の散歩のお供をして、よく通ったものだった」 築地 正子 『(現代歌人群像-代表歌とエッセーでつづる“わが昭和私史の瞬間”)東京育ちの農として-卓上の逆光線にころがして卵と遊ぶわれに触るるな および10首』 アサヒグラフ(朝日新聞社)3353「昭和短歌の世界」増刊号139頁、1986年(昭和61年、66歳)「生まれ育った東京を離れて九州の一農村に移居しなかったら、私は<うたよみ>にならなかったに違いない」 築地 正子 『私を魅惑する「女」 ミロのヴヰナスへの手紙』および『厨房にて(7首)』 短歌研究(短歌研究社)44巻3号37頁、1987年(昭和62年、67歳)「あなたを観てゐると、私は絵描きになりたかったと思ひ、ならなくてよかったと思ひます。その相克矛盾の心の戦ひを、生きてゐる証しとして来たように思ふからです」 築地 正子 『花に想う すみれ』 および『小春凪(7首)』短歌研究(短歌研究社)45巻3号33頁、1988年(昭和63年、68歳)「アンナ・カレーニン夫人が、夜会で初めてウロンスキーと出遇ふくだり、アンナが、黒いビロードの服に紫の菫の花束を飾ってゐるといふ、唯一行のその形容が、それから始まる不倫の恋物語の、終局の不幸まで暗示してゐて忘れ難い」 築地 正子 『おんなの会議 アンケート「歌人が選んだ歌人」』短歌研究(短歌研究社)、46巻3号23頁、1989年(平成元年、69歳)22頁に「森にて」7首。「たった一人の読者の存在のために、それは、もしかしたら自分自身だけかもしれないとしても、それが文芸の本質ではないかと思へてならないのである」 築地 正子 『築地正子自筆年譜:築地正子自選100首』歌壇(本阿弥書店)5巻10号88-92頁、1991年(平成3年、71歳) 築地 正子 『路(10首)』、『[同時代]としての女性短歌』(「文芸」編集部編、河出書房新社)58-59頁、1992年(平成4年、72歳)「人類は、戦争をしなくとも、人間の智慧の結晶である文明に滅されるのではないか、—− と思へてくる」 築地正子『書評 歌集「遠茜」(清島あつ子著、雁書館)』熊本日日新聞 朝刊 1992年11月2日9頁 築地 正子 『作歌のキー・ポイント/実作のポイント ひろく、ふかく、おのがじしに』 歌壇(本阿弥書店)7巻6号48−49頁、1993年(平成5年、73歳)「卵を卓上にころがし乍ら、一番美しい光と翳をさぐってゐた。上句は割合に素直に、現実をより現実的に実感出来るやうに言葉を組立てたつもりであったが、結句を如何にするか、何日も迷った。「こわい顔して・・・」と、母からもそんな私を敬遠されてしまったのがきっかけとなって、「われに触るるな」という結句になった」 築地 正子『(霜月随想)五十年前の秋 築地正子、歌人』熊本日日新聞 夕刊 1995年11月2日(平成7年、75歳)「その一隅にあの短歌は載っていたのだった。みんなみの筑紫の国の秋ながしおほけなくして生き残りたり おほけなく生き残った私にも、<筑紫の国の秋ながし>の、深い感動が伝わってきたのだった。私は、やっと父の古里に帰り住む心が定まったのだった」 築地 正子『暗い出発』短歌(角川書店)43巻6号141頁、1996年(平成8年、76歳)「「私とは誰か」・・・、その時、私は何故か短歌を作って、自分の心をどれだけ言へるか試す気持になってゐた」 築地 正子 『メタセコイヤは見てゐる』 短歌(角川書店)45巻2号91頁、1998年(平成10年、78歳)「それならば、居直って「老」と真正面から取組んでみようといふ気持ちになった」 築地 正子 『菁莪の花咲く頃』心の花(竹柏会)通巻1196号(6月号)62−63頁、1998年(平成10年、78歳)「坂本画伯にお目にかかって、私はこれからの人生の進歩を考へ直して、<絵>を断念することにした。<短歌>の道に進んで成算があるわけでもなかったけれど・・・」 築地 正子 『二三輪初花咲きて若苗の染井吉野はをとめとなれり』 (「特集 桜をうたう-自選歌と現代秀歌選(p.60-93)」)短歌(角川書店)47巻5 号64頁、2000年(平成12年、80歳)「東京生まれの私には、皇居の千鳥ヶ淵の桜の品の良さ、豊かさが一番印象的である」 築地 正子 『何故?この月恋ふる人』、『続・伊藤一彦歌集』(伊藤一彦 著、現代短歌文庫)の解説。砂子屋書房、162-171頁、2001年(平成13年、81歳)「私は、熊本出身の父が、東京に出てから東京で生まれたので、ふるさと意識が甚だ稀薄なのである」 築地 正子 『花綵列島』、『現代短歌全集 第16巻』(塚本邦雄 他著、筑摩書房)に第一歌集『花綵列島』が収録される。435-456頁、2002年(平成14年、82歳)
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『よつ葉のエッセイ』河出書房新社、1988 のち文庫 『魔法の杖 対談集』河出書房新社、1989 のち文庫 『りんごの涙』文藝春秋、1989 のち文庫 『短歌の旅』文藝春秋、1992 のち文庫 『俵万智のハイテク日記 Alice in hi-teck land』朝日新聞社、1992 のち文庫 『ふるさとの風の中には 詩人の風景を歩く』内山英明写真 河出書房新社、1992 『恋する伊勢物語』筑摩書房、1992 のち文庫 『短歌をよむ』岩波新書、1993 『旬のスケッチブック』角川文庫、1993 『日本語はすてき』河出書房新社、1993 『かすみ草のおねえさん』文藝春秋、1994 のち文庫 『そこまでの空』安野光雅絵 河出書房新社、1994 『本をよむ日曜日』河出書房新社、1995 『三十一文字のパレット』中央公論社、1995 のち文庫 『こんにちは、ふるさと』河出書房新社、1995 『ひまわりの日々』ベネッセコーポレーション、1995 のち福武文庫 『あなたと読む恋の歌百首』朝日新聞社 1997、のち文春文庫 『さよならごっこ』角川mini文庫、1997 『燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの』野村佐紀子写真 河出書房新社、1998 『言葉の虫めがね』角川書店、1999 のち文庫 『九十八の旅物語』平地勲写真、朝日新聞社、2000 『三十一文字のパレット 2』中央公論新社、2000 のち文庫 『風の組曲』河出書房新社、2000 『ある日、カルカッタ』新潮社、2001 のち文庫 『俵万智と野崎洋光のゆっくり、朝ごはん。』廣済堂出版、2001 『101個目のレモン』文藝春秋、2001 のち文庫 『百人一酒』文藝春秋 2003、のち文庫 『愛する源氏物語』文藝春秋、2003 のち文庫 『考える短歌 作る手ほどき、読む技術』新潮新書、2004 『花咲くうた 三十一文字のパレット 3』中央公論新社、2005 のち文庫 『かーかん、はあい 子どもと本と私』朝日新聞出版、2008 『かーかん、はあい 子どもと本と私2』朝日新聞出版、2010 『ちいさな言葉』岩波書店、2010 『かーかん、はあい 子どもと本と私3』朝日新聞出版、2011 『富士山うたごよみ』福音館書店、2012 『短歌のレシピ』新潮新書、2013 『旅の人、島の人』ハモニカブックス、2014 『そだちノート』アリス館、2014 『ありがとうのかんづめ』小学館、2017 『牧水の恋』文藝春秋、2018 のち文庫 『花と短歌でめぐる二十四節気花のこよみ』KADOKAWA、2021
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愛編む秀美(1982年10月31日初版、集英社) ひとりが好き、少女17歳。(1983年11月25日発行、ダイナミックセラーズ) - カセットテープ+ミニ写真集 さりげなく、素顔のまま(1986年3月25日初版、近代映画社)
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