エッセイ哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 06:34 UTC 版)
また、李は2013年の『人生論カフェー』を始め、『真理ギャラリー』、『事物の中で哲学探し』、『考えの散策』を立て続けに著しながら「エッセイ哲学」を展開した。親近なエッセイの形式に哲学的メッセージを盛り込むのである。例えば、「目は、己れを見ることが出来ない。それを見うる唯一の道は、外に映された己れを見ることである」、「関心というものに一人の人間の正体が隠れている。その関心が認識を決定する。そしてそれがやがて人生を決定する」、「言葉の量がその質を決定するのではない。場合によっては一言の言葉が100巻の全集を凌駕する場合もいくらでもある」、「真正なる言葉は、何時か何処かで必ずそれを聴いてくれる耳に出会うことになる」、「殆んどの名声は砂の上に書かれる。ごく稀な名前だけが岩に刻まれ、あの歴史の風化を耐え抜くのである」、「すべての足取りには方向がある。そしてその足取りは、人柄という名の足跡を残す」、「人が人に与えた暖かい心は、いつかそれを貰った人の心の中で慕いという名の花と咲く」、「私に良いこれが他人にもそのまま良いのかを訊かずには真の良さの敷居を跨ぐことが出来ない」、「合理性と徹底性、道德性と審美性こそ、先進国という建築物の4本の柱である。その4本の柱を刀・金・筆・手[軍事力・経済力・文化力・技術力]という四つの礎石が支えている」、「言語は恰も染料のようで、我々の精神の中を出入りしながら、己れの色で精神の色を染めていく」、「暖かい心は一握りでも誰かの千の傷のうち少なくとも何切れかは撫でられる」、「夢は、ただそれを夢見る者にのみ、一つの金色の可能性を提供する。夢見ることのない者には、そもそも夢のような未来はあり得ない」、「人間が真理を'ビリ'にする瞬間、その人間は真理の前でビリになる」、「世界という大きな本には無数の真理が書かれている。ただし、大概は透明インクで書かれていて、ただ'試練'という眼鏡でのみその文字を読み取ることが出来る」、「自分の苦しみ/喜びより、彼/彼女の苦しみ/喜びがもっと苦しく嬉しい場合がある。まさしくそれが'愛'の最も確実な証しとなる」等の内容を展開している。
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