エッセイ・回想録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 05:16 UTC 版)
少なくともアメリカにおいて、恐らくヴィダルはその希望に反し、小説家よりエッセイストとして高く評価される。批評家のジョン・キーツは彼を「二十世紀で最も素晴らしいエッセイスト」と讃えた。マーティン・エイミスのような敵意を持つ批評家でさえ「エッセイを彼は得意とする。(中略)博識で、愉快で、稀有なまでに明晰である。盲点すら光り輝いている」と認める。 彼はエッセイを政治、歴史、文学を主なテーマとして書いている。彼は1993年にUnited States (1952-1992)で全米図書賞を受賞した。2000年までの著述集はThe Last Empireである。それ以後彼は教科書上の建国の父達(ファウンディング・ファーザーズ)と、ブッシュ=チェイニー政権両方に対して高度に批判的な「パンフレット」であるInventing A Nationを発表した。彼は没するまで引き続いてブッシュ政権に対しての追及を行った。1995年には自身の前半生を描いた回想録Palimpsestを発表。2006年には続編であるPoint to Point Navigationを発表した。 1960年代にヴィダルはイタリアへ移り住み、フェデリコ・フェリーニの映画『フェリーニのローマ』に出演した。彼の自由主義の政治観に基づく作品はよくドキュメント化される。1987年に彼はArmageddonという一連のエッセイを著した。同作品で彼は当時のアメリカにおける権力の複雑化を調査し、無情に当時の現職大統領であったロナルド・レーガンを笑いものにした。彼はレーガンを「死体防腐処理者の芸術の勝利」と評している。 ヴィダルの祖父は民主党に所属していたが、彼は他にも民主党との関係を持っている。彼の母親ニーナはヒュー・D・オーチンクロスジュニアと結婚し、オーチンクロスはその後ジャクリーン・ケネディの継父となった。 ヴィダルはこの縁で、ケネディ政権に芸術顧問として参画した。しかし、ホワイトハウスで行われたパーティーの席上、政策や性格的に対立関係にあった司法長官ロバート・ケネディと些細なことから激論になり、ヴィダルは自ら職を辞してホワイトハウスを去った。この事件は多くの禍根を残し、ロバート・ケネディが大統領選に出馬する準備を始めていた際、ヴィダルは血縁関係にないとはいえ、一応は自らも親族の一員であるケネディ家全員に対して、エッセイ「ケネディ家の野望に警鐘を鳴らす(The HOLY FAMILY)」で破壊的な分析のメスを振るい、ロバート・ケネディを「大統領職を世襲で得ようとしている」として激しく批判した。 また、この話を又聞きしたかつての親友であり長きに渡るライバルであったトルーマン・カポーティは「プレイガール」誌のインタビューで事件を面白おかしく脚色して語った。記事を読んだヴィダルは激怒し、即座にカポーティを名誉毀損で訴え、100万ドルの賠償金を要求した。何年にも渡って続いたこの裁判は、カポーティが謝罪広告を新聞に掲載することでようやく合意した。 ヴィダルはジミー・カーターの5番めのいとこでもある。また、元副大統領のアル・ゴアの遠縁のいとこにあたる。 彼は1960年にエレノア・ルーズヴェルトやポール・ニューマン、ジョアン・ウッドワードらの著名人の支援を受けて、下院議員選挙に出馬したが、伝統的に共和党の地盤であるハドソン川地域で僅差で敗北した。彼は1982年にもカリフォルニア州で上院議員選に出馬し、またもやポール・ニューマンやジョアン・ウッドワードの支援を受けたものの落選している。 ヴィダルは1992年の映画『ボブ★ロバーツ』の中でティム・ロビンスと共演している。他にも『ガタカ』 (1997) 『きっと忘れない』 (1994) でも重要な役回りを演じている。下院議員役でチャーリー・シーンと共演した『ザ・ターゲット(Shadow Conspiracy)』 (1997) や『17歳の処方箋』 (2002) にも出演している。また、1995年に出演したドキュメンタリー映画 『セルロイド・クローゼット』 では、映画界における同性愛嫌悪の実態について語った。 ヴィダルは20世紀後半にはイタリア、アマルフィ海岸のラヴェッロとカリフォルニア州ロサンゼルスでその時間の多くを過ごした。2004年8月にニューヨーク・タイムズはヴィダルが健康上の理由で30年間暮らしたラヴェッロの5,000平方フィート (460m2) に及ぶ邸宅を2003年に売却し、現在ロサンゼルスに暮らしていると報道した。2003年11月にヴィダルのライフ・パートナー、ハワード・オースティンは死去した。2005年2月にヴィダルはオースティンの遺骸を二人のために準備したワシントンD.C.のロック・クリーク墓地に埋葬した。7年後には、ヴィダル自身が同墓地に埋葬されることとなった。 ヴィダルはアメリカ芸術文学アカデミー会員であり、ヴィダルは2009年全米図書賞Medal of Distinguished Contribution to American Lettersを受賞した。
※この「エッセイ・回想録」の解説は、「ゴア・ヴィダル」の解説の一部です。
「エッセイ・回想録」を含む「ゴア・ヴィダル」の記事については、「ゴア・ヴィダル」の概要を参照ください。
- エッセイ・回想録のページへのリンク