教諭時代とは? わかりやすく解説

教諭時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:36 UTC 版)

瀧庸」の記事における「教諭時代」の解説

1923年大正12年)、卒業とともに神奈川県立横浜第三中学校(現:神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校)に教諭として赴任したこの中学は新設で、横浜商工実習学校一部借りて発足し一年生3クラス数名教官集まっていた程度であった。その年の8月中旬三崎臨海実験所中等教員講習会開かれ、これに参加し谷津直秀当時助手であった岡田要直接指導受けた谷津は庸に、「ヒザラガイ類について調べた経験があるというので皆に話をしてくれ」といい、自著の『動物分類表』を常に手にしており、熱心に分類表の白い所に記入した。庸が臨海実験所来ている間、中学校教官室から不審火出て校舎はほとんど焼けそれまで持っていた書籍標本全部失った赴任してすぐの出来事出鼻を挫かれた状態であったが、苦難はそれに留まらず、さらに約2週間後の9月1日には関東大震災襲来しこの際は幸い怪我失ったものはなかったが、大混乱苦しんだ。やがて次第平静取戻すと、牧野富太郎植物採集会に参加したり、横浜中心に貝類採集して謄写刷の目録作りヒザラガイ類研究続けた1924年大正13年)に平瀬信太郎お願いしてあった『岩礁に於ける三崎ヒザラガイ類』が動物学雑誌36巻に掲載され、これが処女作となった。ここで4年教諭生活が続いたが、この間に貝友石橋千円Daniel B. Langfordなど、様々な人と知りあった。

※この「教諭時代」の解説は、「瀧庸」の解説の一部です。
「教諭時代」を含む「瀧庸」の記事については、「瀧庸」の概要を参照ください。

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