論文・エッセイ、他
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「無政府主義革命の黙示録──国家撃攘と共同体への原基」(『情況』1972年2月号) 「国家を撃つテロルの地平──若松孝二『天使の恍惚』は六〇年代を総括しえたか」(『映画批評』1972年3月号) 「歴史のなかの〈生〉と〈死〉──『ニコライとアレクサンドラ』『死刑台のメロディ』『暗殺の森』」(『映画批評』1972年4月号) 「マラパルテ・クーデターの技術」(『情況』1972年4月号) 「完成されざる革命のために──『偉大な生涯の物語』によせて──神・超人・革命家」(『映画批評』1972年5月号) 「歴史における巨視と微視──『11人のカウボーイ』『わらの犬』『時計じかけのオレンジ』他」(『映画批評』1972年6月号) 「テロルが孕む革命の原質」(『現代の眼』1972年6月号) 「ロシアにおける革命と反革命──ソ連映画『帰郷』は国内戦の真実をいかに描き出したか」(『映画批評』1972年7月号) 「不可能性のインタナショナル──ソ連映画『ヨーロッパの解放』四部作を反面教師として」(『映画批評』1972年8月号) 「≪世界≫革命と国家・軍隊──インタナショナルの原質とは何か」(『情況』1972年8月号) 「不発の青春から青春の爆発へ──『さえてるやつら』『戦争を知らない子供たち』『夏の妹』」(『映画批評』1972年9月号) 「都市は国家を超えうるか──『フェリーニのローマ』に見る〈国家性時間〉の欠落」(『映画批評』1972年10月号) 「犯罪者と革命家の十字路──『帰らざる夜明け』『モダン・タイムス』『脱出』『冒険また冒険』」(『映画批評』1972年11月号) 「ドキュメンタリーへの指標──『反国家宣言』『バングラデシュ』『夜と霧』をめぐって」(『映画批評』1972年12月号) 「ロシヤ革命の背理」(『図書新聞』1973年1月27日第1197号) 「ドン・キホーテの「見果てぬ夢」──『ラ・マンチャの男』におけるロマンと組織論の回路」(『映画批評』1973年2月号) 「無学なデマゴーグへの嘲笑──須藤久における反近代主義の「理性」と「感性」」(『映画批評』1973年3月号) 「上部構造への進駐とは何か──〈映画=運動j〉における表現過程と運動過程をめぐって」(『映画批評』1973年5月号) 「総破壊の使徒バクーニン・初期バクーニン」(『情況』1973年9月号) 「総破壊の使徒バクーニン・汎スラヴ革命主義」(『情況』1973年11-12号) 「総破壊の使徒バクーニン・革命的社会主義」(『情況』1974年5月号) 「現代を狼狽させる稀書──J・ド・メーストル『サン・ペテルスブルグの夜話』(『図書新聞』1974年10月26日第1285号) 「反アナキズム論序説──唯一的革命の神話と構造」(『情況』1975年1-2月号) 「秘儀としての革命政治」(『現代の眼』1975年3月号) 「物象化論とシュティルナー──唯一者と唯物史観の相克と異相」(『情況』1975年4月号) 「『資本論』の論理と国家論──国家論カテゴリーの確立に向けて」(『情況』1975年6月号) 「テロルの政治と空間──三島由紀夫の場合」(『情況』1975年9月号) 「ニーチェ 悲劇の誕生とアリアドネ──ワーグナー音楽の評価から」(『現代思想』1975年8-9月号) 「『資本論』の人間廃絶の理論──超現実的実在としての商品の位相」(『現代の眼』1976年1月号) 「シェーンベルクとファシズム──音楽の精神と美の物象化」(『情況』1976年5月号) 「イスカリオテのユダ──思想の存在もしくは思想の表現者」(『現代の眼』1976年9月号) 「エルンスト・ユンガーの体験──鋼鉄の嵐とその言葉」(『現代の眼』1977年6月号) 「アイデンティティとしての不健康」(『現代の眼』1978年10月号) 「言語と状況。『表現』と『規範』をめぐって──吉本隆明『初期歌謡論』批判」(『EXPERIMENT』1980年7号) 「エルンスト・ユンガーの戦争からの黙示──イロニーの終焉と表現」(『弾道』1980年第1号) 「西ドイツ過激派通信」(『インパクト』1980年12月第9号) 「軍人エルンスト・ユンガー──その死と作家の誕生」(『跋折羅』1981年9月第7号) 「上阪と下京」(『現代の眼』1982年12月号) 「エルンスト・ユンガーの文学空間──戦場の魔術的現実」(『TRUPP』1988年第2号) 「ドイツ・ナショナリズムの史的状況──ユンガーと戦後体験のナショナリズム」(『東大陸』1991年第1号) 「アルミン・モーラーの保守革命論とナチズム──ドイツファシズムのイデオロギー状況」(『東大陸』1992年第2号) 「蓮田善明・三島由紀夫と現代の系譜──戦後日本と保守革命」(『東大陸』1993年第3号) 「天皇制と皇后ボナパルティズム」(『東大陸』1995年第4号) 「日本的前衛とアジアの大衆──アジア主義の革命と戦争」(『情況』1997年8-9月号) http://www.linelabo.com/Asian_principles_01.htm (上記論文のWeb再録) 「アナキスト革命連合」(『別冊歴史読本2』2008年3月) 「連合赤軍の倫理とその時代」(『情況』2008年6月号) 「一九六八年の戦争と可能性──アナキズム、ナショナリズム、ファシズムと世界革命戦争」(『悍(HAN)』2008年10月創刊号) 「バクーニンとクロポトキン──アナキズムとマルクス主義の対立史観の由来について」(『情況』2009年5月号) 「シュティルナーとマルクス──「唯一者」と「社会的諸関係の総体」(『情況』2009年6月号) 「もう一つの全共闘・年少世代」(『情況』2009年8-9月合併号) 「内的体験としての暴力──E・ユンガーと戦争肯定の思想」(『悍(HAN)』2009年10月第3号) 「革命は電撃的に到来する――大きな物語は消滅したのか」(『悍(HAN)』2010年5月第4号) 「千坂恭二ロングインタビュー。革命戦争としての新左翼・ファシズム・ホロコースト」(『新文学』2010年03号) 「日本は天孫降臨以来の革命国家である。八紘一宇のナショナル・ボルシェヴィズムへ」(『デルクイ』2011年01号) 「エルンスト・ユンガーと文学の誕生」(『メインストリーム』2011年01号) 「表現にとって弾圧とは何か──千坂恭二インタビュー」(『メインストリーム』2012年02号) 「右も左も革命戦線異状なし」(『デルクイ』2013年02号) 「憎むべきではなく解き明かすべき罪」(『映画芸術』2013年445号) 「さよならアドルフ。クローズアップを多用し全体を遮断する」(『映画芸術』2014年446号) 「シャトーブリアンからの手紙。エルンスト・ユンガーからこの映画を見る」(『映画芸術』2014年449号) 他、多数。
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